DebtNet通信 (vol.1 #32)  
インドネシアの債務
2001年7月9日


インドネシアの債務問題

はじめに
スハルト政権誕生以来、インドネシアの債権国会議(IGGI)は、世銀総裁が議長(発足当時はオランダが議長)となって、インドネシアの債務と援助を決定してきた。これに対抗して、オランダのNOVIBが中心となってNGO側ではINFIDが設立され、援助、借款、債務、開発問題などについて国際的、国内的にアドボカシイ活動を続けてきた。本部はオランダだが、活動の主体はインドネシアINFIDである。1990年代に入って、日本にもNOVIBの援助でもって、INFIDの日本版JANNIが設立された。

沖縄のJubilee2000国際会議には、インドネシアで債務問題をとりあげているINFIDが参加した。
今年2月19〜22日、ジャカルタでINFIDが主催する債務問題の国際会議が開かれた。不思議なことに、昨年12月、ドイツのJubilee2000から、私が日本からの参加者・パネラーになっているという知らせがあったが、私のところに招待状が届いたのは、2月に入ってのことであった。ブラジルのポルトアレグレから帰国した直後であり、到底参加できる条件はなかったので失礼した。あとで日本からの参加がなかったことを聞いて、びっくりした。

今年6月、インドネシアの債務問題を議題とするINFIDの国際会議が再びジャカルタで開かれたことを、英国のJubilee PlusのAnn Pettiforさんから聞いた。これには、日本のJANNIの川上さんが参加したとのことであった。DebtNetとしては、HIPCs以外の途上国の債務に関しては、日本のなかで当該国の問題を取り上げて運動をしているときには、DebtNetはあえて取り上げないという立場であったので、今後JANNIが本格的にインドネシアの債務問題に取り組むということは大いに心強い。インドネシアの巨額の債務問題は、民主化と紛争解決の鍵である。

6月、ジャカルタのINFID国際会議に出席したAnn Pettiforさんから以下のような文書が届いた。DebtNetにとっても参考になるので、抄訳を載せる。

Ann PettiforさんがGordon Brown蔵相に送った手紙

前文略

インドネシアの新設の「貧困削減の調整庁のDillon大臣は、「アジア危機直前の1997年には、インドネシアの貧困ライン以下の人口は11%にまで減っていた。しかし、危機後の1999年には23%と倍増し、2001年には50%に激増している。これは1億人にのぼり、その70%は農村に住んでいる。」と語った。

UNICEFは2〜300万人の子どもが栄養失調に置かれ、未発達、障害児となっている。
世銀は、農業労働者、都市貧民の実質賃金が、1997年には40%、1998年には38%下落し、3,900万人が失業した、と述べている。アジア開発銀行は、女性が最大の被害者であり、食料品の値上がりが貧困者の栄養を奪ったと述べている。

UNICEFによれば、1999年の幼児死亡率は1000人当たり52人であった。政府の収入の大部分が非生産的な債務支払いに割かれている限り、全く改善の見込みはないと、NGOは言う。DACのターゲットは2015年までに死亡率を1000人当たり19人に減らすというが、到底見込みはない。

インドネシアの貧困の激増、恐ろしい幼児死亡率などは、アジア危機によって生み出された政府の債務の激増とその返済からきていることは、紛れもない事実である。

アジア危機以来、2.5年間にインドネシア政府の債務はGNPの23%から、83%に激増した。このような短期間に政府の債務が劇的に急増した例はほかにない。

インドネシア政府の対外(公的・民間)債務は、1,500億ドルにのぼり、GDP1,600億ドルにほぼ等しい。INFIDによれば、昨年、インドネシアは500億ドルの輸出を記録したが、その50%に当たる220億ドルを債務返済にもって行かれた。

インドネシア政府の公的債務は630億ドルであり、このほか政府は国内公的債務として、890億ドルを抱えている。近い将来、インドネシア政府は対外債務の支払い分の2倍、42兆ルピアを国内公的債務の返済に当てねばならないだろう。対外、及び国内債務の支払いは、インドネシア政府の支出の41%にのぼり、税収の61%を占める。近い将来、インドネシア政府は全く文無しになる。これは、インドネシア政府にのみ責任があるわけではない。IMFの危機後の処方箋が間違っていたのだ。今日では、IMFはもはや、債務を増大させる資本の自由化を唱えない。

IMFのスタッフは、一定の条件の元では、資本規制さえ言及している。
2国間の債権者(先進国政府)も責任がある。先進国政府は、スハルト政権時代に1,000億ドルを貸し付けた。英国の企業は政府の貿易保険を利用して、Hawkジェット機と装甲車をスハルト政権に売りつけた。これは、そのまま、英国にたいするインドネシア政府の債務になっている。

先進国政府は、1970年はじめ、スハルト政権誕生後、インドネシアに対して、債務帳消しを行っている。インドネシア中央銀行のHerman Josef Absという独立の仲裁者を任命し、彼の提言によって、西側債権者は、インドネシアの債務の50%を帳消しにした。その結果、インドネシアの債務返済は輸出の6%にとどまった。独裁者スハルトに対して行ったことを、どうして民主的に選出されたワヒドにできないのか。

IMFのスタッフは、インドネシア政府の国内債務の75%に責任がある.。1980年代はじめ、非常にリスクの高い銀行の規制緩和をインドネシアに強制した。これには、何の監督、規制制度もなかった。Jeffrey Sachs教授は、これは、時限爆弾であり、アジア危機の引き金となった。さらに1997年10月、IMFの未熟な使節団が、「直ちに、16の銀行を閉鎖せよ」と命令した。その結果、すべての銀行が操業不可能に陥り、中央銀行がすべての銀行を救済することになった。その結果、インドネシア政府は、貴重な税収のなかの600億ドルを債務返済に当てねばならない。

IMFの失敗のもう1つの例は、1998年1月、スハルトとIMF間で交わされたLetter of Intentである。これはインドネシアのNGOによれば、東ジャワの製糖工場群の閉鎖であった。これは、砂糖産業に従事していた何百万人もの人びとを失業させた。これは、紛争の原因である。
一方、IMFはインドネシアの砂糖の輸入関税を25%にひきさげることを強要した。しかし、最大の債権国である日本は80%もの高い関税をかけている。

IMFはケロシンのような灯油に対する補助金を廃止させた。これは貧困者に最もしわ寄せされた。6月、ジャカルタ、ジョクジャカルタなどで灯油値上げに抗議するデモが起こっている。インドネシア政府、NGO、ともに、補助金の急激な廃止ではなく、税制改革、とくに脱税摘発をおこなうべきだと主張している。なぜならインドネシアでは汚職と同じに脱税天国であった。IMF政策にそむいて、大蔵大臣が脱税摘発をおこなった。その結果、60万人が直ちに、税金を納めた。さらに引き続き、脱税の摘発を行えば、かなりの増税になる。

も う1つ、IMFの誤りがある。IMFは、中央銀行の資本金に公的資金を導入すべきだと強要している。しかし、NGO、政府ともに、中央銀行総裁を含めて、横領と運営の失敗の罪を犯していると言っている。議会の特別調査委員会は、1997年11月から1998年7月までの間に80億ドルの損失を作り出したと、報告している。不正の摘発なしに、公的資金でもって救済せよというIMFの政策は間違いである。