コラム  
「ホワイトバンド」募金活動から政策提言へ」
 
『NPOジャーナル』12号掲載 


1. なぜ、いま途上国の貧困根絶がグローバルな課題なのか?

 90年代、東西冷戦の終了とともに、国連は、子ども、環境、人権、人口、社会開発、女性、人間居住、教育などといったグローバルな課題についてサミット級の会議を毎年のように開催し、行動計画を策定してきた。
 その結果、2000年9月には、ミレニアム・サミットを開催し、2015年までに貧困を半減するという大胆な「ミレニアム開発ゴール(MDGs)」を採択した。この段階では、政府も市民社会側にも、貧困根絶に取り組もうという機運が熟成していた。
 2001年9月11日、ニューヨークで起こった事件は、この流れを変えた。世界は反テロ一色で覆われ、MDGsに対する関心は後退してしまった。むしろ貧困を語るものはテロリストの味方だと誤解されるような雰囲気さえ広がった。ブッシュ政権はテロ撲滅と称してアフガニスタン、イラク戦争へと進んだ。
 しかし、バグダッド陥落後、米英占領軍に対するイラク人の抵抗闘争が全土化するにつれて、またマドリッド、ロンドンとテロ事件が拡大するにつれて、世論は変わり始めた。軍事力でテロを封じ込めることは出来ない。それはテロリストを世界中に拡散させるだけだ。遠回りだけれども、テロの根源である貧困を根絶することのほうが早道だ、と人びとは悟り始めた。なぜなら、テロリストたちは、社会の底辺に押し込められた貧しい人びとの中で生まれ、さらにその人たちの支持なしには生き伸びることが出来ないからだ。
 そして、05年はじめ、機を見るのに敏感なブレア首相は、7月、スコットランドで開催される予定だったG8サミットで「貧困根絶を国際社会の最重要課題とする」ことを呼びかけた。そのために彼は、最貧国のIMF・世銀などが持っている多国間債務を100%帳消しにすることを提案した。
 これは、G8サミットで合意を得て、さらに9月のIMF・世銀の合同年次総会で決定された。
 これまでに至る課程で、国際的なNGOのOXFAMが、ブレア首相を支持して、「貧困を過去のものにしよう(Make Poverty History)」というスローガンで、2015年までにMDGsを達成するよう国際キャンペーンを展開することを呼びかけた。このキャンペーンに賛同する人びとに「ホワイトバンド」を買ってもらう。日本では「ほっとけない―世界の貧困を」という合言葉ではじまった。このキャンペーンには大勢の若者が参加した。このことが、G8など先進国の首脳たちを動かして、債務帳消しを公約させたのだと言えよう。

2. なぜ途上国は貧しいのか?

 現在「途上国」と呼ばれる国ぐには、19世紀以来、ほとんどヨーロッパ、米国、日本などの植民地であった。植民地制度は、農産物や鉱産物などの原材料を宗主国に提供し、宗主国から食糧や日用品を輸入するという国際的規模の搾取関係である。なぜなら原材料は安く、工業製品は高いからである。その結果、植民地は貧しくなる一方である。そればかりでなく、植民地では、教育、医療保健、開発などといった政策は一切存在しなかった。
 60年代、植民地は政治的には独立した。しかし、これまでの経済的な搾取関係は変わらなかった。これを変えるために、国連や世銀、そしてエコノミストたちは「経済開発」を推進してきた。
では、ここでいう経済開発とは何か。それは新しく独立した国を工業化することである。
工業化を進めるには多国籍企業の投資に頼らざるを得ない。しかし、多国籍企業が投資をするのは、そこに安い労働力があるからで、決して現地の経済開発のためではない。この単純な矛盾に気が付かないふりをして、「経済開発が進めば、貧困は解消できる」という誤った理念を推進してきた。「社会開発」、「人間の開発」をなおざりにしてきた。
 一方、先進国政府は、途上国の産業インフラ建設のために、政府開発援助(ODA)を途上国政府に供与してきた。しかし、これは、計画がずさんであった、独裁者のポケットに入ってしまった、あるいは、多国籍企業が利潤を得るために使われたのが多かった。人びとを貧困から解放するために使われなかった。その多くは、経済開発に貢献せずに、かえって途上国政府の債務の増大につながった。
 そして、80年代、途上国に債務危機が始まると、IMF・世銀などの国際金融機関を通じて、途上国に「構造調整プログラム」が導入された。これは、債務を返済するために、途上国政府は緊縮財政、通貨切り下げ、国営企業や公共サービスの民営化をしなければならない。これらすべては、貧困層にしわ寄せされた。その結果、途上国に貧困が急増した。世銀が毎年発表している『世界貧困報告』によると、80年には5億人であった貧困層の数が、2000年には13億人となった。地球上に5人に1人が1日1ドル以下の生活を強いられていることになる。

3. 大企業によるグローバリゼーションはさらに南北の格差を増大させた

 80年代、レーガン、サッチャーの登場とともに大企業主導のグローバリゼーションが始まった。これは「すべてを市場経済に任せる」という新自由主義政策であって、南北の格差の一層の増大をもたらした。
 今日私たちはインターネットの開発で通信の分野では計り知れない恩恵を受けている。一瞬のうちに世界中どこでも通信が出来、居ながらにして買い物などすべてを済ますことが出来る。これは通信のグローバリゼーションである。
 しかし、このような恩恵を受ける人びとは、世界のほんの一部である。まず、コンピュータがなければならないが、これを使うには、ウイルス・バスターやインクなど多くの費用がかかる。読み書きが出来ない人びとにはコンピュータは無縁である。なによりもまず電気や電話が通じていなければならない。
 コンピュータの恩恵にあずかれない人びとはこの地球上の4分の3以上に達しているのだ。グローバリゼーションは一部の人には限りない恩恵をもたらしたが、かえって南北の格差を増大させたのであった。

4. 途上国のNGOのオルターナティブな開発活動

 80年代、途上国の債務危機にともない、IMF・世銀による構造調整プログラムが導入されるにつれて、途上国政府の機能は著しく低下した。債務返済と緊縮財政のため、貧困層に対する教育、医療保健、農村の開発など民生予算が削られ、都市のスラムや山岳・僻地の住民は放置されたままであった。
 これに対して、途上国の学生や知識人たちが立ち上がり、政府に見捨てられた貧困層を対象に、マイクロクレジットの提供からはじまって、有機農法や、森林の回復、女性のエンパーワー、協同組合の組織化など貧困根絶のプロジェクトを実施し始めた。あるいは、住民による子どもの教育、医療保健活動などを援助する活動も展開された。これらは開発NGOと呼ばれ、とくにインド、バングラデシュ、フィリピンなどアジアの国ぐにでは、都市のスラム、農村、山岳地帯、少数民族の間で活発に活動した。中には、1万人以上のスタッフを抱え、1万を超える村々で展開している巨大なNGOもある。
 これは開発NGOによるオルターナティブな開発活動である。しかし、NGOは政府に代わる存在ではない。このような開発は、本来政府がやるべき仕事である。
 そこで、これら開発NGOは、政府に対するアドボカシー(政策提言)活動を行った。アドボカシーとは、NGOの活動の経験を踏まえて、政府と対等な立場で、持続可能な開発、とくに貧困根絶に重点を置くように説得することである。これは高度の政治活動であるが、NGOが政党と異なるところは、政党の政治活動は政権をとることを目的としているが、NGOは、政府の存在を認めた上で、その政策をアドボカシー活動でもって変えさせる。
 途上国のNGOの活動が成熟するにつれて、国際社会もNGOの存在を認めるようになった。そして、92年、ブラジルのリオで開かれた国連の地球サミットで、女性たちによる環境NGOのアドボカシー活動の結果、国連はすべてのNGOに門戸を開いたのであった。市民社会は国際社会の重要なアクター(要員)となったのであった。その時の女性NGOの1人は、昨年、ノーベル平和賞を受賞したケニヤのワンガリ・マタイさんであった。

5.先進国の市民社会の役割

 90年代はじめ、対人地雷の除去や、手足を亡くした人びとの援助をしていたNGOが集まって、地雷を地球上からなくす運動、つまり対人地雷禁止条約の締結に向けて活動を始めた。対人地雷はジュネーブの国連軍縮会議の小火器の中の議題であった。しかし、国連では、核兵器禁止が最優先議題で、これをめぐって大国の駆け引きに明け暮れていた。
 そこでNGOは、ジュネーブをバイパスし、また地雷を最も多く輸出している安保理の5大国も相手にせず、先進国の中のミドル・パワー国、すなわち北欧3国オランダやカナダ政府に対して、アドボカシー活動を行った。そして、ついに97年、オタワで対人地雷禁止条約が締結されたのであった。翌年、NGOはノーベル平和賞を受賞している。NGOは国際政治を動かすまでに成長したのであった。
 翌98年、「2000年までに貧しい国の返済できない重い債務を帳消しにしよう」という国際的なキャンペーンが始まった。これは「ジュビリー2000」と呼ばれた。
 これはNGOだけでなく、カトリック教会、労働組合、女性団体、NGOなど市民社会のすべてが参加した。そして、世界で最も力を持っているG7の首脳たちに直接アドボカシーをしたのであった。
 99年、ケルン・サミットでは、7人の首脳たちは、最貧国の700億ドルの債務の帳消しを公約した。そして、2000年末までに日本を除く6カ国は2国間債務を帳消しにした。日本は、2002年12月に帳消しをしている。
 残ったのは、IMF・世銀など多国間債務であったが、先に述べたように、05年9月に帳消しが決まった。
しかし、これは最貧国18カ国にとどまっている。そして、帳消し総額も520億ドルで、ケルンでの公約を下回っている。さらに帳消しには、構造調整プログラムを言葉だけ変えただけの「貧困削減戦略ペーパー」を実施するという条件がついている。ジュビリーが要求した内容から言えば不十分ではあるが、ひとまず、先進国が債務帳消しに着手したことになる。

5.小泉首相は100億ドルのODA増額の国際公約を執行すること

 しかし、債務帳消しだけでは、貧困を根絶したことにはならない。債務という途上国政府と貧困層にかせられた重いくびきから解放されただけである。貧困を根絶するためには、勿論、途上国政府の腐敗を追放しなければならないし、市民社会を強めなければならない。
 その上で、2015年までに貧困を半減するという国連のMDGsを達成するためには、大量の資金が南の政府に供与されねばならない。
 その第1歩として、05年の英国グレンイーグルズ・サミットでは、ODAをGNPの0.7%拠出するという国際公約について話し合われた。とくに議長国である英国とEUから0.7%の達成の期日を明言するということが提起された。ちなみにEUの中では、スエーデン、ノルウエイ、デンマークの北欧3国、オランダ、ルクセンブルクの5カ国がとっくに0.7%を達成している。さらにアイルランド、ポルトガルがミレニアム直後に達成を公約している。今回のグレンイーグルスでは、ドイツ、フランス、英国が次々と2015年までに達成を公約した。 
 日本のODAは0.19%にすぎない。とうてい0.7%にするのは無理である。そこで、サミットでは小泉首相は、「今後5年間でODAを100億ドル増額する」ことを公約した。
 しかし、財政事情が厳しいので、これまでのODAに加えて新たに100億ドルの財源を調達することが出来ない。そこで、苦肉の策として、イラクの債務帳消しの分と、津波被災国の債務返済を1年間モラトリアムにした結果、日本に返済されるはずであった年間の利子分(インドネシアとスリランカ合わせて20億ドル)を持って、100億ドルの公約に代えることにした。これは、明らかにすり替えである。100億ドルは、ODAに追加した新しい資金でなければならないし、アフリカなど貧困国の貧困根絶に充てられねばならない。

6.「ホワイトバンド」の募金活動から政策提言へ

 日本版「ほっとけない・世界の貧困を」キャンペーンでは、小泉首相に対して、グレンイーグルスでの公約を実施する、つまり新たに100億ドルを貧困根絶に充てるようにアピールしている。それは手紙やファックス、メールを首相に送る、新聞広告をする、または直接首相に面会を求めるなどの行動がはじまっている。これは誰にでも出来るアドボカシー活動である。
 そもそも「ほっとけない」キャンペーンは、日本の市民にホワイトバンドを買ってもらい、それを腕にはめて、「私はアフリカの貧困に関心を持っています」ということを社会に示威するという運動としてはじまった。収益金をアフリカの貧しい人びとを援助することを目的にしていない。
 聞くところによると400万個も売れたのだという。その中には、「関心を持つ」だけで満足している人もいるだろう。しかし大部分の人は、「では次に私は何をすれば良いのか?」と問うに違いない。ここで「ほっとけない」キャンペーンは、ホワイトバンドを腕につけるだけにとどまらず、日本で生活をしていながら、アフリカの貧困をなくすために行動に一歩踏み出す。アドボカシー活動とはこうしてはじまったのだ。
 このような市民1人1人の小さな活動は、途上国の貧困をなくすことにつながって行く。こうして、世界中の人びとが平和に暮らすことが出来る。