コラム  
「呆れた日本外交」
 
『神奈川新聞』「辛口時評」03年10月13日掲載

                
 去る9月10〜14日、メキシコのカンクンで、世界貿易機関(WTO)の第5回閣僚会議が開かれた。会議は、「農業」と「投資」問題をめぐって、幕開けから南北が激突した。

 そして、会議の最終日の14日午後、交渉は決裂した。これは1999年、シアトルでの第3回閣僚会議に次ぐ2度目の流会であった。

 私はNGOとして、この会議に出ていたが、これほど日本政府の無策に腹を立てたことはなかった。まず日本は総勢300人というカンクンでは最大の代表団を送った。その半分は農業団体、経団連などの圧力団体が入っていた。EUなどは15カ国を代表して、ラミー通商代表1人が発言するだけなのに、日本は亀井農水相、平沼経産相、川口外相が、総会の演説、記者会見まで、それぞれがしゃべるというややこしさであった。

 この代表団の陣容にくらべて、日本はあまりにも影の薄い存在であった。

 日本は、「農業」問題では、米・EUと立場を異にする。まず、米国からコメの関税引き下げの圧力を受けている。これに対して、EUと共同して「農業の多面的機能」という表現で、コメの生産を守ろうとしてきた。しかし、カンクン直前に米国とEUが妥協してしまった。当然、日本は、途上国の「食糧安保」に同調すべきなのに、米国に気兼ねしてできない。その結果、カンクンの土壇場で、台湾、イスラエル、リヒテンシュタインといった訳の判らない国を集めて「10カ国提案」を出した。しかも、日本は米国が怖いので、スイスの提案にしてもらった。この提案は全く無視され、議論にもならなかった。
 「農業」問題では、日本は守勢にあるが、「投資」問題では、途上国に対して攻勢の立場にある。しかも、投資問題では、ブラジルなど工業化が進んだ一部の途上国が、米国との2国間自由貿易地域(FTA)交渉の最中にあり、超大国に単独で向き合うより、WTOのような多国間交渉の場で交渉した方が有利だと、心中ひそかに思っている。そのため、態度が曖昧になっていた。日本はこれを有利な材料だと判断した。

 一方、日本と共同提案したEUは、投資問題では一枚岩ではない。最も熱心なのはドイツだが、その政権内には緑の党がいて、必ずしも企業寄りではない。フランスは強力な農民勢力を抱え、投資と引き換えに農業補助金の撤廃を飲むわけにはいかない。

 しかし、日本は、経団連が優先事項の第1に「投資」を挙げており、大挙して政府代表団に入り、圧力をかけているという事情がある。

 そこで、日本は、「農業」に先だって「投資」を議題にすることにした。ところが、日本は日頃から途上国との付き合いがないため、情勢を全く見誤ってしまった。これは日本の戦略的な失敗であった。その意味では、カンクン交渉の失敗の“責任”の一翼を担ったとも言えるかも知れない。

 とこらがアフリカなどの最貧国は、WTOだろうが、2国間だろうが、多国籍企業の投資はなかったし、また将来くるという見込みもない。失うもののない彼らは、「投資」をWTOの交渉議題にすることに断固として反対していた。その数はWTO加盟国の大半を占めていた。

 WTOには、議長が20数カ国を指名して秘密交渉をし、それを総会にかけて採択するという「グリーンルーム」という不透明な交渉の慣行がある。「投資」についても9カ国の「ミニ・グリーンルーム」が開かれたが、不思議なことにこの議題の最大の提案国である日本は呼ばれなかった。ここでの交渉も不調に終わった。続いて開かれた「拡大グリーンルーム」でケニア代表が「投資問題を議題にするならアフリカは退場する」と述べた時、メキシコのデルベス議長は「会議は終り」を宣言した。会場はどよめき、WTO閣僚会議は流会になった。日本外交の無策と孤立がきわだった会議であった。