コラム  
「民主主義を再評価」 
 
『神奈川新聞』「辛口時評」04年5月3日掲載

                 
 今日は5月3日、憲法記念日である。民主主義と戦争放棄を謳った戦後の新憲法は、子ども時代を戦争の下に過ごした私には最も大事なものである。憲法は私たちを爆撃の恐怖から解放した。女子も参政権を得たし、大学に行けるようになった。自由にものが言えるようになった。憲法が発布されたころ頃、私たちはお腹がすいていたし、着る物もなかったし、エアコンもなかった。しかし十分に幸福であった。自由にモノが言えるということは、とても大事なことである。今の若い人には理解できないだろう。ここで私は新憲法が保障した民主主義と戦争放棄がどのような恩恵を日本にもたらしたのだろうかを考えてみたい。

 戦後、日本の民主化のためになにが行われたか。まず農地改革が行われ、農村の絶対的貧困がなくなった。財産税や高率の累進課税などの税制が導入され、戦前にあった極端な階級格差がなくなった。日本人は皆中流となり、そこそこに豊かになった。その結果国内市場が大きくなったし、また貯蓄も増えた。その大部分は郵便貯金や保険に向けられ、公共投資の名目で建設業界を潤した。

 一方、軍隊を解体したため、政府はむだな軍事費に予算を使う必要がなくなった。東西冷戦がはじまると、日本は安保条約でもって米国の同盟国となるが、憲法第9条のお蔭で朝鮮戦争に参戦することなく、逆に戦争特需を享受した。いわば他人の血で経済を復興したのだ。高度成長時代には、日本は、繊維、雑貨など国際競争力のなくなった時代遅れの産業をアジアに工場ごと移動させ、国内では新しい技術の、付加価値の高い産業を興した。日本を取り巻くアジア諸国は安い労働力と豊富な資源を提供してくれた。独裁政権が反共の砦として日本など“自由主義”陣営を守ってくれた。言い換えれば、日本の民主主義はアジアの独裁政権によって守られてきた。しかし日本はアジアの民主化に貢献するどころか、逆にアジアの反共独裁政権を円借款で支え、腐敗の構造をつくりあげた。

 国内では、「所得倍増」などという口当たりの良いキャッチフレーズで働く人びとを騙し、福祉、保健衛生、教育部門をなおざりにした。この中で実際に高度成長したのは企業であった。戦前私たちを支配したのは暴力的な軍隊であったが、戦後は企業である。そして、その支配も、巷の氾濫する広告や美しいショーウインドウなどで実にソフトに行われている。このように戦後の半世紀を振り返って見ると、民主主義と戦争放棄を謳った憲法の最大の受益者は、私たちより、むしろ企業であったのではないだろうか。企業のリーダーたちは、このことを考えたことがあるだろうか。