コラム  
「疑問感じる5輪報道」
 
『神奈川新聞』「辛口時評」04年10月4日掲載

 
8月の新聞の紙面、テレビの画像を埋め尽くしたアテネのオリンピックは終わった。日本人選手の活躍は目覚しいものがあった。とくに日本の女子選手の活躍ぶりは際立った。

しかし、のべつなく日本人選手の競技ばかりが繰り返し報道されると、まるで日本人選手の試合しかなかったのだろうか、という疑問が出てくる。またアテネ・オリンピックははたして成功と言えるのだろうか。私はこのような疑問をあえて投げかけたい。

アテネは世界最大のスポーツ祭典として、あまりにも多くの問題を残した。
アテネでドーピングが発覚して追放され、あるいはメダルを剥奪された選手の数は過去最多であった。日本のマスコミがドーピング問題を報道し始めたのは、ハンマー投げの競技で金メダルのハンガリーの選手が疑われ、2位だった日本の室伏選手に金メダルの可能性が出てきた後のことであった。

ドーピング問題はオリンピックの精神にもとるものであることはいうまでもないが、同時に、選手にとってメダルが大きなカネになるという事実も背景にある。マスコミはこのようなカネまみれのオリンピックの現状にメスを入れるべきではないか。

また近代オリンピックは、本来平和の祭典、フェアプレーの精神を培う場であった。しかし、これがナショナリズムの発揚の場となってしまった。アテネでは、それが醜い排外主義に堕してしまった。
それはオリンピックの花形である100メートル男子陸上競技の際に起こった。ドーピングが発覚したギリシアの陸上選手が国民的英雄であったことから、彼が出場禁止になったことにギリシア人観客が怒り、こともあろうに出場した外国選手(ほとんどがアメリカ黒人かカリブ海出身の選手であった)にむかってブーイングを浴びせかけ、スタートの合図が聞き取れないというひどいことが起こった。観客もフェアプレーの精神を尊重すべきであることが忘れ去られた。

最後に、日本のマスコミが全く報道しなかった重大ニュースがある。それは、ギリシア国内はオリンピック歓迎一色ではなかった、ということである。アテネでは、オリンピック開催中、連日のように激しい反米デモが起こっていた。そしてついに、米国のパウエル国務長官が閉会式の参列を取り止めるという事態にいたった。勿論、国務長官自身は「ワシントンに重要な用事が出来たから」といって、デモに屈したわけではないと言っている。

しかし、このような重大事件を報道しないで、ひたすらオリンピックを美化するようなことばかり続けている日本のマスコミを見ると、戦争中、大本営発表だけを報道していた時代とあまりかわらないのではないか。私はこのようなオリンピック報道にあえて疑問を呈するとろろである。記者はもっと汗をかいて取材をすべきではないか。