コラム  
「イラク戦争はじまる」
 
『神奈川新聞』「辛口時評」3月24日掲載

                
 私は、今、3月20日午後12時15分、イラク攻撃の開始を告げるブッシュ米大統領の記者会見放送を聞きながら、この原稿を書きはじめた。しかし、私には「戦争を止められなかった」という挫折感はない。これは決して強がりではない。

 この戦争には1かけらの正当性もない。第1に、多くの国際法学者が言うように、米国のイラク攻撃は「自衛権の発動」に当たらない。12年前の湾岸戦争は、イラクのクウエート侵攻という不当行為があった。しかし、今日、イラクは、米国にとって緊急の脅威ではない。確かに、国連憲章は自衛権を認めてはいるが、それは、安保理が停戦を決議するまでの短い間という限定がついている。

  第2に、アナン国連事務総長の声明にあるとおり、国連安保理の承認なしに、軍事力を行使するのは、国連憲章違反である。

 ブッシュ大統領は、「サダム・フセインは、ならず者、悪者であり、独裁者である」と叫ぶ。しかし、イラクがクウエートに攻め込む直前まで、彼を支持していたのは米国ではなかったのか?

 79年、ペルシャ湾岸最大の軍事大国で親米王国であったイランに、イスラム革命が起こった。このイラン革命の混乱に乗じて、隣国イラクが攻め込み、8年間に及んだイラン・イラク戦争が始まった。この間、米国はイラクに軍事援助をしてきた。その中には、化学兵器、生物兵器の製造技術や原料まで含まれる。その結果、イラクは中東最大の軍事大国になり、フセイン大統領は、クウエートに攻め込むほどの“ならず者”、そして“ヒットラー並み”の独裁者になったのではないか。

 米国は唯一の超大国として、何でも出来ると思っているようだが、これを阻む国際世論というもう1つの超勢力が存在する。これが私の楽観論の根拠である。

 その証拠は、地球を一周した巨大な反戦ウエーブである。さる2月15、16日、ロンドンを皮切りにニューヨーク、メルボルンにいたるまで、1,200万人から2,000万人が反戦デモに参加した。東京ではわずか7,000人にとどまったが、3月8日には、5万人に膨れあがった。主催者発表で200万人に上ったロンドンのデモでは、人々は「これはデモではない。歴史的事件だ」と叫んだ。確かにこのグローバルな反戦デモは、人類史上最大の直接民主主義の行動であった。人々は、街頭でその意思を表明して、政府やマスコミを動かし、世の中を変えていく。これは、21世紀の新しい民主主義のあり方を示している。

 この反戦デモについて、2月17日付けの『ニューヨーク・タイムズ』紙は、「ここに、依然として、2つの超大国(スーパーパワー)がある。1つは米国であり、もう1つは世界の世論である」と書いた。日本でも、戦争反対は80%に達している。

 この巨大な反戦世論は、フランスやドイツ、そして中間派と呼ばれる安保理の途上国メンバーを反戦の側に結束させた。ブッシュ大統領は、国連始まって以来、手痛い外交上の敗北を喫したのであった。

 小泉首相は、憲法を裏切り、国際協調路線をかなぐり捨て、米国のイラク攻撃を支持するという道を選択した。彼は、国内ばかりでなく、国際世論というもう1つの超大勢力を敵にしていることを忘れないで欲しい。