コラム  
「あきれた日本の防疫対策」
 
『神奈川新聞』「辛口時評」03年5月20日掲載

                
 急に38度以上の高熱が1週間ぐらい続き、一旦下がってもまた熱が出て、呼吸困難になり、肺が侵されて死に至るという奇病がアジアで流行しはじめてから、すでに半年になる。4月はじめ、国連の世界保健機構(WHO)はこれをウイルスによる急性悪性呼吸器症候群(英語の頭文字をとってSARSと通称する)と命名し、全世界に警報を発した。

 SARSは謎の多い流行性疫病である。ウイルスの発生源、感染方法さえ判らない。感染率もスーパースプレッダー(1人で何百人に感染させる患者)がいることが判ったが、何故かについては不明である。死亡率も、時間が経つにつれて、非常に高いということが判ってきた。SARSウイルスには抗生物質が効かない。ベトナムの例で明らかになったように、患者と患者に接触した人を隔離することが、今のところ唯一の対処法である。

 日本では、患者が出ていないことを理由に、SARSに対する積極的な防疫政策が採られていない。私は、4月末にパリから帰国したのだが、成田空港では、単に、北京や香港からの旅客に対して、黄色い検疫申告書を提出してくださいと口頭で呼びかけるだけだった。 

 飛行機はパリ発だったが、旅客の中には、その前に香港や北京にいた人がいるかも知れない。また飛行機自体が10日以内に香港か北京に飛んでいたかも知れない。少なくとも、飛行機が到着したウイングの出口の処で、旅客のパスポートをチェックすることがあってもよいのではないか。これは厚生省から防疫班を派遣するわけでなく、法務省の入管の役人ですむことである。

 かって英国で豚の口蹄病が流行したことがあった。その最中、私は地中海のマルタ島に遊びに行った。ウイーンからマルタ空港に着くと、タラップから空港ビルまでの間にスポンジ状のじゅうたんが敷き詰めてあって、旅客はそこを歩かされた。靴はグジャグジャに濡れて気持ちが悪かったが、文句をいう人はいなかった。その後、ロンドン経由で成田に帰国した。私の隣の旅客はイギリス人で、「日本にうつすと悪いから」といって、わざわざ新しい靴を履いていた。しかし、成田空港では、消毒のスポンジはもとより、検疫は一切なかった。恐ろしい豚の口蹄病は、イギリスからの旅客の靴にくっ付いて、日本に堂々と入国したかも知れない。ゾットする話である。幸い、日本では口蹄病は流行しなかった。

 SARSや口蹄病などが国内に入ってきた場合、実際に担当するのは国ではなく、地方自治体である。しかし、自治体には“外務省”という部局はないので、海外の情報を手に入れることが出来ない。しかも自治体と外務省との直接の情報を交換するという制度もない。

 一方、外務省には、厚生省のように疫病の専門家や医師はいない。ではどうすればよいのだろうか。SARS問題を契機に、内閣府、外務省、厚生省、そして入管の法務省、貿易の産業経済省、地方自治体、そして民間の専門家、市民の代表を加えた危機管理の議論の場を作り、そこで抜本的な制度を作るべきではないか。