コラム  
「責任のある、多元的な、連帯する世界のための同盟 」
Alliance for a Responsible, Plural,and Solidarity-based World-Alliance 21
 
人間の責任憲章
(Charter of Human Responsibilities) 
本文

                
6つの前提となる原則

1. 人類史上、最も急激に変化している現在の状況では、「世界人権宣言」と「国連憲章」という二つのこれまで国際社会の規範となってきたものに加えて、すべての人と社会に共用される第三の規範が必要となってきた。
2. これは、個人レベルと社会レベルにおいて、人間の行動と法の枠組み律する倫理的規範となる。
3. すべての人間関係にとって不可分な「責任」という概念は、普遍的な原則である。それは、「人間の責任憲章」の倫理的基礎である。
4. 個人の活動と社会の間での相互依存がもたらす結果を考慮するならば、責任の概念はより広く考えるべきある。それは次に述べる三つの側面を持っている。(1)人間の行動がおよぼす直接、間接の影響を認識すること、(2)無力感から脱け出するために連帯すること、(3)人間の知識と能力に比例した「責任」の重さを認識すること、である。
5. 「人間の責任憲章」は普遍的なルールを押し付けるものではない。ただ、優先順位と選択肢を提起する。
6. この憲章をもとにして、すべての社会分野に、それぞれの責任についてのルールを策定することを呼びかける。それぞれのルールは、それぞれの社会に対する契約の基礎となる。

前文

人類は、社会的、政治的、経済的、文化的に、相互にこれほど大きな影響をおよぼしあったことなない。人類には、これほどの科学知識、地球の環境を変える力を持ったことがあるだろうか。

これほどの相互依存が計り知れない力を持っているにもかかわらず、また人類がかってないほどの新しい力を持っているにもかかわらず、多くの分野で予想もしなかった危機に見舞われている。

国家内部、また国家間に起こっている経済格差が拡大し、一握りの人びとの手に経済的政治的権力が集中し、文化的多様性が喪失し、さらに天然資源が急激に枯渇するなどによって、世界大に不安定化と紛争が深化し、地球の将来が危うくなっている。

今、人類は、歴史的に十字路に立っている。

にもかかわらず、このような新しいチャレンジに対応すべき社会システムはその機能を失いつつある。たとえば、国家は、グローバルな市場経済の巨大な力の前にその伝統的な役割を失っている。学会は、スペシャリストの狭い関心事に埋没して、グローバルな課題と人類が直面している挑戦を分析し、対決しようとしていない。国際経済機関は、拡大するグローバルな不平等を解決できないでいる。産業界は、利潤追求に忙殺されて、社会と環境問題を犠牲にしている。宗教界は社会が直面している新しい挑戦に向きあおうとしていない。

このような状況の下で、我々は個人レベル、社会レベルにおいて、自身の「責任」を果たすべきである。

この「憲章」はこれらの「責任」が何であるか、どのように実行すべきかを指摘するものである。「人間が果たすべき責任」に基づいて、グローバルな民主的ガバナンスを発展させ、これらの責任を実践する法の枠組みをつくるための第一歩となる。

「責任」とは;

個人、社会、人間と自然との間の相互依存が深まった結果、直ちに、または将来にわたって、個人や社会の行動が社会と自然環境に計り知れない影響をおよぼすようになった。

我々は、現在直面している挑戦に対して一定の役割を果たさねばならない。すべての人は、その「責任」を果たす力を持っている。自らを無力であると思っている人びとも、他と連帯することによって、集団の力で、「責任」を果たすことが出来る。

すべての人は平等であるが、その「果たすべき責任」はその人の可能性によって決まる。より多くの情報へのアクセス、知識、富、権力などを持っている人は、「責任を果たす」ことにおいて、より多くの力を持っている。そして、より多くのものを持っている人は、より多くの義務がある。

「責任」は単に現在と未来の行動に限定されない。それは過去の行動も含む。ある社会が犯した破壊の責任はその社会の人びとによって道義的に認識されるべきである。そして、可能な限り、行動するべきだ。

我々は、現在と未来の行動が及ぼす結果を部分的にしか認識していない。非常に謙虚に、慎重に「責任」をはたすべきだ。

「責任」ある行動とは;

人類の歴史上、伝統的な知恵(宗教的、あるいはその他の)は、人間が責任ある態度をどのようにとるべきかを示唆してきた。これは、現代にも通用するのだが、個人が変革しなければ、社会の基本的な変革は不可能であるということである。

このような価値は、尊厳をもって生きる人間の権利を尊重すること、暴力でなく対話を優先すること、他に対する思いやりと思慮、連帯とホスピタリティ、真実味と誠実さ、平和と調和、正義と平等、そして自己の利益よりも公共の利益を優先すること、などを含む。

しかし、個人あるは社会が、経済発展か、あるいは環境を守り、人権を尊重するかという難しい選択に迫られるとき、これらの価値は相互に矛盾する場合があるだろう。

そのような場合、「人間が果たすべき責任」は、実はこれらの矛盾が相反するものでないことを示している。経済的不正義や人権侵害や環境破壊などの問題について持続可能な解決は必ずあると信じている。人は、これらの関係性を理解すべきである。その人の歴史と現在置かれている状況によって、その人の優先順位は異なるだろうが、それを解決すべき他の課題を無視する口実にしてはならない。

これは、次に述べる「原則」の思想となっている。

人が責任を果たすときの「原則」

我々は、人権がすべての思想と行動の基礎であることを認識する。

我々は、今日及び未来の挑戦に立ち向かうために、文化的多様性を尊重すべきである。

すべての人の尊厳は、他の人と社会の自由と尊厳と切り離すことは出来ない。

恒久平和は、人間の尊厳、人権尊重と正義なしには達成されない。

人格が完全に保証されるためには、精神的、物質的なニーズが満たされねばならない。

権力の行使は、公共の利益に寄与し、また、恩恵を受けるべき人びとによってモニターされるときにのみ、認められる。

人間のニーズを満たすためという天然資源の開発は、環境の積極的な保護と慎重な管理と一体に行なわれるべきである。

繁栄を追及することは、富の公平な分配と一体であるべきである。

科学的研究の自由は、本来、自由が倫理的基準によって制限されていることを認めねばならない。

知識は、それを共有し、連帯と平和の文化のために使うときにのみ有効である。