経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき!
その117 2019年5月27日
「ふるさと」を奪ったイチエフ事故、「原発さえなければ」
〜佐藤暁「失われゆく原子力発電の正当性と将来性」から〜
先日、三重県の兼業農家を訪問し、田畑を案内してもらい、お話を伺った。キャベツ・・エンドウ・ジャガイモ・サトイモ…の畑、ハウスにはトウモロコシ・オクラ・メロン。水を引いた田んぼに植えられた苗がきれいに並んでいる。畑に面した3階建ての高さの倉庫に入ると、大きな農機具がいくつも並んでいてまるで小工場。近所の神社は各戸が交代で掃除をするそう。頑丈に囲われた2体の地蔵も家のすぐそばに。
 
横長の木造の家は沢山の部屋を襖で仕切ってあり、冠婚葬祭や宴会の折には襖を取り払う。一酸化炭素中毒の心配は全くありませんと笑う。部屋からはどちらの方向も近隣の家と遠くまで続く田畑が見える。庭には沢山の実がついた八朔。隣の敷地には新たに建った家にご子息が住んでいる。立派な塀は親の代(百年近く前)からのだそうだ。
 毎日の農作業の話を伺っていて、ああこれが「ふるさと」だ、理解したつもりで理解していなかった「ふるさと」だ、デラシネのように都会の住宅を渡り歩いてきた私には全く想像できなかった「ふるさと」だと感じた。「ふるさと」の実像が脳裏にできた気がした。替わりの土地を与えられても「ふるさと」は戻らない。福島では、多くの人々からこの「ふるさと」を奪ってしまったのだ。「原発さえなければ」との遺言を壁に書き残して自殺した酪農家のことも忘れられない。改めて、東電福島第一原発事故の罪深さを痛感した。

 さて、岩波科学の連載「失われゆく原子力発電の正当性と将来性」(佐藤暁)がこの5月号の第16回で完結した。第5回(2017年12月号)の「原子力発電所と地域経済」では、「開墾―農作業と農具の発達―農繁期―農閑期―農村のサステナビリティ―浸食されていく農村とサステナビリティと原子力」と、丁寧に農業の変遷と原子力との関係を論じていたことを、上記の経験で思い出した。
 第16回総括で佐藤暁さんは、「正当性なき原子力発電の将来性」の小見出しで「原子力発電にとっては、とても困ったことになりました。経済的にも、エネルギー・セキュリティ上も、地球環境の保護の点からも正当化できず、その一方で、重大なビジネス・リスクを伴い、公衆にとっての安全上も危険となれば、正義の女神・ユースティティアの天秤は、大きくバランスを奪うことになってしまいます」と、原子力発電の将来性の無さを強く訴えている。
(注:ユースティティアはラテン語で「正義」を意味する名を持つローマ神話の女神)
 
 長年米国GEに所属して原発の仕事をしてきた人が、「正当性なき」と訴えているのだ。経産省もいい加減に目を覚ましてほしい!