第5回全国連絡会全国会合開催(京都2004/09/12)

下山房雄氏記念講演 「戦後日本の大学問題と鹿児島国際大三教授解雇事件」(全文)
T はじめに−私の大学論の背景 
 下山です。ただいま、過分のご紹介のお言葉をいただいて恐縮です。
鹿児島地裁に提出した意見書では、私は、肩書きをたくさん書きました。裁判所は権威主義だから、こっちも権威主義でいこうと思って、たぶん世間では偉いと思う肩書きは、全部そこに書いた。そのうちの下関市大学長は、今年の3月、2期6年の任期満了で辞めました。代々の市議会議長から辞めろ、辞めろと言われたのですが、辞めないでがんばりとおし、神奈川に戻ってきました。
 ですから、もう私は大学人ではないのです。それから、研究者としてもリタイアだということを社会的に明らかにするために、主要学会である社会政策学会も辞めました。研究者として、私は4つの職場を動いているのですが、その最初は、財団法人・労働科学研究所で、10年ほど働きました。大学とちがって、スランプでモノが書けないという状態で何年もいることは許されない環境で鍛えられるわけですので、そこでの先輩研究者たちは70代、80代になっても、隔年ぐらいにこんな厚い本を次々出す、すごい先生がいっぱいです。私は劣等感もあって、あれと同じことはやれないし、やるまいと、かなり早くから決めていました。
 大学人でも研究者でもない状況で、戦後日本大学問題の流れの中に鹿児島国際大学事件を位置づけるといった講演ができるか、かなり迷ったのですけれども、自由気楽に喋ってもそれで3人の職場に戻る力の一つになると自分に言い聞かせて、いまこの場におるわけです。
 研究者としての私の専門は労働問題、古い言葉では社会政策学です。基礎にしている理論は殆どマルクスです。この点での同門の研究者は少なくありません。しかしその大勢において、研究の方法はウェーバーなのです。研究対象の労働運動については、ほぼ観照に徹する。対して私は、戦後労資関係の認識を、たくさんの争議団を支援しその活動家とつきあいながら、行ってきました。その多くの争議団の1つとして鹿児島国際大の3人も考えているのですね。
 ただ、この争議団が非常に特殊であることも確かです。下関を引き揚げる前に、九州、中国でぜひ行きたいところを何カ所か定めて、今年の1月には妻と2人で開聞岳に登ったのですけれども、そのときに3原告ご夫妻に、我々夫妻を招待してごちそうしてもらったのですね。たくさんの争議団とつきあったけれども、争議団にごちそうしてもらったのははじめてでした。昔、東京争議団の飲み会で、後に日本音楽家ユニオンの代表になる日フィル・ビオラ奏者の松本伸二さんのお酌を受けるというおそれ多いことがありましたが、勘定はワリカンでした。伊能忠敬が日本一の絶景と称賛した枕崎海岸で、鹿児島国際大学事件とは勝つまでつきあわなければならないと改めて思った次第です。
私の大学論といえば、私が市大学長在任6年の後の4年半、作って公開していたHPに収められているテキスト約二百がそうだといえます。このHPは、未だ市大のサーバーで活きていますので、大学HPからはもうアクセスできませんが、ヤフーなどの検索で見ることができます。私の大学論主要テキストとして今日のレジュメに4点挙げていますが(本稿後掲※参照)、そのうちの2、3、4は、そのなかに入っているものです。
 もう1点。私が労働科学研究所、横浜国大、九州大学それぞれで働いているときは大学学長の職に就くということなど全く考えたことはありませんでした。「長」の名でやってきたのは、運動体の事務局長、委員長、書記長、会長、理事長。そういうのをずっとやってきたのですね。
ところが市大学長の仕事はかなりその延長線上です。つまり民主的組織の責任者と同じで、どうやってメンバー、成員の自発性を引き出していっしょにやるかという姿勢です。民主的管理というのでしょうか。会社ではなかなかそれが困難だが、大学では未だそれがやれるということだったと考えます。しかし、トップダウンの管理こそが良い大学を作るとの主張や政策がもてはやされる日本の大学の現状では、民主的管理の可能性は狭くなってきてはいます。

U 鹿児島国際大学事件と私学のワンマン体制
 鹿児島国際大学事件をどう理解するのか。
学長や理事長のコネで教員が採用できる私大が実は多いのですね。賃金もワンマン的に決められる。当然に恣意的首切りもある。世間では「大学自治」と言われているが、自治は教授会自治どころか大学トップの専制的統治であり、客観ルールにより管理されるウェーバーの「近代官僚制」でさえないのです。
 鹿児島国際大学三教授を支援する全国連絡会刊行の『いま大学で何が起きているか』で浜林さんが研究者の権利を論じているのですが、そこで「だいたい私学の経営者にはワンマンが多い」と言われています(79頁)。全くその通りなのです。
 憲法23条の学問の自由は大学の自治に具現化され、大学自治の中核は教授会の人事権というふうに理解されています。しかしそういう教授会自治が実際にあったのかどうかが、実は大問題なのだけれども、あまりそういう問題にならないのですね。教授会に人事権があるかどうかということについて、統計調査も無い。教育公務員特例法4、6、25条によって筑波大以外の国公立大には、教授会に人事権が保障されているわけですが、法人化はその法的保障を力関係による制度ということにしますから、私学・国公立大通じて、教授会に人事権がある大学と無い大学とがどんな具合になっているのか、調査がますます必要になってきたと私は考えています。
 鹿児島国際大学は、今回事件の経過の中で教授会に人事権の無いワンマン型私学に変わってしまったわけです。学長だった菱山さんが、京大閥のコネクションから人材を採ろうとしてうまく行かなかったのが猛烈に頭にきたというのが、率直に言えば、ことのはじまりではないかと思うのですね。それで、自分の閥の人士を動員して、学長の意に添わない人事を進めた3人の懲罰まで突き進んだのでしょう。
 教授会に人事権のある権威ある私学から、筑波と同じ学長直轄の人事委員会が人事権をもつ大学に代わった。しかしそれだけならことはさほど異常ということではなく、普通の私学に代わっただけなのだとも言えます。しかし、非常に劇的でとんでもないと思うのは、その教員採用で学長の意に添わなかった教員3名を解雇してしまったことです。どう考えてもめちゃくちゃだと思うのです。学長が採りたい人材を、教授会のおまえらが採らなかったのはダメだと言って、人事を潰した。それで終わりになったのかと思ったら、終わりにならずに、既定の教授会自治ルールに従って人事を進めた教員を解雇してしまった。これはどうしても許せないというふうに、私としては理解しているわけであります。

V 産業としての大学と産業民主主義の歴史
 高等教育を担当する大学は、あらゆる産業部門が特殊な存在であると同様で特殊でありますが、しかし、産業としての普遍性があるという考えを少し展開させて頂きます。産業では、そこの構成員、多数は労働者ですけれども、その意志がまずは労働のあり方について、さらには経営体のあり方全体について、どのようなかたちで産業の運営に取り入れられるかというのを世界史的に、巨視的に見てみる必要があります。    
まずは労働の仕方については、もともとは、というのは近代つまり資本主義の出発点においては、労働者自治なのです。
 つまり、仕事のテンポとかやり方とか手順とかいうのは、労働者が自分で決めている、労働者世界の内部のことなのです。資本は、それをいわば外側から包摂して、トータルでいくらというふうにして請け負わせるわけです。明治期の重工業の現場労働が○○組、△△組という労働者集団によって、為されたごとくです。内部の秩序は自治なのです。資本主義の初期は原生的労働関係で無権利状態とはかなり違った世界があったということです。労働態様が生産手段体系よりも労働者の体力知力に専ら依存する生産力段階では、マルクスの表現を借りれば、賃労働は資本に形式的に包摂されているのであり、労務管理論の用語を使えば労務管理は間接管理なのです。戦後日本の大学での教育労働も形式的には、そのような段階の労働包摂・管理に似ています。富士大学の川島さんが受けたような侵害を別とすれば、教員がどういう教育をするかは、教授の自由として、個々の教員に任せるというのが、ワンマン体制の私学を含めての通則です。国立大学の場合は、大蔵=文部省が決める運営費(校費+旅費)総額で、大学運営を教授会が請け負ってきたとも言えます。
ところで、道具→機械という生産力革新がもたらした産業革命のもとで、資本の賃労働実質的包摂あるいは経営の労働直接管理の段階に進みます。仕事のやり方は、資本=雇い主のもとで規格化されルール化されます。さらに、19世紀末から20世紀にかけての重化学工業でおきた技術革新は、機械装置の運動態様が労働態様を規定する傾向を一層強めました。テーラーの科学的管理法では、労働の動作研究、時間研究を踏まえて、秒刻みで仕事のやり方が経営側スタッフの手で決められます。そのテーロリズムをコンベア流れ作業で展開したのが、現代の典型的労働様式つまりフォーディズムですね。
分業を徹底させて、仕事のやり方中味については、労働者は考えなくてよい、考えることは不要、作業指導票に指示されたとおりにやるというシステムですね。コンセプション(構想)とエクセキューション(執行)の分離と言われる構造です。
今、日本の大学でおきているのは、ヒラ教員は大学運営に関わるな、研究もやらなくてよい、ということですから、テーラー主義的労働への近接です。セールスマンが目くらまし的に商品をPRするために開発されたパワーポイントでも使い予備校などで作られたソースを学生に伝達するような講義が推奨されます。もうフォーディズムではないですか!国家主義教育、天皇主義教育のための、規格化が厳しく進められている初等・中等教育では、こうした傾向はもっと強力です。式典の進め方が50項目にもなる細部まで様式が決められる。職員会議は全く上意下達の機関に化した。これらは、大学が日本の支配層によって引きずられていく先にある姿と私はみるのです。
 製造現場での労働者からの決定権剥奪傾向に対しては、労働者の側からと労務管理自身の側からの両面で反作用がおきました。労働組合の職場組織が現場交渉によって、イギリスではミューチュアリティーといわれます、あるいはドイツに典型をみるような工場の従業員参加機構=工場評議会による協議によって仕事のテンポとか、小休憩・ティータイムの取り方とかを、交渉的に決定するようになりました。あるいはもっと組合の力が発展すれば、第二次大戦直後の日本の職場がそうだったように、労働者が職場労働条件を自主的に決定するということになります。他方、産業レベルさらに全国レベルで、労働組合の規制力が強まり、あるいは経営や国政(コーポラティズム)への参加が進みます。これが新自由主義登場以前の大きい産業の流れだと思うのです。
 労務管理論においては、徹底細分された労働の高速反復労働が却って能率低下になるとか、労働者に参加帰属意識を持たせるために人間関係重視が必要とかを唱えるのが現代労務管理思想であり、その思想はテーロリズム克服だとしていくつかの姿をとって、実践もされてきています。労働者の職務持ち分領域を拡大する、多能工化ですね、あるいは春闘の際に国際競争の中での会社の勝利の途を考えさせるとかの日本的労使関係は、その一つの姿です。日本的労使関係が、ポスト・フォーディズムと言われたりする所以です。私は、トヨティズムはフォーディズムであり、日本的経営で言われる人間重視は欺瞞的なものと考えていますが、言説の上では現代労務管理思想では労働者が全人格をあげて作業のあり方から会社のあり方に至るまでの領域で参加を重視しているのは確かなのです。
 トップダウン方式を進め、そのトップには「社会」の意思を反映させるためと称して「会社」と「役所」の人士を加える現在の日本の大学改革主流の思想は、現場労働者の参加をキータームにおく現代労務管理の思想にも反するものです。
 私は、大学の自治は、産業自治の一つの姿だと考えるのです。教授会、評議会という決定機構、教員組合、職員組合、あるいは学生自治会というときにはストを行使する交渉機構、こういった機構によって、教育研究労働者、職員=支援労働者、学生=学習労働者の三構成員が大学の管理運営に参加するというのが、大学自治の現在までの到達点といえるのではありませんか。
組織構成員の運営参加については、産業民主主義発展の歴史的経験を踏まえた吟味が必要だと思い、以上にお話しました。この脈絡で考えると、戦後、多くの私学であり続けたワンマン体制や、いま国公立大法人化において推奨されているトップダウン方式を「自治」の名で呼ぶのにためらいます。それならば、全従業員参加と欺瞞的に唱えられながら、実態は社長専制的色彩の強い日本企業を「会社の自治」というのでしょうか。民間会社の場合は、重役会の過半数は社外からなどの縛りはありません。国立大学法人法は、経営協議会の過半数は学外からと定めています(法20条3項)。それでも「自治」というなら、会社の方がよっぽど「自治」でしょう!

W 戦後日本の大学自治の3類型
 学生自治会のストライキに対して、1969年までの東京大学は学生大会議長、スト提案者、自治会委員長の3名を退学させる俗称「東大3原則」で対処してきました。しかし「大学紛争」解決時に締結された「確認書」で「大学の自治=教授会の自治」は誤りであり、教員、職員、学生・院生がそれぞれ固有の権利をもって「自治」に参加するという「三者自治」が宣言されました。しかしこうした「三者自治」は理念に止まり、ほとんど実践されずに今日に至っていると認識いたします。一橋の学長選挙については、学生の意志を問うような仕組みがずっとあったのですが、阿部謹也さんが学長のときに、文部省の熾烈な攻撃でそれをなくしたのですね。それが最後の止めといってよいでしょう。
 いろいろなチャレンジはあったけれども、実現しなかった構成員全体、職員とか学生も含めての自治制度というイメージは当然、今後も追求されなければいけないのだけれども、現実的に現存してきた大学自治の姿は、次の3つの類型です。

教授のみの自治:A 
本雇い教員に拡大された自治:B 
トップ機構(理事会 教育研究協議会 人事委員会など )による「自治?」:C

 北陸大学で教授会廃止という脱法行為がまかりとおっていることを措けば、C類型では、学校教育法54条に「おかねばならない」とある教授会は存在しています。しかし人事権が無い。B類型は学校教育法同条の「助教授その他の職員を加えることができる」を使って、助教授あるいは講師などまでメンバーを拡大した人事権を持っている形です。このB類型には、助教授から教授への昇進人事については教授のみの人事教授会でやるというややAに近い亜種ABがあります。この亜種では、教員相互の平等性が人事権において無い「自治」ということになります。大学の経営形態別に、これらの4類型の存否をみれば次のようになりますね。

私立大学 A AB B C(鹿児島国際大 AB→C)
国立大学 A AB B (筑波大学:C)  国立大学法人 A AB B C
公立大学 A AB 公立大学法人 A AB B C

私が最初に大学常勤教員として働いた横国大経営学部は、私に対して「研究はご自由だが、この学部での教育は困る」といった宣告をするような民主的とはいえない雰囲気に次第になっていった学部ですが(『経済科学通信』73、74号の私へのインタビューで多少の経緯が語られています)、リベラルな経済学部から分離してできた学部ですから、教授会は経済学部の方式をそのまま踏襲で、助教授も教授会には参加するのですね。しかし、助教授は教授昇進人事を扱う人事教授会の構成員ではないのです。つまりAB型。
 その次に行った九大の経済学部は、戦時に向坂逸郎さんがパージされた歴史をもつ所ですね。ここはもっと民主的で、自分のプロモートのときには助教授は参加しないけれども、よそから採用するとか、同僚が昇進のときは、助教授も教授会に参加するB型です。下関市大もこの方式でした。
 以上の私の経験からしても、教授の権威が精神的あるいは学問的なものではなく、助教授に対する人事権をちらつかせて保持されるようなものになりやすいA方式AB方式はB方式に改革する運動がもっと展開されてよかったと思うのです。現在はむしろC方式が、さらに任期制と結びついて広まる傾向で、教員相互の平等性は損なわれ、ごく一部の教員が人事権をもつ形が支配的になろうとしているわけです。
 国立大学法人、公立大学法人では、後掲※※関連法規のところにあげている「教育公務員特例法」適用から外されるわけですから、「学校教育法」規定で教授会は残るが採用・昇進などの人事権は無くなり、C方式になる恐れがある。現に都立大や横浜市大ではそれが劇的に強行されようとしています。
 1980年刊・有倉遼吉編集代表の『解説教育六法』が、いま手元にあるのですが、これを見てみると、「教育公務員特例法」4条の判例「大学教員の採用と教授会」に「昭和54年1月神戸地裁判決」の八代学院大学事件が挙げられています。「大学教員の採用にかかる審査権限は教授会に属し、その自主性に基づきなされるべきものであり、他の機関の干渉ないし影響は、当然に排除されなければならない」との判例です。八代学院は、私学ですね。だから1979年のころは「私学でも「教育公務員特例法」の教授会が採用を決めるということは、準用すべきである」というふうに裁判所は考えていた。鹿児島地裁もこの判例を継承すべきだと私は主張いたします。
 国公立大学の法人化では、教授会自治が実質的に残るかどうか、C方式に行ってしまう大学がどの程度になるのか、この点が重要なポイントです。国立大学のかなりの部分は、例の「国旗国歌法」で君が代斉唱をはじめたりしています。そのような国立大学は、すべてC型のパターンにいくのではないかと思う。公立大学法人化については、運営機構をこまごま決めない形で立法化しました。詳細は地方自治なり大学自治に委ねていると解釈すれば、国立大学法人化よりはよいとの判断があり、事実、公立大学協会執行部は95点の出来と自称していました。しかし私は、白紙部分を作るという形は両刃の剣であり、地方政治の復古主義的勢力と新自由主義勢力のコンプレックスのもとでは、極めて危険なことにもなると言ってきました。その危惧は残念ながら当たってしまい、東京、横浜では現に大学臨時措置法でも事実上はやれなかった廃校をいとも簡単にやってのけようとしています。公立大学協会総会の場での議論で、文部省派ともいうべき学長の何人かが、法人化に際しては一旦全員解雇して再雇用する形が必要と国鉄民営化の手法を想起させる主張をしていましたが、彼らは何かの根拠をもって意見表明をしていたわけですね。
 いずれにせよ、法人化後の国公立大学が教授会自治をCとせず、A→AB→Bの民主化方向で強めることが重要な戦線になると思います。民主化で構成員が多くなり直接民主主義では運営しがたくなるならば、代議員による教授会でもよいでしょう。代議員選挙で教授ではなくて講師が選ばれるといった緊張関係があることは素晴らしいことだと思います。
教授会自治を三者自治に発展させる課題について言えば、国公立大学法人化で教員組合、職員組合がスト権を持つということが、プラス要因になってほしいと考えます。学生参加は、制度を教員側から作っても、学生の主体的条件が現状では、なかなか動きませんよね。この点で言えることはまあ無いのですが、私が日本的労使関係のもとでの多数派組合中の少数派潮流および少数派組合の機能を重視している認識視角を応用すれば、全員加盟自治会だけでなく様々のサークルとの協議折衝を重視して、大学運営に反映させる努力を教員側がやるべきだということになるでしょう。

X むすび−日本の大学発展の途
 日本の大学発展の途として、私はまず進学率の向上、つまり一層の大衆化を主張したいのです。現在の高等教育進学率は5割弱ですよね。高校全入=中等教育の国民教育化に続いて大学教育も国民教育化することが必要と考えます。
ヨーロッパ中世に始まった大学は、僧侶なり行政官養成の支配階級の訓練場所であったわけですが、いまや庶民の教育機関です。この方向を進めるためには、昨年9月の公開シンポで田中昌人さんが強調されているように(前掲『いま大学で何が起きているか』46〜50頁)、国連の国際条約(「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」1966年採択。日本政府は公休日の有給化、スト権、消防士の団結権、中等・高等教育無償化について留保して1979年に批准)、高等教育無償化の国際基準に倣うことを課題とすべきです。日本ではそのことは、普通の庶民はもちろん、大学改革を指向する動きの中でもほとんど取り上げられていません。私学が多いから、無償化は、給費奨学金の一般化をとるなど、いろいろ工夫がいると思うのですけれども、国際標準は、大学はタダだというPRをもっとやらねばなりません。
 日本の高等教育予算が国際的にみて少ないということは、メディアは書きますが、その中身については、研究費が少ないということは展開するけれども、学生に負担がうんと多いということは、ほとんど展開されません。
 高等教育の国民教育化が必要と考えるのは、次代の労働力をいかなる労働力として大学が生産してゆくかについての私の理念に関わっています。私は、大学紛争時の全共闘理論は教養主義的でダメと思っています。産業への労働力育成機関という産業だと大学をおさえた上で、どういう人格に担われた労働力を育成していくかが問題と考えるべきです。産学協同についても、いかなる産学協同かが問題で、絶対反対はナンセンスです。
社会を担っていく労働力を担う人格が、自然社会全体の、宇宙百億余年の歴史を踏まえた全体認識を持たなければ、地球存続的つまり人類存続的な生産なんかはできないわけなのですね。そういう人をつくり出していくのが高等教育機関の任務であるという考えです。
学生はそういう教育労働の対象であるのだけれども、同時に学生は学習労働の主体であり、高等教育は、学生と教員・職員の共同労働なのですね。この点、医療産業も同様です。医師、あるいは関連医療労働者と患者との共同作業でなければ病気は治らないですね。患者だってふてくされて、何もやらないではね。学生もそうでしょう。学生がその気になってやはり教育が成り立つ。
 しかし学生がなかなかそういう気にならない現状があります。『毎日新聞』が毎年秋にやっている調査数字で、1カ月間に本を全然読まなかった生徒の比率があります。大ざっぱに言うと、小学生の低学年では全然読まなかったというのは、2割ぐらいしかいないのです。高学年になるとそれが4割ぐらいになって、高等学校の生徒になると7割ぐらいが全然読まない。大学生はもっと読まないのではないかと思うのですね。
 小中高校の基礎学力をきちんとつけて、自然とか社会現象を不思議だ、何故だと思って認識するというような姿勢が、だんだん萎んだ状態で大学の門をくぐってくるわけですよね。この点では、大学教員は、もっと小中高校の教育に関心をもたねばならないと思います。
少子化が大学教育需要減少にならないためにも、進学率向上は現在の高等教育に重要な課題です。流行りの大学論のなかには、アホがいま大学に来るようになったのが問題で、それが大学がレジャーランドになる原因だと言われる。私はそう考えていないです。
 議会制民主主義のもとで庶民に知恵をつけることこそが、自然とか社会をどうやって維持するかに決定的なわけですね。社会の共同行為は殆ど政治機構を通じて為されるわけで、その権原は普通選挙によって選出される議会ですから、民主主義が多数決民主主義、劇場民主主義にならないために、庶民が衆愚でなくて社会に科学的に働きかけることができる公民にならねばならないわけです。ここにこそ今日の高等教育の意味があり、高等教育の無償化と小中教育改革による大学進学率向上の意味があるのです。
 地球上の自然・社会の維持・発展のための研究拠点としての大学としては、学問の自由の意義を改めて確認したいです。とりわけ、停滞する日本経済から要請されている創造的技術開発にとっての、学問の自由が根幹となる大学の自由な雰囲気の必要性を強調したい。
工程革新で既存の商品のコストダウンで、世界市場を制覇するという道はもう殆どない。結局、独自な製品革新に至るような新しい技術開発をしなければいけない。日本の財界がそういう焦燥感に駆られて、大学は何をしていると彼等の大学改革構想を民間会社的経営体になれという形でおしつけていると思うのです。
 創造的技術開発の人材育成をどうするかというニーズはあって当然だと、私は思うのですが、その為には民間会社的に投資に短期的かつ確実に報酬を要求する姿勢ではダメで、1本の大木を育てるのには千本の苗床が必要で、一見してむだな投資が不可欠だという余裕がなければならないと思います。ただ、その余裕によりかかって大学の教員に腐敗が起きるということも当然あるのですね。そういった意味で、大学の自己規律が自治の中できちんと維持されていかないと、世の中の納得は得られないと思うのです。
 大学にいくら金を入れて、いくらそこから出てくるという新自由主義的な市場取引的構図からではなくて、無数の研究の失敗から、経済世界に大貢献するような成功的発明や発見が生まれるのです。そういう研究は、短期的効率を行動基準にせざるを得ない企業における研究機関では不可能なので、そういう研究にこそ大学の意義があるのに、民間企業と同じようにやれというのでは、何を言っているのかというふうに考えます。
 だいたい現在、民間企業それ自体が非常に深刻な行き詰まり状態にあるわけでしょう。その手法に大学は倣えといろいろな面で言われるのですが、そういう主張の論理が私にはさっぱりわからないですね。
 大学には、アカデニズムの自由な雰囲気が大気のように存在することが、ものすごく重要ですね。戦後半世紀にわたって、中等初等教育においては、学校式典行事における国旗国歌の扱いをめぐって、つまり国家主義、君主主義の位置づけをめぐって、国権の側と教員労組のあいだで深刻な争いがおこなわれてきて、ほぼ文科省側は勝ったのですね。それを大学にいかに及ぼすかといま文科省は考えていると思うのですね。 
 例の「国旗国歌法」が出たあたりに新潟大学とか、岡山大学でおきたわけですが、大学の教員が並んで「君がぁ代ぉは」と君主制賛美の歌を歌っている風景。この中から自由な創造的研究成果など生まれるわけがないと私は考えます。
 技術革新に関わる自然法則の認識においてのみ自由で、社会の認識については文部省お好みのお仕着せでとおすというのは無理でしょう。そういうのは、ちょっとあり得ないと思うのですね。新技術のための自由によって左翼が3割出てもしようがないというふうに財界も考える度量が無ければと思います。自然の観察だけ創造性が発揮されて、社会認識では創造的自由ではなくて、国定でいきますというようなロボット人間ではだめだと思うのです。
 財界との関係ではもう1つ、触れておくべき論点があります。大学論で社会との関係が議論されるときに、いつのまにか社会が産業になってしまっているのですね。社会には住民運動もあるし、労働組合運動もあるし、いろいろな階層の住民がいます。それらを反映しなければいけないのに、なぜ産業だけになってしまうのか。しかも産業組織はカンパニーだけでなく、産業人は会社重役だけではないのです。労働者がおり労働組合があります。鹿児島国際大学事件で争われているターム=「労使関係論」にも関係するのですけれども、労使関係の原語はindustrial relationsというのですね。主体は2つです。ユニオンとカンパニーと、これが産業なのです。
 ところが日本では、産学連携が主流、社会との関係といって、社会からご意見をうかがうというと、だいたい財界代表が出てくる。いろいろな審議会がだいたいそうですけれどもね。公害関係の審議会について、加害者つまり会社代表ばかり集めて被害者つまり住民がいない構成が批判されるごとくです。
 昨年の公開シンポでの田中さんの展開の中にユネスコ「21世紀の高等教育宣言」の大学人の任務として「社会に対して充分に責任を持ち、説明責任を負い、地域社会、国および世界の秩序に影響をする問題の特定と解決において支援的な役割を果たさなければならない」との文言が引かれている部分があります(前掲『いま大学で何が起きているか』42頁)。ここで言われる社会的責任は、広い多元的社会に大学が直接責任を負うということですね。そういうものとして考えないで、何か財界からお呼びすると、社会との関係ができたと言うのはどう考えてもおかしいのです。

 鹿児島国際大学の3教授を戻すというわれわれの闘争勝利は、大学が行かねばならぬ方向への大きな推力になります。逆に負ければ、大学運営トップダウン構造の中でトップが気にいらない人は窒息状態に追い込まれ、大学は様々な意味で危険な方向に進んでしまう流れが強まりますね。我々は、いろいろな戦線でがんばらなければいけないのですが、3人を戻すというこの戦線はその重要なひとこまだというふうに私は考えます。この戦線での闘いからはリタイアせず、皆さんとご一緒につきあい続けると宣言して講演を終わります。有り難うございました。

※ 下山執筆大学論関連主要テキスト:
@「大学改革−何が問題か」(『福岡教育問題月報』67、1993年6月。当日コピー添付)
A「鹿児島地裁への意見書 2003年10月29日」(『いま、大学で何がおきているか』2004年5月、127〜132頁 この意見書は HP『下山房雄の論集』U−37に、補足資料「大学教員任期 制=クビキリ制に反対する声明 1996年3月 九州大学教職員組合中央執行委員会」とともに所収)
B「下関市立大学法人化の論点−検討メモ−(2003/10/16)」( HP『下山房雄の論集』T−56所収)
C「日豪高等教育フォーラム・レポート 経済・社会の変化に対する大学の対応 2002年5月」(HP『下山房雄の論集』T−37所収。Season's Greetings 02.05.29も参照)

※※ 関連法規:
学校教育法第59条「大学には、重要な事項を審議するため、教授会をおかなければならない。教授会の組織には、助教授その他の職員を加えることができる。」
教育公務員特例法第3条5「教員の採用及び昇任のための選考は、評議会の議に基づき学長の定める基準により、教授会の議に基づき学長が行う。」
同 第5条「学長、教員及び部局長は、学長及び教員にあつては評議会、部局長にあつては学長の審査の結果によるのでなければ、その意に反して免職されることはない。教員の降任についても、また同様とする。」
国立大学法人法21条「教育研究評議会は、次に掲げる事項について審議する。……四 教員人事に関する事項 」
(04.12.06―京都講演04.09.12記録を改訂)

『経済科学通信』2003年12月、No.103掲載/重本直利論文
鹿児島国際大学事件―学問の自由と大学人の連帯、そして恐怖からの自由―
   

NEWSを読み解く
 鹿児島国際大学事件―学問の自由と大学人の連帯、そして恐怖からの自由― 

重本直利氏

何が問われているのか
2002年3月29日に発生した鹿児島国際大学における三教授懲戒解雇事件への取り組みも早1年半が過ぎた。この間の支援の取り組みの中で、この懲戒解雇が国際的な高等教育改革の流れに真っ向から逆行する性格のものであることが社会的に明らかになりつつある。すなわち、この事件は、学長や経営側が研究・教育内容および教員審査に直接介入しさらにそれを理由に過酷な処分を強行したものであり、日本の大学の長い歴史の中でも稀有の驚くべき事件であるということである。このことは、大学人の人権つまり教育権・研究権の侵害事件であり、さらには学生の諸権利の侵害につながる事件であると言える。そこでは学問の自由と大学人の人権が問われ大学の存立の根幹が問われている。また、ユネスコ21世紀高等教育宣言をはじめとした国際的諸文書における教員の人権(教育権・研究権)の尊重、さらに職員・学生を含めた大学構成員全員の大学運営への主体的参加の方向性と逆行する事件でもある。事件の詳細な性格についての分析は、既に公開・発表されているHP;http://www.jca.apc.org/~k-naka/、『日本の科学者』2003年2月号を参照されたい。本稿では日本の大学がおかれているより根源的で今日的な性格から鹿児島国際大学事件を読み解いていきたいと思う。

鹿児島国際大学事件からみえてくるもの
鹿児島国際大学における極めて顕著な学長への権限集中、それは学問内容にまで踏み込んだ「独裁的・権威主義的体制」と言ってもよい状況である。現在、国公私立大学を問わず、大学運営はその権限を学長・理事長へ集中させる傾向にある。権限の集中は、民主主義の深化・徹底と相並行して(表裏一体の下で)進むことによってはじめて十全に機能するものである。しかし、鹿児島国際大学事件は人事権を含め権限の集中のみが極端に進んだことによって生じた象徴的な事件である。特に私立大学においては、今後、教授会ならびに教員の教育・研究内容への侵害事例が多発する兆候が見られるようになっている。現在、そのごく一部が表舞台に出ているが、多くは伏されたままで事が処理されている。こうした人権侵害は、国立大学の「独立行政法人化」によって今後加速され、日本の高等教育全体に及ぶことが予測される。また、かつての戦時下に類するような国家主義(ナショナリズム)的なプロジェクトとして研究・教育が方向づけられようとしている。こうした事態の進行は明らかに国際的潮流に逆行したものであり、一国の経済的競争力のために高等教育を改編しようとするものである。それは国際的孤立化を招来することになりかねない。そこでは研究・教育の評価問題を含め「学問の自由」への侵害、学問の自律性の危機を招来する。このことは、大学内での言論・思想の自由の侵害にとどまらず、今後、国民の言論・表現および思想の自由そのものを脅かすものでもあると言える。また、現下の国民の人権状況が大学内での人権状況に反映してもいる。学内と学外の両者は相互に作用して大学内における「独裁的・権威主義的体制」と人権侵害が進行していると言える。今、世界的にみても研究者の人権擁護は重要な課題と位置づけられている。これまでならあまり取り上げられてこなかった研究者の人権擁護が重視されているのは、高等教育の普及、社会的影響力の拡大という現実の反映であると言える。1993年5月にワシントンで結成された「諸アカデミー・学術諸協会の国際人権ネットワーク」(IHRN)は、国際連合が採択した世界人権宣言に基づき科学者の人権擁護の活動を国際的に展開している。日本学術会議も当初、政府機関である故にオブザーバーとしての参加しか認められなかったが、最近正式なメンバーとして迎えられることになったようである。同ネットワークの執行委員にはノーベル賞受賞者が名を連ねている。研究者の人権擁護は今や世界的ネットワークとして展開されようとしている。他方、大学審議会答申と同年同月に発表されたユネスコ「21世紀高等教育に関する世界宣言―展望と行動―」(1998年10月)は、今後の社会的諸課題への取り組みと諸問題の解決にむけて、「学問の自由」に基づく大学の役割を高らかに宣言している。さらにユネスコは「高等教育の教育職員の地位に関する勧告」(1997年)において大学教員の厳格な身分保障を求めている。なお、現在、ユネスコ事務総長は日本人であることを明記しなければならない。ユネスコ宣言がいまだ文部科学省において翻訳されず、関係諸文書が日本国内で広報・普及されないことは、事務総長国としてその責任は重大である。それは日本の高等教育政策がユネスコ宣言の対極に方向づけられている故である。

学問の自由と研究者の人権
こうした事態の進行の中、鹿児島国際大学三教授を支援する全国連絡会は、2003年9月21日「学問の自由と研究者の人権―国際的潮流と日本の課題、そして知識人の役割―」と題する公開シンポジュウムを開催した(協賛団体は、京滋私立大学教職員組合連合、社会文化学会、日本科学者会議京都支部、川島茂裕さんを支援し大学教員の教育研究と身分保障を考える会である)。このシンポジュウムは、国連の国際人権宣言および人権規約に基づく世界的な潮流をふまえて、現局面での日本における危機的な「学問の自由と研究者の人権」の諸状況および今後の高等教育、知識人のあり方・役割を議論することを課題として開催された。また、現在、大学で具体的に起こりつつある人権問題の解決に資する研究者の国内外の連帯(ネットワーク)ためのシンポジュウムになることを期待して開催された。「高等教育の国際的潮流と日本の大学改革」と題された田中昌人氏(京都大学名誉教授、人間発達研究所所長)の報告は、「ディープニング・デモクラシー(民主主義の深化・徹底)」という視点が強調された。高等教育の世界的潮流への評価・確認である。大学審議会答申、独立行政法人化といった国内的な流れの中で、それ以外の指針・基準が示されていない国内の現状に対し、国際的潮流を学び指針とすることの意義である。第二は、「学問の自律性の危機と知識人の役割」と題された紀葉子氏(東洋大学助教授)の報告は、教育・研究主体の側の視点からラジカルに争点が提起された。いまや死語となっている「知識人論」の再興でもある。知識人としての大学人の社会的責任とは何かである。第三は、「国立大学独立行政法人化問題と大学の自治と学問の自由」と題された池内了氏(名古屋大学教授、大学改革を考えるアピールの会呼びかけ人代表)の報告は、国立大学が「知の企業体」へと大きく舵取りをする一大国家プロジェクトの進行という事態への警鐘である。独立行政法人化問題の明確化である。それは学問の基礎が根こそぎにされる現実への警鐘でもある。第四は、「日本における研究者の人権状況と今後の課題」と題された浜林正夫氏(一橋大学名誉教授、JSA科学者の権利問題委員会委員長)の報告は、「大学の経済化・企業化」という一大国家プロジェクトに対して、研究者の人権侵害がさらに多発することへの警鐘を発し、全国的な研究者の連帯(ネットワーク)という課題を提起した。それには、まず研究者の人権(教育権・研究権)侵害の現況についての理解が求められているとした。人権侵害について無反応になりつつある大学人への警鐘である。以下において、これらシンポジュウムの四氏の報告および討論から4つの論点を中心にして、鹿児島国際大学事件の問題性格をさらに読み解いていくことにする。

民主主義の深化・徹底 
民主主義の深化・徹底(ディープニング・デモクラシー)は、特に、高等教育を望む人は、いつでも、誰でも、どこでも、必要な時に学べるという位置づけられているという点であり、この点を、ユネスコ宣言では、「入退学の柔軟化」、「個人的な発達」、「社会正義の文脈における人権」、「民主主義と平和のための機会の提供」において具体化している。高等教育において、「批判的で進歩的な機能の強化」、「学問の自立性の享受」、「社会的責任および説明責任」等を求めている。具体的には、大学での研究・教育が、特に貧困、不寛容、暴力、非識字、飢餓、環境汚染および病気といった「負の遺産」の根絶を強化するという課題に向き合い、民主主義社会に完全にコミットし、平等と正義を育成する変革の推進者となるよう学生の発達を保障していくという課題である。国際人権規約での「高等教育の無償化原則」はこのための基礎的条件となる。しかし、依然としてこの原則に対して日本政府は留保している(国連の社会権委員会は2006年までに留保撤回についての回答を日本政府に迫っている)。さらに国立大学の独立行政法人化によってこの無償化問題は拡散される危険性がある。国公私立を問わず大学の経営基盤を今後どう作っていくのか、この点を民主的に議論していく必要性が問われている。しかし、現実は例えば文部科学省主導の「大学教育支援(COL)」にみられるように、教育を「人的資源としての能力開発」という観点が強調され、国際的潮流としての人間としての成長・発達が保障される視点が欠落している。COLの採択数80件、申請は600件を超えており、わずか3週間で書面とヒアリングが行われて結論を出した。そこでは前述の発達保障と「負の遺産」の解決という視点が欠落している。ディープニング・デモクラシーを推進するために、田中昌人氏は4つの視点をあげた。@自分を律し社会的に自立する、A消費ではなく生産諸活動を学ぶ、B受験制度を廃止し教育を持続的・継続的に保障する(トランジション保障)、C家族の役割、こられを通して個人の中に発達課題を位置づけるという視点である。こうした大学教育に対する評価を経営側からの人的資源開発という観点ではなく、氏は社会的に連帯し共生して形成していく価値のための民主主義的な第三者評価を求めている。教育・研究のみならず制度および機会の民主主義的深化・徹底は、日本の大学改革の切実な課題であり、鹿児島国際大学事件を発生させたこの間の学長を中心とした学内改革との争点の第一はここにある。つまり鹿児島国際大学での権威主義的運営である。ここでは、学問の固有の内在的価値によってではなく外在的な権力や威信によって運営することであり、大学内での人間関係を上下関係・位階制的秩序で捉え、上に対しては強迫的に追従・服従しつつ、下には傲慢・尊大にふるまうということが支配的な大学運営である。それはディープニング・デモクラシーの対極にある。

知識という武器、闘う知識人 
19世紀末フランスにおける「ドレフュス事件」において「知識人」という用語が使われた。それは、軍部と右翼に反対して人権擁護という文脈で使われ、最初から「知識人」は「人権のために闘う存在」として使用されたとした紀葉子氏は、これに続いてノーマ・フィールドの次の言葉を紹介した。
 「つくづく思うのは、この国のアカデミズムの怠慢だ。80、90年代のリベラル派知識人が、どれだけ一般市民向けの言説を怠ってきたのか。反省がないままのツケが溜まり、いまや語りかける言葉を決定的に失ってしまった」。
 このことは、鹿児島国際大学事件が発生した当時の大学関係者の雰囲気でもあり、また他の私立大学、さらには独立行政法人化に対する多くの国立大学関係者のことを指していることかと思える。他方、70年代後半以降急速に広まったポストモダニズム的風潮は「学問は無力である」といった脱構築(言説等の解体)化される中で、知識は言葉の遊戯と化す。紀氏は、「教員というのは暴力(知識という武器)を行使することしかできない存在なのであるという認識に立ってはじめなければいけない」というピエール・ブルデューの言葉を引用した。そして、氏は、「その押し付けられたものを跳ね返す力が学生にあるならば、その教員は淘汰されていって、より新しい知識に到達することもできる。しかしながら、どちらが正しいかわからないけれども、あなたの考えもいいのではないのと言うまま放置されてしまった学生は、次に進むことができない」と結論づけた。これは自らの「責任倫理」を放棄した大学人であり、アカデミズムの怠慢、「闘わない知識人」であると私は思う。ネオリベラリズムという野蛮と闘う知識人ブルデューは、学問を含む文化の領域に経済の領域が土足で踏み込む現実と闘う。学問の評価が、「研究費の獲得額」によったり、成果の上げやすい実証的研究に偏ったり、コンピュータ処理によるもっともらしいデータが横行したりといった現実が進行している。また、「武器としての知識」が「金儲けの知識」へと変貌を遂げている。そこでは、知識人の連帯の場が学問内容(内側)から解体されていくことになっている。「勝ち組み」、「負け組み」という表現が大学の中でも公然と使われ始めている。鹿児島国際大学事件の本質は、人事権をはじめ学問内容の評価を含め、それらが学長へ集中され、学長に組する者が「勝ち組み」であり、学長に組しない者が排除されていき「負け組み」(クビ)となるということである。紀氏は、「知識人は内向きであっては困る。大学人は教育者でもある。教育者が自分のクビを恐れて内向きになってしまう。その中で教育を受ける学生ほど不幸な存在はない。私たちは外に向かって目を開いていく。そのようなネットワークを少しずつ創っていく必要があるのではないか」という言葉で締めくくった。死語となって久しい「知識人」、今こそ、その再論と現実化が待望される。鹿児島国際大学事件は「知識人」とは一体どういった存在であるかをあらためて問うている。時代に迎合し、体制に迎合し、組織に迎合し、ついには権力に迎合する知識と知識人のあり様(解体)という問題がなげかけられている。

「知の企業体」、一大国家プロジェクト
日本経済の活性化のための大学改革、産官学融合、大学の自治(独立性)の解体であり、学問の領域への経済の領域からの侵蝕ということが、一大国家プロジェクトとして取り組まれようとしている。そのための改革は、まず権限が集中され学長を中心とする経営協議会によるトップダウンが行われるようになる。経営協議会と教育研究評議会からの代表によって学長選考会議が設置される。これまでの教職員参加による学長選挙ではなく、この選考会議が実質的な学長選考にあたることになる。いったん学長が選ばれると、学長の意向で学部長選考も行われ経営協議会も教育研究評議会のメンバーも学長の意向が反映されることになる。さらに文部科学省の下にある評価委員会が、経営の観点から効率性の評価を行い、評価の低い学長は文部科学大臣によって解任されることになる。文部科学大臣が文字どおり大学運営のトップとして君臨する。この「知の企業体」連合としての「国立大学法人」は文部科学大臣をトップにして運営される一大国家プロジェクトである。池内了氏は、「知の企業体」への変貌が公共財としての大学の論理を排除するとし、文化に寄与する学問(氏はこれを「実学」に対する「虚学」とする)の排除が一大国家プロジェクトとして推進されようとしていると警鐘を発した。鹿児島国際大学内での完結した支配体制(同学内でのこの間の学長権限の強化に基づく新たな運営体制づくり)はこの国家プロジェクトの流れに先行している。学問の評価も学長が行い、その評価に合わない場合は教授会で可決された人事も廃棄される。それのみならず、そのような人事を進めた教員を懲戒解雇することになっている。学問の自由およびその制度化としての大学自治の担い手は学長となる。このことは一鹿児島国際大学のみならず今後多くの大学運営において懸念される問題である。鹿児島国際大学事件の第三の問題性格は「知識を生産する」組織体の経営・運営のあり様の問題である。そこでは人権問題とともに「知とは何か」の根本が問われている。

市民的自由の制限
私立大学における経営困難を理由とした解雇・人員整理、所属大学への批判による解雇、宗教行事への参加拒否による処分、組合結成・組合員への嫌がらせ・弾圧、研究費差別、事務職への配置換え、隔離部屋(座敷牢)の存在など、社会的に認められている市民的自由の制限が大学内で行われている。浜林正夫氏は、日本の国民全体が市民的権利、人権を侵害されている現状との関わりが重要であり、市民的自由の土台が日本社会全体として崩れつつある中で、大学での人権侵害が進行していると強調した。また、これまで大学人は権利侵害に対する意識が弱く、現在の事態に有効に対応できていない。侵害事例のほとんどが表に出てこない現実があり、本人および周囲が声を上げる必要がある。氏は、そのためにも全国的な連帯(ネットワーク)が強く求められているとされた。新たな大学づくりがいろいろな立場から唱えられ、国あるいは個々の私立大学で具体的な改革が行われている。その中で教育・研究内容が一方的に改編され、同時に市民的諸権利が制限されていくということが白昼堂々と行われるようになってきている。鹿児島国際大学事件では、トップが「国際化」とか「大学院重視」という方針を掲げ、これまでの蓄積や地域特性などを無視して一方的に改革が進められてきた。そこでは民主主義の深化・徹底と逆行する事態が進行している。つまり、恐怖感をいだきながら教育・研究、さらに人事をすすめなければならないといった異常な事態が進行している。こうした現状に対して、我々が抽象的・一般的に「国民のための大学づくり」、「開かれた大学づくり」といってもだめで、やはり学問の自由に基礎づけられた研究権・教育権による改革を行っていかなければならない。ユネスコの諸文書はその意味で重要である。高等教育の国際的基準(グローバル・スタンダード)は明確になっており、そこから市民的諸権利を制限し経済的効率性から学問と大学を再編しようとしているジャパニーズ・スタンダードの現実を批判していく必要がある。任期制についても、現状では特に若手研究者の使い捨てのような現実があり、また非常勤講師の劣悪な教育・研究条件は明らかに人権問題である。例えば、ユネスコが提唱する「終身在職権」という安定的な身分保障が学問の発展にとって重要であるという考えはすでにグローバル・スタンダードとなっている。教育・研究そして生活をいつ奪われるかを危惧しながら、まともな教育・研究が行われることは期待できない。鹿児島国際大学事件の第四の問題は市民的自由の制限である。

最後に
 今、大学人はリストラ(首切り)を恐怖する働く人たちと同様の恐怖の中にある。独立行政法人化を決めた国立大学関係者も同様であろう。明らかにこの国は今「学問の死」を迎えようとしている。各大学間競争の「強制」の中で生き残った大学が「いい大学」であり、負けないように頑張れというのが大学経営の基本にすわっている現実がある。「競争的環境の中で個性が輝く大学」などという矛盾した文部科学省のキャッチフレーズがまことしやかに唱えられ、この競争に勝ち抜ける「個性化」を大学に求めている。この競争に入れない学問、また入っても負けてしまう学問は、その学問の個性とともにその担い手である教員も排除されていくことになる。本来、個性は競争するものではなく共生するものである。この競争の強制の中に公然と差別が行われる。競争に勝ち抜くために目的(多くは経済的であり権威主義的目的)が一方的に立てられ、この目的のために教育・研究内容および人事が進められる。そこでは、不当な扱いを受ける者が多く現れ、その人をみて周りは萎縮し恐怖する。すでにこの萎縮と恐怖の連鎖は大学内にそして社会に蔓延している。これに対し、問題を共有し多元的な価値(個性)が共生できる積極的な仕組み(ネットワーク)を学内外で作っていく必要がある。今回のシンポジュウムでの教職員組合、学会、科学者団体、他の支援団体、そして「三教授を支援する全国連絡会」の連携はそうした試みのネットワークである。今後、このネットワークは国内から国際的な広がりをもつことだろう。そうした中で鹿児島国際大学は「恐怖からの自由」を獲得することになるだろう。鹿児島国際大学事件の解決は21世紀の日本の大学づくりの試金石である。

(しげもとなおとし 鹿児島国際大学三教授を支援する全国連絡会事務局長 龍谷大学)

柴垣和夫氏の「学園側申入書に対する返書」  ―学問の自由と大学自治の尊重を ― 

 以下は,「三教授を支援する全国連絡会」の意見広告(4月27日付)署名者に対して,菱山泉鹿児島国際大学学長から代理人弁護士を通じて送付された「申入書」に対する小生の「返書」です。私信の形で送付したものであり,また,ここで開陳した拙論が大学当局による反省の一助となることも期待して,これまで公開しなかったのですが,送付から4ヶ月以上経過し,三教授の地位保全の仮処分が認められたにもかかわらず,大学当局になお反省が認められないところから,この事件の正しい最終解決に資するべく,公開することにいたしました。文中[7]で,鹿児島国際大学を単科大学と記した個所がありますが,その点は小生の誤解ですので訂正いたします。また[6]の()内の「競技会」は[協議会]の転換ミスです。         (2002年10月5日,柴垣追記)


2002年6月3日
鹿児島国際大学学長 菱山  泉 殿
同上代理人弁護士 金井塚  修 殿

 拝復,5月21日付の「申入書」拝見しました。小生が,「三教授を支援する全国連絡会」の意見広告に,「呼びかけ人代表」の一人となりましたのは,端的に言えば,本来教学の問題として処理されるべき問題が,貴学園(法人)による懲戒権の発動という誤った方法で処理された点に,大学自治の根幹にかかわる難点があると判断したためであります。小生がこの判断をなすに至った資料は,主として学界での友人である八尾信光教授のお話によるものですが,この判断は,貴「申入書」を拝読しても変更するに至っておりません。

 [1] 大学における教員の人事権が,実質的に教学に責任を持つ教授会にあることは,大学自治の根幹として,日本の権威あるまともな大学が維持している原則であり,国際的にも広く認められた原則です。もちろん,そのことが実現していない大学が存在することは小生も承知しており,したがってその欠如を持って違法とまではいえないでしょうが,そういう大学は決して敬意を持って評価されていないことも確かです。

 [2] 小生の判断に寄れば,当該人事における「教員選考委員会」の審議過程並びに学部長による教授会への提案の過程は,上記のまともな大学における通常の手続きを踏襲したものであり,そこになんらかの手続き的瑕疵を認めることはできません。選考委員会における選考過程で,専攻分野の範囲の妥当性や業績評価に関して,必ずしも全員一致の結論が得られず,少数意見が付記された形で教授会に提案されることは,十分あり得ることです。
 もちろん,多数意見(場合によっては全員一致による場合でも)による結論が,本当に正しい判断であったかどうかは,「多数意見」ないし「全員一致」であることによって保障されるものではありません。その当否は最終的には学界による評価によって定まるものなのです。誤った判断による人事は,やがて学界の批判にさらされ,それが繰り返される学部や大学の権威は失墜していくに違いありません。

 [3] 第一の問題は,選考委員会の報告が提出され審議された教授会において,選考委員会における少数意見とそれに同調する7名の教授会構成員が教授会を退席したことにあると思われます。一般論として,教授会を退席しなければならない状況がまったくあり得ないとは思いませんが,このケースでは,突き詰めれば少数意見が通らないことを理由にしているとしか理解できないこの退席は,教授会構成員が守らなければならないルール違反,少なくとも良識に反する行為として,まず批判されるべきでありましょう。
 7名の退席後に教授会が選考委員会の報告の採決を行ったことは,7名の復帰を促す等の努力を欠いていたとすればやや早計の感がなくはありませんが,それ自体は,それを推進した学部長のイニシャティヴと共に,ルールに反することとは思えません。教授会の採決の結果を学部長が学長に報告したのは,当然の行為です。

 [4] 今回処分の対象になった4名の行為は以上に尽きます。選考委員会が多数決により絞った採用候補者の選考範囲や業績評価を巡る意見の対立を別にすれば,多数意見の保持者や学部長の行為に何らの手続き上の瑕疵があるとは,とうてい認められません。むしろ教授会における審議権を放棄して退席した7名の方に,その退席の理由によっては責任が追及される可能性があるものとさえ,考えられます。

 [5] 以上の経過についての認識に間違いがないとすれば,以後の事態の理解はきわめて簡明です。教授会で自らの意見が通らないと判断した少数意見の保持者が学長に直訴し,学長がその意見に同調して,教学には口を出すべきではない理事会に問題を持ち込み,理事会も同様に少数意見の側に立って多数意見の保持者を懲戒処分にした,つまりルール違反に対して発動すべき懲戒権を,意見の対立に適用した政治的処分である,ということです。理事会が設置した「調査委員会」等の活動は,その予定された結論を引き出すための軌道にすぎないと思われます。

 [6] したがって,処分手続きについても,大きな疑義を持たないわけにはいきません。伝統ある国立大学やまともな私立大学では,教員の処分に関しては第一義的には当該教員の属する教授会,また教授会の枠を超えて事が全学に関連する場合や,教授会が機能を停止している場合には教学に関する全学組織である評議会(大学によっては競技会)において審議されるのが慣例です。貴学における評議会の位置については,よく判りませんので立ち入りませんが,この二年間,経済学部教授会が機能麻痺状態にあるとは聞いていません。この教授会を無視して学園(法人)理事会が懲戒を発議し,実質的にも審議決定したところに,小生は本事件の異常さを感じざるを得ません。

 [7] 聞くところによると,貴学では教員人事についての教授会の上申に対して,学長が拒否権を持っているようです。貴学のような単科大学であれば,教授会構成員と学長の専門が近いことが予想されますので,かかる制度の存在理由があるのかもしれません。そうだとすれば,今回の事態について,もし学長が教授会の上申に疑義を持ったとすれば,教授会での審議権を放棄して退席した少数派の直訴に迎合して理事会に持ち込むのではなく,教授会に差し戻した上で,あらためで教授会の対応を見守るべきであったと思われます。意見の衝突は,最初は採用ポストと候補者の専攻分野に関連してにあったようですから,教授会側でもその点について工夫して新たな採用人事が起こせたかもしれません。

 [8] 何れにせよ小生には,今回の貴学理事会による3教授の懲戒処分は,まともな大学における手続き的公正 due process に著しく反していると判断せざるを得ません。

 小生,貴学には平田元学長が就任される直前に教員対象の講演に伺ったこともあり,親しみを感じているところですし,また貴学理事会には小生が尊敬する伊東光晴教授もおられることを,小生は事件後に知りました。
 今回の政治的処分という点で誤った懲戒処分を白紙に戻され,上記[7]の手続きに入られることを願ってやみません。そうされてこそ,貴大学が学問の自由と大学の自治を尊重する名誉ある大学として,敬意を保持される所以と信じます。

敬具


                    (署名) 武蔵大学教授・東京大学名誉教授

p.s. この書簡は,宛先住所が異なる学長と代理人弁護士の双方に,同じ内容のものを別個にお送りいたします。

理の当然  呼びかけ人代表・篠原三郎氏 2002.10.7


 理の当然、こういうことになるとは、初めより思ってはいましたが、鹿児島地裁の判定、全文を読みながら涙がでるほど嬉しくなりました。と同時に、改めてその昔のことですが、小説家、広津和郎の話を思いだしております。
 1949年に起きた松川事件で被告とされていた労働者の一人の書いた詩にたまたま接し、こんな人が列車転覆を図ることなど到底考えられないと思い、救援活動に広くのりだし、結局、最高裁での全員無罪判決を勝ちとった広津和郎の話です。
 田尻、八尾、馬頭の三先生、今回の事件を介し知り話合いながら、三先生とも学生教育に人一倍熱心であり、また研究への知的誠実さもいっそう強いのを感じました。そのうえに、大学のあり方、将来に真剣に取り組もうという姿勢に胸を打たれていました。
 こういう先生たちを解雇しようとする人たちの気持ちがいまだに理解できません。大学の損失です。多くの学生や教職員に対し一片の良心と誠意があれば、すみやかに三先生の処分を撤回し、原状の回復を願いたい、それだけです。

元日本福祉大学教授 

半世紀前の地位保全の仮処分 呼びかけ人代表・山根幸夫 2002.10.25

 東大で特別研究生を終えて、1953年東京の某私立大学の助教授に就任した。翌年2月末になって、大学側から解雇通告をうけた。その理由を、当時の文学部長は、この大学の「家風にあわないから」と説明した。家風を理由に解雇された前例があっただろうか。
 このような不当な理由で解雇されてはたまらない。私はまず日本学術会議学問と思想の自由保障委員会(委員長青木得三氏)へ訴えた。委員には羽仁五郎氏や新村猛氏もいたので、期待を抱いていたが、数回の事情聴取も有耶無耶に終ってしまった。結局、法律的な手段に訴えるしか方法はないと決意した。そこで、友人に弁護士を紹介してもらい、某大学を相手に「地位保全仮処分」を東京地方裁判所へ申請した。その理由として挙げたのは次の2点であった。
(1) 某大学が専任助教授の身分変更といった重大問題を、教授会の議題にもかけないで、解雇処分を決定したことは、形式的にも不法である。
(2) 正当な理由なくして解雇したことは、解雇権の濫用であり、これも又不法である。
 某大学は私が泣寝入りするだろうと思っていたようである。この大学では従来も、このような不当解雇が行なわれていたので、甘く考えていたらしい。東京地裁の審理は8月から始まったが、大学側は色々と口実を設けて審理を引きのばし、故意に進行を妨害しているように思われた。裁判長の度々の督促にもかかわらず、大学が私の申請理由に対する答弁書を提出したのは、11月になってからであった。その内容はすこぶる抽象的なもので、具体性をもたないものであった。裁判長も「このような抽象的表現をしないで、具体例を挙げて答弁するように」と注意した。察するに大学側では私を解雇する正当な理由が存在しなかったのである。裁判長から何度か促されて、大学側は「私がA教授の業務を妨害した」との愚にもつかぬ理由を挙げてきた。そこで、私はA教授に出廷をして証言するよう求めた。裁判長も審理を進める必要上、証人の出廷を何度も促した。しかし、大学側は言を左右にして、これに応じなかった。そのうち大学側の弁護士が交代し、依然として引き延ばし戦術をとった。裁判長は私の申請していたB氏の審訊を行った。あわてた大学側は、改めてやや具体的に解雇理由を挙げてきたが、事実無根の内容で、まったく不等なものであった。この段階で、大学側は勝訴の見込みのないことに気付き、裁判長の勧告に従い、私に和解を申し入れてきた。結局、協議の上、@大学は私に対する解雇を撤回する。A私は1955年9月末日を以って退職する。B大学は1954年4月より55年9月までの給与および退職手当を支給するというものであった。
 こうして私は某大学を退職したが、すでに新しい職場が決定していたからである。仮処分を申請して以来、一年半にわたる闘争であった。まったく孤独な闘いであったが、先輩や友人たちの精神的な支援はあった。
 私に対する不当解雇が発生してから、すでに半世紀も経過した現在、鹿児島国際大学の三教授の事件が発生したということは、まことに驚くべき、情けないことである。まるでこの半世紀が逆戻りしたかのように思われる。私たちは歴史の進行を逆戻りさせることは絶対に許すことはできない。断固として田尻教授の闘争を全面的にバック・アップして、彼らの勝利を克ちとるために頑張らねばならぬ。最後の勝利は必ず達成できることを確信するものである。

(東京女子大名誉教授)