立ち上がった造船労働者たち
横須賀石綿じん肺裁判
住友重機械工業KK 退職被災者のたたかい
じん肺の掘り起こし
1982年5月8日、読売新聞の夕刊は、トップ記事として「基地、造船関係で石綿肺癌が多発」していることを報道しました。その内容は、横須賀共済病院の三浦医師を中心とした研究チームが、過去5年年間のうちに同病院で肺癌により死亡した113名を調査した結果、そのうち39名もの人が石綿肺による肺癌と認められ、さらに14名にその疑いがあるというものでした。

 全造船機械労働組合浦賀分会、神奈川労災職業病センター、神奈川県勤労者医療生協・港町診療所の三者は共同して、浦賀退職者の会の協力を得て、死亡者の追跡調査や「じん肺と石綿肺についてのアンケート」を聞き取りによって実施しました。その結果粉じん職場の経験者に、息切れ、せき、たんなどの自覚症状を訴えている比率が異常に高いことが明らかになりました。また希望者には、港町診療所でじん肺・石綿肺に関する健診を行い、必要に応じてじん肺の管理区分申請を行いました。

 1984年11月、浦賀退職者の会の「じん肺・石綿肺自主健診」を実施、この健診には、シルバー人材センターの会員も受診。後には米軍基地の退職者も健診対象に加え、89年まで毎年11月に行いました。基地退職者についても、石綿を扱ったことのある人に、呼吸器系の自覚症状を訴える人が多いことが明らかになりました。

 自主健診活動を進め、じん肺管理区分の決定を受けていく課程で、じん肺の要療養の人の労災も認定され、じん肺管理区分4及び合併症で治療を行う人もでてきました。
患者会の結成
1985年5月、全造船機械浦賀分会は「じん肺・石綿肺対策委員会」を設置、神奈川労職センター、港町診療所も協力しながら、学習会、総合的な対策の研究、行政への働きかけ等の活動を続けました。この課程で住友重機械退職者と、基地退職者の「要療養者」が急激に増加しました。
 1985年11月、被災者団体結成の気運が高まる中、「横須賀地区じん肺被災者の会」及び「全国じん肺患者同盟横須賀支部」が結成されました。

 二つの患者会は、他の団体と協力し行政に対する要請活動を行うと共に、住友重機械や米海軍横須賀基地に対して上積み補償などを行うよう要求しました。しかし、いずれも退職者に対する補償制度はないとして、なんら責任をとろうとはしませんでした。
裁判の経過
1988年7月14日、住友重機械の退職者8人が、住友重機械(元の浦賀ドック)を相手に「横須賀石綿じん肺訴訟」を横浜地裁横須賀支部に提訴しました。
 原告8名の内訳は、じん肺管理区分4が2名、管理3・続発性気管支炎の合併症1名、じん肺管理区分2・非合併症の人が5名でした。

 提訴後立証の段階に入ったのが1990年12月、原告本人の尋問、主治医による立証、被告側の証人として「けい肺病院」の志田医師による反証など医学的な問題に関する証言が1993年4月まで続きました。志田医師は、提出されているレントゲン写真について「写真の写りが悪い」とけなした上で原告8人のうち6人には「じん肺所見がない」などと信憑性のない証言を繰り返しました。

 1993年7月から職場実態の立証に入り「船の科学館」の宗谷での検証、職場での検証も含め、95年12月まで原告と被告の激しいやりとりが続き、その後鑑定をめぐる攻防、和解による解決か判決かといった攻防の結果、1996年9月30日から和解交渉に入りました。
 裁判所における和解交渉と並行して、全造船機械労組浦賀分会と被告住友重機との話し合いも積み重ねられ、紆余曲折を経ながらも、1997年3月31日に和解が成立しました。

 じん肺裁判の解決にむけて、原告側は「住友の謝罪」「損害賠償」「再発防止」「救済制度の確立」をめざしましたが、住友重機側は「管理区分2」は病気でないと主張し続けました。
 結局「謝罪」「再発防止」は協定書に盛り込むことで合意し、「管理区分2」の扱いは合意に至りませんでしたが、「賠償額」「救済制度に」実質的に盛り込まれ解決しました。賠償額は総額1億400万円ですが、解決時8名のうち4名が「管理区分2・非合併症」で、実質的に「管理区分2」も病気であることを認めさせる内容でした。
支援体制
横須賀石綿じん肺訴訟は、横須賀地区じん肺被災者の会・全国じん肺患者同盟横須賀支部の会員が原告となり、その組織の取り組みと位置づけ開始されました。また、全造船機械労組浦賀分会や(社)神奈川労災職業病センターも全面的に支援してきました。

 運動は全国各地のじん肺裁判と連携して進められ、1991年10月「なくせじん肺全国キャラバン」の横須賀集会の場で、横須賀地区労参加の組合が中心となり「横須賀石綿じん肺訴訟を支援する会」が結成され、横須賀における支援運動を展開しました。

 支援活動の内容は、裁判傍聴、駅頭でのビラ配布に始まり、ニュースの発行、リーフレットの発行・配布、小冊子の発行、ビデオ「立ち上がった造船退職者たち」の製作、2回にわたる署名活動など取り組み可能なものは、次々と実行して住友を追いつめていきました。

 横須賀で行われた大きなイベントは、1992年11月の構成劇を中心とした集会と、96年6月の支援コンサートでした。
 92年11月の集会は、「石綿じん肺訴訟」について知ってもらおうという意図で、石綿粉じんの中で働き健康を奪われ、遂に裁判に立ち上がるまでの課程を構成劇として上演し、雨にもかかわらず約200人がかけつけ、大成功を納めました。また96年の支援コンサートは、社会派のシンガーソングライター横井久美子さんを招いて行われ、400人以上の人たちが集まり、運動を大きく広げました。
全造船機械労組浦賀分会と住友重機械工業(株)の合意内容
1.じん肺管理区分3以上に該当し、労災休業補償継続受給が3年を経過した場合には、 障害等級 とじん肺管理区分との対応関係を次の通りとし、障害補償として退職時に支給する。退職後の場合であっても同様に取り扱うが、補償額は3割を減額の上支給する。
 <管理区分4>
  障害等級5級とみなす。(97年時点で1,080万円)
 <管理区分3のロ>
障害等級7級とみなす。(97年時点で730万円)
 <管理区分3のイ>
  障害等級9級とみなす。(97年時点で430万円)

2.じん肺管理区分4及び3のロに該当し労働不能で退職する場合次の補償額を支給する。
  障害等級3級とみなし、3200万円

3.じん肺管理区分3以上で、退職後にこれを原因とて死亡した場合、補償額は次の通りとする。
  65才まで   1,600万円
  70才まで   1,200万円
  75才まで   1,000万円

備考:管理区分2については合意内容に含まれていないが、労使協議の上管理区分3に準   じて取り扱うこととしている。

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