写真展・じん肺アスベスト被害


基地・造船の街ヨコスカーじん肺・アスベスト被害ー生きる 怒る 支える


 写真展「基地・造船の街ヨコスカ − じん肺・アスベスト被害−生きる 怒る 支える」は、米海軍横須賀基地や住友造船所で働いてきた人々の今に光を当てて記録しておこうと企画されたものです。ご承知のようにじん肺・アスベスト被害は、これまでヨコスカの発展と隣り合わせの言わば負の部分と見なされてきました。街中で咳込むことがはばかれるほど、それらの被害者はひっそりと生きてきたのです。

 日本は今、世界中で最大のアスベスト消費/輸入国の一つです。
1890年代にアスベスト輸入をはじめた日本ですが、第二時世界大戦中に政府は輸入が不可能になったため、約50のアスベスト鉱山の開発を奨励しました。
しかし、現在では北海道富良野におけるわずかな量のアスベスト繊維を取り出している例外を除いてひとつも操業していません。
日本で消費するアスベストのほとんどすべてが外国から輸入されています。

 アスベスト規制については、労働基準法(1947年制定)、じん肺法(1960年制定)および労働安全衛生法(1972年制定)が、じん肺(その一部としての石綿肺)を予防するという見地から取り扱っていました。
1975年に特定化学物質等障害予防規則(1971年制定)が改正され、この中でアスベストは法的に発がん物質として認められ、吹き付けアスベストは原則的に禁止されました。(但しアスベスト含有が5%未満のロック・ウールの吹きつけは1979年まで続けられました。)
1978年には労働省が、アスベスト関連疾患(石綿肺、肺ガン及び中皮腫)に関する労災認定基準を策定しています。

 横須賀においてのアスベスト被災者の救済活動は、1982年5月8日付け読売新聞夕刊のトップ記事で「横須賀共済病院の三浦医師を中心とした研究チームが、過去5年間で死亡した肺がん患者39人のうち3分の1が主に米海軍基地・造船労働者で、アスベストによるものだったという研究結果」を報道したことに始まります。
このニュースにショックを受けた(社)神奈川労災職業病センターと、全日本造船機械労働組合住友重機追浜・浦賀分会が1984年から住友の造船所や米海軍基地で働いていた労働者のために「集団自主健診」を開始しました。
その結果、健診を通じて発見された被災者が補償を受けることができるように神奈川労災職業病センターが支援、また健診を引き継ぐ形で横須賀中央診療所を神奈川県勤労者医療生活協同組合が開設し、被災者の治療を提供するようになりました。

 1986年、米海軍横須賀基地において、空母ミッドウェーの大がかりな補修工事が行われました。
この時、大量に発生したアスベスト廃棄物が不法投棄されている実態を(社)神奈川労災職業病センターが、暴露しました。
この事件が引き金となって、1987〜1988年に学校施設における吹き付けアスベストの除去が社会的に大きな関心事になり、「学校パニック」とまで呼ばれる事態となって、日本の人々のアスベストに関する認識を促進しました。

 1988年、8名の石綿肺に罹患した元造船労働者が、続いて1995年にはアスベスト関連肺がんで死亡した元造船労働者の遺族が、雇用主である住友重機械工業を相手取り損害賠償裁判を起こしました。
この訴訟は共に1997年会社の責任と損害賠償を認めさせ、和解し、また同時に全日本造船機械労働組合住友重機追浜・浦賀分会が会社との間ですべての退職労働者に対するアスベスト被害の補償を認めさせる協定を締結しました。
それだけではなく、これらの裁判を支援していた全ての団体は活動を継続していくことを決定し、同年「じん肺・アスベスト被災者救済基金」を設立しました。
その活動の一つとして、毎年7月に「じん肺・アスベスト健康被害ホットライン」を開設し、今だ救済されないじん肺・アスベスト被災者の掘り起し活動に携わっています。
その相談の中から、米海軍基地退職者における補償問題に取り組み、1998年に米海軍横須賀基地艦船修理廠の元労働者12名と4名の遺族が日米安全保障条約に関連した特別法に基づいて日本政府を提訴しました。
この裁判は現在も係争中です。

 以上のことなどから、この写真展はヨコスカの多くの人達の出会いによって成り立っています。
忘れてはならないのは、じん肺・アスベストの災禍に苦しみながら、その労苦も報いられることなく亡くなっていった先人の造船労働者たちのことです。
そして、またじん肺・アスベスト被害が公に補償されるよう奮闘された医療や諸手続に携わる多くの心やさしき人達のことです。
 この写真展によって、じん肺・アスベスト被害の根絶という21世紀に向けたヨコスカからのメッセージがさらに伝わり広がれば幸いです。

2001年3月

横須賀じん肺被災者の会

全国じん肺患者同盟横須賀支部

(社)神奈川労災職業病センター

じん肺・アスベスト被災者救済基金


下の画像はクリックすると、画像が拡大表示され、説明文が読めます。

写真:原告団会議(米海軍横須賀基地石綿じん肺裁判) 写真:原告聞き取り(米海軍横須賀基地石綿じん肺裁判) 写真:ビラまき(米海軍横須賀基地石綿じん肺裁判) 写真:横浜地方裁判所横須賀支部 写真:弁護士から情況報告
写真:防衛施設庁要請行動 写真:防衛施設庁の責任者に問いただす。 写真:じん肺アスベスト健康被害ホットライン 写真:労災認定された相談者 写真:運営会議(横須賀じん肺被災者の会)
写真:発送作業(横須賀じん肺被災者の会) 写真:労災職業病講座「夫や父を原因不明で失わないために遺族補償制度を知る」 写真:労災職業病講座「安心して過ごすじん肺・石綿疾患の療養生活」 写真:横須賀中央診療所 写真:「在宅患者への定期往診」
写真:「在宅酸素療法」 写真:「ネブライザー」 写真:「欠かせぬ 咳・タンの薬」 写真:「仕事への誇りを示す数々の表彰状」 写真:「ベットの上でもリラックスな姿勢を」
写真:住友重機元従業員、2001年6月悪性胸膜中皮腫で死亡 写真:住友重機元従業員、勤続37年 1999年12月じん肺合併症で労災認定 写真:住友重機元従業員、2000年9月肺がんで死亡 写真:住友重機元従業員、勤続39年 1999年12月じん肺合併症で労災認定 写真:米海軍横須賀基地基地元従業員、勤続29年 1998年2月じん肺合併症で労災認定
写真:米海軍横須賀基地基地元従業員、勤続30年 1991年2月じん肺合併症で労災認定 写真:米海軍横須賀基地基地元従業員、勤続35年 1994年8月じん肺合併症で労災認定 写真:米海軍横須賀基地基地元従業員、勤続26年 1987年6月じん肺合併症で労災認定 写真:米海軍横須賀基地基地元従業員、勤続35年 1991年2月じん肺合併症で労災認定 写真:米海軍横須賀基地基地元従業員、勤続33年 1990年4月じん肺合併症で労災認定
写真:米海軍横須賀基地基地元従業員、勤続16年 1996年8月じん肺合併症で労災認定 写真:米海軍横須賀基地基地元従業員、勤続42年 1997年4月肺ガンで死亡 写真:米海軍横須賀基地基地元従業員、1996年3月石綿肺が原因で死亡 写真:米海軍横須賀基地基地元従業員、勤続20年 1999年10月じん肺で労災認定

上の画像はクリックすると、画像が拡大表示され、説明文が読めます。

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ホームページ 作成日2007/04/13 更新日2007/04/13