じん肺・アスベスト被災者救済基金とは?

 じん肺・アスベスト被災者救済基金は、じん肺及びアスベスト疾患の被害者の救済や支援、じん肺アスベスト疾患の予防と根絶、調査・研究への援助などを目的に、1997年11月設立される。

 1982年5月8日付け読売新聞夕刊のトップ記事で「横須賀共済病院の三浦医師を中心とした研究チームが、過去5年間で死亡した肺がん患者39人のうち3分の1が主に米海軍基地・造船労働者で、アスベストによるものだったという研究結果」を報道したことに始まります。
 このニュースにショックを受けた(社)神奈川労災職業病センターと、全日本造船機械労働組合住友重機追浜・浦賀分会が1984年から住友の造船所や米海軍基地で働いていた労働者のために「集団自主健診」を開始。
 その結果、健診を通じて発見された被災者が補償を受けることができるように神奈川労災職業病センターが支援、また健診を引き継ぐ形で横須賀中央診療所を神奈川県勤労者医療生活協同組合が開設し、被災者の治療を提供するようになりました。
 1986年、米海軍横須賀基地において、空母ミッドウェーの大がかりな補修工事が行われ、この時大量に発生したアスベスト廃棄物が、不法投棄されている実態を(社)神奈川労災職業病センターが暴露し大変な問題となりました。
 1988年、8名の石綿肺に罹患した元造船労働者が、続いて1995年にはアスベスト関連肺がんで死亡した元造船労働者の遺族が、雇用主である住友重機械工業を相手取り損害賠償裁判を起こしました。
この訴訟は共に1997年会社の責任と損害賠償を認めさせ、和解し、また同時に全日本造船機械労働組合住友重機追浜・浦賀分会が会社との間ですべての退職労働者に対するアスベスト被害の補償を認めさせる協定を締結。
それだけではなく、これらの裁判を支援していた全ての団体は活動を継続していくことを決定し、同年「じん肺・アスベスト被災者救済基金」を設立に至る。

基金設立までの歩み・その後の主な活動

1982年05月 「横須賀で5年間に39人が石綿肺ガンで死亡」と読売新聞報道
1982年11月 全造船機械労組浦賀分会・神奈川労災職業病センターが「石綿作業による健康障害」のアンケート
1983年04月 港町診療所で、浦賀退職者の会のじん肺健診開始
1986年10月 米空母ミッドウェーによる石綿不法投棄発覚。石綿問題全国化
1988年07月 横須賀石綿じん肺訴訟提訴(住友重機械・原告8名)
1989年09月 横須賀中央診療所オープン
1997年03月 横須賀石綿じん肺訴訟、勝利和解
1997年03月 住友重機械退職者のじん肺補償協定も発足
1997年11月 じん肺・アスベスト被災者救済基金設立
1999年07月 第1次米海軍横須賀基地石綿じん肺裁判提訴
2000年09月 第9回田尻賞受賞
2002年05月 第2次米海軍横須賀基地石綿じん肺裁判提訴
2002年10月 第1次米海軍横須賀基地石綿じん肺裁判 、完全勝利判決
2003年05月 第1次米海軍横須賀基地石綿じん肺裁判控訴
2003年05月 時効を理由に控訴されていた5名が逆転敗訴という不当判決
2003年07月 第3次米海軍横須賀基地石綿じん肺裁判提訴
2003年07月 第2次住友重機石綿じん肺裁判提訴
2003年08月 NPO法人として認可される
2004年04月 第1次米海軍横須賀基地石綿じん肺裁判最高裁上告不受理決定
2004年11月 第2次米海軍横須賀基地石綿じん肺裁判勝利和解解決
2004年11月 世界アスベスト東京会議
2005年05月 第3次米海軍横須賀基地石綿じん肺裁判勝利和解解決
2006年10月 第2次住友重機石綿じん肺裁判勝利判決
2006年11月 住友重機械控訴断念・1審判決確定、原告勝利
2007年02月 横須賀市追浜東町から横須賀市米が浜通へ事務所を移転

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ホームページ 作成日2007/04/13 更新日2007/04/13