自治労音協通信
   NO26号/98.3.25発行 4面

第31回全国青年団結集会で構成詩発表 

香川県職労 細川 剛 

 全国青年団結集会は二千三百人が結集し、香川県高松市で開催されました。日音協香川県支部準備会が中心となり、オープニングで「レール」など数曲を合唱で発表。これまでのパネルディスカッションにかわり、実行委員会企画としてこれまで続けてきた、政治学習会の中身を、七○分の寸劇で構成し、自治労、国労、全逓、私鉄、教組、電通、民間の職場実態を報告しました。この取り組みは、参加者の職場実態に共通する視点を訴え共感を得ました。

 また集会のメインでもある構成詩は、自治労観音寺市職の保育所民営化委託反対の闘いを描いたもので、会員の福田千鶴さんも参加して、職場実態を何度もつき合わせる中で、昨年十一月から十三回のヒアリングと制作会議をもち出来上がりました。発表は、県本部保育所部会の保母さん十一人が中心となり全農林、日教組の仲間も加わり、挿入曲の「ねえせんせい」(詩・曲=大原)「だきしめたい」(詩・曲=伊瀬)を四国の仲間の伴奏の協力で発表しました。ギターを細川・三好で、ベースギターは藤本(全逓徳島)、アコは滝下(全逓徳島)キーボードは会員の岡光子(国労)と南原(全逓)が担当しました。

 集会をとおしてのシングアウトでは、岡さん(全逓)のリードで、香川の自治労の仲間のオリジナル曲「和平と愛実」「ラブ地球」「もっと自由に」「YOU DO」などを歌唱指導しました。

私と音楽「ボサノバとの出会い」part1

新潟県職労 山本英二 

 今年はボサノバ誕生四○周年だという。これから書くのは、今から十年とちょっと前の話だから、ボサノバが三〇歳位だった時のこと。ボサノバの生みの親の一人である、アントニオ・カルロス・ジョビンが来日したことがあった。コンサートの様子がNHKで放映されるのを知り、前から興味があった僕は、日曜夜十一時頃のその番組を観た。それが始まりだった。

 「ボサノバ」という言葉は、僕にとって大人の響きを持つものだった。その頃僕は新潟県に採用されて二〜三年目。新潟市の実家から離れ、長岡市にある独身寮で生活していた。高校の時からつきあっていて少し前に別れた彼女のことを引きずりながらも、既に足を突っ込んでいた青年部運動が楽しく、少しは大人になった様な気がしていた。ちょうどそんな時のことだった。

 テレビに映された彼はピアノを弾きながら歌っていたが、ささやくような声は少し調子はずれっぽく(もっとも彼は「ジザフィナード」という曲の中でそのことを自ら「告白」しているのだが)、正直言って期待はずれだった(あの頃は何も分かっていなかったのだ)。その後「こんなはずはない、ボサノバってもっとかっこいい音楽のはずだ」と、レコード店へ行きボサノバのレコードを探した。広いジャズのコーナーの隅にボサノバ(というよりはブラジルポピュラー音楽、以下MPB)のレコードがほんの少し置いてあるが、どれを買えばいいかまったく分からない。店員に尋ねると、「これなんかいいですよ」と、一枚取り出してくれた。「ゲッツ/ジルベルト」というレコードだ。薦められるがままに買い、帰って早速聞いた。音が流れ出すとともに鳥肌が立ち、「これだ!大当たり!」という感じ。ジョアン・ジルベルトの甘い歌声と、アストラッド・ジルベルトの透明感ある声。それにスタン・ゲッツのサックスがからみ、A・C・ジョビンのピアノがさりげなく、しかも印象的に添えられる。その絶妙のコンビネーションにすっかりはまってしまった僕は、その後A・ジルベルトやボサノバのオムニバスアルバム等を次々に買い、聞きまくった。

 そしてあるオムニバスアルバムに入っていた、「ばらに降る雨」というA・C・ジョビンの名曲を聞き、それを歌っていたエリス・レジーナの虜になり、ボサノバだけでなくMPBの世界へ、より深く入り込むことになってしまうのである。(つづく)

★事務局情報 第6回自治労音楽協議会総会ご案内

 第六回自治労音楽協議会定期総会は、一九九八年四月二十五日、大音楽会終了後の午後四か五時より六時まで、宿舎の『ホテルとみのや』で開催されます。

 自治労富山県本部は事務局長の磯野友一さん(富山県職労)を中心に、自治労コンサート、はたらくものの音楽祭の受け入れ体制の準備でがんばっています。

 新年度で何かと忙しい時期ですが、多くの仲間の参加をお願いいたします。

 なお、総会の出欠について同封のお葉書を必ずご返送ください!

 また、欠席の場合は委任状となりますので、四月二十二日までに、必ず御返送くださいますようお願いいたします。

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