

装幀*水橋真奈美(ヒロ工房)
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=2&products_id=100095
写真・素描*山口泉
(書影スナップ=中根秀樹さん/撮影・提供)
四六判・上製・総544頁
定価 3,990円 (本体3,800円)
現在、発売中
★ 下記サイトからお申し込みいただけば、送料無料です。
★ エッセイ
【新 刊】
長篇小説
『アルベルト・ジャコメッティの椅子』
(芸術新聞社)

*装本=高麗隆彦
*装画=Alberto Giacometti
(“Paris sans fin”133e)
四六判・上製・角背・カバー装・320ページ
定価2200円+税
ISBN 978−4−87586−184−3
2009年11月20日、発売
★週刊「金曜日」2010年4月2日号=793号に、
江尻潔さん(足利市立美術館学芸員)による書評
「一枚の版画が滲ませる仄かな希望の光」
が掲載されました。
同誌「きんようぶんか」欄リニューアル後、初の号の
トップ1ページ書評です。
*
★週刊「読書人」2010年3月12日号=2829号に、
辻井喬さん(作家・詩人)による書評
「全体小説のためのエスキース----
現代の基本的な問題を総て映し出そうと」
が掲載されました。
*
★「信濃毎日新聞」2010年2月7日付
朝刊1面の看板コラム
「斜面」で、紹介されました。
*
★2010年1月上旬〜2月上旬、
ジュンク堂書店難波店(電話/06-4396-4771)3Fの人文書コーナーにて、
《店長本気の一押し! 「爛熟と、闘争と、藝術と……
山口泉『アルベルト・ジャコメッティの椅子』》
ミニ・フェアが開催されました。
*
★併せて、ジュンク堂書店PR誌「書標」2010年1月号に、
福嶋聡さんの書評
『小説を書くとは、読むとは、いかなるいとなみなのだろうか?』
が掲載されています。
*
★週刊「図書新聞」2010年1月23日号=2950号に、ロング著者インタヴュー
「『日本文学』の彼方へ/『朝露』のごとき『希望』の可能性のために……
『アルベルト・ジャコメッティの椅子』を上梓した山口泉氏に聞く」
が掲載されました。
*
★「日刊ゲンダイ」2010年1月8日号
「ブック・ガイド」で、紹介されました。
(「バブル期の日本に背を向ける文学青年」)
*
★「出版ニュース」2009年12月下旬号「ブックガイド」で紹介されました。
*
★元「週刊ポスト」編集長・関根進さんの超人気ブログ
『ガンを切らずに10年延命』で、御紹介いただきました。
(第399回「絶望の淵に希望がある」)
*
★12月15日、「日本図書館協会選定図書」に選定されました。
*
★12月14日、「週刊ポスト」12月25日号
「ポスト・ブック・レビュー」で紹介されました。
2008年、隔月刊《アート・トップ》(芸術新聞社)に、
5回にわたって連載した、掌篇小説連作『虹の腐刻画』のうち、
4回を占めた「アルベルト・ジャコメッティの椅子」に、
新たに大幅な加筆・増補を施したものです。
(雑誌掲載時120枚弱だったテキストが、500枚ほどに拡充しました)
私にとって、単著としては17冊目、
小説としては6年ぶりの著書となります。
*
私の他のすべての作品と同様、
さまざまな読まれ方が可能だと思いますが、
内容的には80年代初頭の東京を舞台として、
日本の救いがたさを、青年層の交流を中心に描いた物語です。
私としては、これまでの諸作とも違う、
一見、擬似「私小説」的な構成のなかに、
差別の重層性、ハイパー資本主義下の大衆の意識、藝術と社会、
ヨーロッパとアジア、天皇制日本のメンタリティ、韓国現代史と日本との関わり
……等等を盛り込んだ、
具体的な時代性・歴史性を、
最も濃密に刻印した作品かとも思っています。
*
装画には、
パリ・ジャコメッティ財団から使用許諾を受けた、
アルベルト・ジャコメッティ最晩年の
傑作石版画集『終わりなきパリ』の1点を使用しました。
(その「意味」については、本作をお読みください)
そして装幀は、
これまで河出書房新社からの拙著7冊のうち、
4冊を手がけていただいた、
本邦最高峰の装幀家・高麗隆彦さんに、
今回は、装本全体を手がけていただいた結果、
小説本のそれとして、いまだかつてない、
眼が醒めるような、斬新で美しいものに仕上がっています。
*
お手に取っていただくとともに、
よろしければお知り合いにお奨めいただき、
また最寄りの図書館へのリクエストなど、
していただけますと幸いです。
【帯文から】
私は世の狂躁に背を向け、1枚の版画を買った……
1980年代、幻の繁栄に沸く日本列島。
海峡を隔てた地では、無辜(むこ)の市民たちが闘いのなかに命を散らしていた。
青年は自らを流謫(るたく)し、世界を覆す「物語」を夢想する。
絶対の孤独の底で彼を支えるのは、一脚の「椅子」──。
それは「芸術」の究極点なのか。
孤独に苛まれる、すべての人に贈る!
世界を 覆す物語は 可能か?
現代文学の極北に黙示録的地位を占めつづける孤高の作家、
6年ぶりの新作長篇!
新作・最近の活動
★ エッセイ
百年の果てに開花する、真の「藝術」の救済力
「光州民衆美術」の21世紀的現在
――「庚戌國恥100年企画招待展」から
(「図書新聞」2011年2月19日号=3002号=8面全)

(写真撮影・遠藤京子)
★ エッセイ
日本の罪科を静かに問う、
清冽な怒りの絵画
――「庚戌國恥100年企画招待展」全情浩『朝鮮のあさ』紹介
(「週刊金曜日」2010年12月10日号)
★ エッセイ
「人間が住むべき世界」の希求に命を賭して
----光州事件を支えた青春群像の記録
林洛平著・高橋邦輔訳『光州 五月の記憶――尹祥源・評伝』(社会評論社)書評
(「図書新聞」2010年12月4日号=2992号)
★ エッセイ
苦しみさえも美しい画布
----美術の戦士・全情浩の弁証法的画業に寄せる7章
(日韓2箇国語)
(庚戌國恥100年企画招待展/全情浩「朝鮮のあさ」展・図録)
〔2010年11月18日〜12月1日/大韓民國光州廣域市ロッテ百貨店ギャラリー〕
★ エッセイ
5・18と8・15の間
事件30年後の光州から「戦後日本」へ
(「世界」2010年10月号)
★ エッセイ
静かな祝祭の都、秋へ----
ロンドンに息づく「相互扶助」と「連帯」の精神
(「ミュージック・マガジン」2010年9月号)
★ エッセイ
この苦闘を強いる者は誰か?
----徐京植(ソ・キョンシク)評論集
『植民地主義の暴力/「ことばの檻」から』(高文研)
書評
(「週刊金曜日」2010年8月6日・13日合併号=810号)
★ エッセイ
「新しい中世」下の詩人の不幸
----私が宮澤賢治について書き落とした、二、三のこと
季刊「月光」第2号
「発見! 宮沢賢治『海岸は実に悲惨です』」
(勉誠出版)
★ インタヴュー
“五月の光州の現場に接し、感銘”
----「事件」30周年の光州を訪れて
(大韓民國「光州日報」2010年5月20日付)
★ エッセイ
絵画が絵画でありさえすれば良くなった時代に----
サイモン・シャーマ著『レンブラントの目』
(高山宏訳/河出書房新社)
書評
(「週刊読書人」2010年4月2日号=第2832号)
★ エッセイ
日本美術史のバッハ
「没後400年 特別展 長谷川等伯」展評
(「週刊金曜日」2010年3月12日号=790号)
★ エッセイ
幻影の 第n次政府の 彼方へ----
「テレビ評」連載の終了にあたって
(「週刊金曜日」2010年3月5日号=789号)
★ エッセイ
福澤諭吉への 擁護論・雪冤論は 妥当性を持つか?
2010年1月のテレビ評
(「週刊金曜日」2010年2月5日号=785号)

★ ロング・インタヴュー
「日本文学」の彼方へ
「朝露」のごとき「希望」の可能性のために
『アルベルト・ジャコメッティの椅子』を上梓した山口泉氏に聞く
●6年ぶりの長篇小説を上梓して
●80年代初頭の日本と韓国が背景に
●運動の中にすら抜き難い事大主義が
●地を這うような思いで探し当てていく「希望」
●「作家」とは小説と批評を等価に書く存在
(「図書新聞」2010年1月23日号=2950号)
★ エッセイ
「明治という時代人」 礼讃ドラマが 描こうとしないもの
NHK3年がかりの大作『坂の上の雲』の歴史観の諸問題・序説
(「週刊金曜日」2010年1月15日号=782号)
★ エッセイ
日本人が 免疫寛容の果てに 喪ってきたもの
オバマ米大統領来日と、
天皇在位20周年式典など
(「週刊金曜日」2009年12月4日号=778号)
★ エッセイ
真に糾弾すべきが 何かを 見失わないために
オバマ米大統領へのノーベル平和賞授与と、
谷垣禎一自民党総裁の鳩山由紀夫首相所信表明演説攻撃をめぐって
(「週刊金曜日」2009年11月13日号=775号)
★ エッセイ
コスモスのごと 可憐な 「無血革命」に寄せて
鳩山新政権と2009年9月のテレビ
(「週刊金曜日」2009年10月2日号=769号)
★ エッセイ
“ポスト戦後” 擬似革命の 気運と気分の間
今般の衆議院選挙結果をめぐって
(「週刊金曜日」2009年9月4日号=765号)
★ エッセイ
戦後日本最良の「制度圏」知識人の自画像
自らの帰属する国家・社会への真摯な認識と問いかけ
辻井喬『叙情と闘争/辻井喬+堤清二 回顧録』
(中央公論新社)書評
(「図書新聞」2009年8月29日号=2931号)
★ エッセイ
議会制民主主義の 地金の輝度の 問われるとき
衆議院選挙を目前にした時期のテレビ評
(「週刊金曜日」2009年8月7日・14日合併号=762号)
★ エッセイ
革命の弁証法の 悲惨と可能性
草森紳一『中国文化大革命の大宣伝』
上・下巻(芸術新聞社)書評
(「週刊金曜日」2009年7月3日号=757号)
★ エッセイ
人間よ 命を 値踏みするな
2009年6月のテレビ評
(「週刊金曜日」2009年6月26日号=756号)
★ エッセイ
この悪辣な政権を 一刻も早く 覆滅しなければ
2009年5月のテレビ評
(「週刊金曜日」2009年5月29日号=752号)
ブロードバンドTVに出演しました
(画像提供:はいからCHANNEL)
2009年5月1日(金)から、約2箇月、
ブロードバンドテレビ『はいから万歳』で、
私のインタヴュー(前編20分・後編20分)が配信されました。
http://www.iiv.ne.jp/haikara/1ch/1ch.html
現在、アーカイヴからは消えていますが、
いずれ、you tubeへもアップされてゆくようです。
★ エッセイ
禁画家が照射する 日本人の怯懦(きょうだ)の 克服のために
『アトミックサンシャインの中へin沖縄』展
(沖縄県立博物館・美術館)における、
大浦信行『遠近を抱えて』の不展示をめぐって
(「週刊金曜日」2009年5月1日・8日合併号=749号)
★ エッセイ
廃墟の王
埴谷雄高と「戦後文学」の終焉
*思うところあって、私が初めて書き下ろした、
本格的な埴谷雄高論です。
大岡昇平・太宰治を批判しつつ、
埴谷雄高と松本清張の補完性について考察しています。
(「松本清張研究」第10号
特集「同年に生を享けてbb1909年生まれの作家たち」
/2009年4月・北九州市立松本清張記念館)
★ エッセイ
厚顔な二重基準と 根深い国家主義の 遺伝子
2009年4月のテレビ評
(「週刊金曜日」2009年4月17日号=747号)
★ エッセイ
この国と 私たち自身を 見放さないために
2009年3月のテレビ評
(「週刊金曜日」2009年3月20日号=743号)
★ インタヴュー(再録)
制度内で優れている
木村俊介『変人 埴谷雄高の肖像』
(文春文庫 2009年3月新刊)
*木村俊介 『奇抜の人bb埴谷雄高のことを27人はこう語った』
(1999年・平凡社刊)が文庫化されたもの。
私への、木村氏によるインタヴュー
「(埴谷雄高という文学者は)制度内で優れている」(1998年3月2日収録)は、
今回の文春文庫版では、286ページから307ページにかけて収録されています。
★ エッセイ
自ら意思的に 自らの歴史に 責め苛まれること
2009年1月のテレビ評
(「週刊金曜日」2009年2月6日号=737号)
★ エッセイ
妥協なき原則主義に打擲されつづけよ
徐勝『だれにも故郷(コヒャン)はあるものだ』を読む
(「図書新聞」2009年1月31日号=2903号)
★ エッセイ
一人と世界とに 愛と敬意と 弔意を――
2008年12月のテレビ評
(「週刊金曜日」2008年12月19日号=732号)
★ エッセイ
受動的「平和」と主体的「反戦」とを分かつもの
2008年11月のテレビ評
(「週刊金曜日」2008年11月21日号=728号)
★インタヴュー
アートは批評たりうるか?
bbもちろん、「世界」全体に対しての批評たり得ます。
「生きる」という行為そのものが、そうであるようにbb。
撮影:井上奉紀氏(芸術新聞社)
「アート・トップ」11月号
特集「アートの理由(わけ)」
インタヴュー「アートは批評たりうるか?」より。
●">消費さるべき商品の符牒としての「アート」
●真の藝術表現の可能性の拡がり
●「制度圏」と「運動圏」
●作品から遊離した「技術」などあり得ない
●「アート」の安易な“社会化”の危うさ
●藝術の「力」という弁証法
●“『蟹工船』ブーム”論議に潜む陥穽
●「新しい中世」「精神の戒厳令」下にbb
●表現者として、いかに生きるか?
特集「アートの理由(わけ)」
隔月刊「アート・トップ」2008年11月号(芸術新聞社)
★連載小説
虹の腐刻画
(にじのふこくが)
Akvafortoj per C^ielarko
* 「C」は、本来、字上符「^」のついた文字(エスペラントの「チォー」)
第5葉
アルベルト・ジャコメッティの椅子 「〔完結篇〕
隔月刊「アート・トップ」2008年11月号(芸術新聞社)
★ エッセイ
「出る杭は打たれる」国の抑圧を超えて
2008年10月のテレビ評
(「週刊金曜日」2008年10月10日号=722号)
★連載小説
虹の腐刻画
(にじのふこくが)
Akvafortoj per C^ielarko
* 「C」は、本来、字上符「^」のついた文字(エスペラントの「チォー」)
第4葉
アルベルト・ジャコメッティの椅子 。
(隔月刊「アート・トップ」=芸術新聞社=2008年9月号)
宮本なおみ
『革新無所属』
元・目黒区議会議員 宮本なおみ回想録
(オーロラ自由アトリエ)
刊行のお知らせ

1971年、最初の駅頭演説会のポスター(写真撮影・遠藤京子)。
実物は、黒・赤の2色刷り。
★ 私(山口泉)が、この2年半、
精神的にも時間的にも物理的にも、最大のエネルギーを、
その編集・製作作業に費やしてきた本が、ついに
12月1日、オーロラ自由アトリエから刊行されます。
その女性は、1936年、福島県生まれ。
上京後、労働者としての青春時代を経て、
1971年、東京都目黒区議選に初立候補・初当選する。
以後、5期20年を革新無所属の区議会議員として歩み、
つねに人びとの側に立ってきた。
91年、55歳の若さで、後進に道を託し、
惜しまれながら議員を引退した後も、
一市民として、地域から日本・世界を見つめ、
反戦平和・解放と平等のための闘いを続ける。
「デモの中に宮本さんを見かけると、とても安心します」(国富建治)
「若い頃、がんばっておられる宮本さんをみて、
私もこんなにできるのかなとあこがれました」(戸枝晶子)
「私のたどりついた行く先々に、
“宮本なおみさん”の足跡があるのです」(山川賀世子)
……彼女の支持者は自然に友人となり、同志となる。(同書・帯文から)
彼女を、皆が親しみを込めて「なおみさん」と呼ぶ。
五期二十年の間、革新無所属の目黒区議会議員として、
いかなる意味でも特権的な存在となることを拒絶し、
人びととともに行政のあり方を正してきたその姿勢は、
政治と市民運動が、本来、対象とすべき領域の広大さを示している。
一人でも困った人がいれば、彼女がいつも、
すぐさま現場に駆けつけて手を差し伸べてきたことを、
多くの人びとが知っている。
だからこそ、後進に道を託して議員を退いたいまも、
一市民として集会やデモに参加するその姿に、
人びとは励まされ、彼女を頼りにし、慕ってくる。
人間が、いよいよないがしろにされ、
世界が果てしなく混迷を深める現在──。
私たちにとって真に大切なものは何かを問いつづけ、
闘ってきた一人の女性の軌跡を確かめつつ、
ともに未来へと向かおう。(同書・カバー袖から)
【本書の内容】
はじめに
第1章 幼少期と1950年代のこと
第2章 遅まきの反戦運動まっさかりの青春
第3章 一期目の活動と自治の模索
第4章 楽しみながら激闘の第二幕へ
第5章 選挙人名簿漏洩事件など
第6章 四回目の選挙・住民訴訟・リサイクル条例
第7章 在日外国人が日本人へのラブコール
第8章 千夏さんの選挙と中曽根圧勝選挙のあとに
第9章 反消費税旋風、引退、そして反PKO法選挙
第10章 「市民の政治」を追い求め
第11章 小選挙区制後に押し寄せる諸矛盾との闘い
第12章 2000年の沖縄、そして世紀を超えて
残された問題──初めて訪ねた沖縄で「人間の鎖」
終 章 政治の場に躍り出でよ
巻末インタビュー 時代の流れに身を任せたら闘っていた
(聞き手/山口泉=作家)
あとがき
※ 私・山口泉による、宮本なおみさんへの巻末インタビューだけで、
2段組30ページに及ぶ分量となっています。
宮本なおみ『革新無所属』(オーロラ自由アトリエ)を
推薦します。
天野恵一(反天皇制運動連絡会)
井上スズ(元・国立市議会議員)
内田雅敏(弁護士)
内海愛子(アジア人権基金)
大倉八千代(草の実平和研)
上 笙一郎(児童文化評論家)
高 二 三(新幹社)
新谷のり子(歌手)
高田 健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)
高見圭司(スペース21)
富山洋子(日本消費者連盟)
中山千夏(作家)
林 郁(作家)
原 輝恵(日本婦人有権者同盟)
原田隆二(市民運動)
ビセンテ・ボネット(上智大学名誉教授)
福富節男(数学者)
保坂展人(衆議院議員)
山崎朋子(作家)
吉武輝子(作家)
(50音順)
装幀/知里永 * カバー写真/遠藤京子
四六判・上製・カバー装・400ページ・図版多数
定価2800円+税
ISBN 978−4−900245−14−3
2008年12月1日、発売
※ 書店では「地方小出版流通センター扱い」とお伝えください。
※ Amazonその他、インターネットでの購入も可能です。
※ 私、もしくはオーロラ自由アトリエ宛て、
御連絡いただければ、直接、発送も致します。
★シンポジウム司会進行
東アジアと天皇制
金城実
(彫刻家)
洪成潭
(画家)
徐 勝
(立命館大学コリア研究センター長)
山口泉
(作家)司会・進行
2008年8月9日(土)15:40〜17:40
(日本教育会館901号室)

今年で15年目を迎えた
★絵本『さだ子と千羽づる』
日本語版・朝鮮語版・英語版
(オーロラ自由アトリエ刊)
野外朗読会
■8月4日(月)13:00-19:00
■8月5日(火)07:00-19:00
■8月6日(水)07:00-19:00
(追悼式典開催中を除く)
●広島・平和記念公園「原爆の子」の像の前で。
●有志による朗読+チェロ伴奏(山口泉)

この写真のみ、広島市の酒井伸雄さん撮影。
酒井さんのウェブサイトでも、
御丁寧な御紹介をいただいています。


ブッシュ政権によるイラクへの軍事侵攻と、
言うまでもなく日本政府を含む、この厚顔な暴挙に加担する人びとに、
強く抗議します。
圧倒的な暴力によってすべての理不尽を正当化しようとする蛮行は、
人間の生命と魂とに対する最悪の冒涜です。
アメリカと、日本政府を含む、その加担者たちは、
いっさいの軍事行動、および不法な占領状態の継続を、
ただちに停止すべきです。
最近の活動から
画家・長谷川沼田居と、その作品群
今回、新発見の「太陽花之図」(1960年)
(写真はいずれも、足利市立美術館提供)
* 長谷川沼田居(1905〜83年)については、
拙著『神聖家族』(2003年/河出書房新社)巻末のエッセイ
「ある盲目の画家についての、ごく簡略な覚書
(長谷川沼田居論ノート)」
を御覧ください。
…………The Self Defense Forces were "dispatched" to Iraq.
Why could Japan,
I have been having a thought for a long time
Moreover, as a matter of fact,
T. W. Adorno said: “After Auschwitz, to write a poetry is barbarous”.
On the other hand, I met 2 Iraqi citizens
Considering various phases of problems,
The discussions of “revision” about the Article 9 of the Constitution of Japan
have been rising with accelerating speed.
The unprecedented crisis of the so-called "Postwar Democracy"
has appeared in Japan.
as a country that should have aimed at reproducing "Peaceful nation" since the defeat in 1945,
simply lose its own idea of "Pacifism" or "Postwar Democracy" so easily?
that the cause of present “Reactionism” in Japan
is not any kind of pressure from the outside added to "Postwar Democracy",
but a kind of utilitarian sense of values that lurks from the beginning in "Postwar Democracy" itself.
The "Pacifism" of "Postwar Democracy" in Japan is only a result of calculation
that it gives priority to economic growth and the enhancement of welfare,
oppositely to not spending money on the armaments.
The true "Peace" thought supported by an essential wish as human being
has never been established in past long 60 years of postwar days.
Therefore, there is no keen reflection
on the Japanese crime of invasion to Asia.
the essence of Japanese society and general public's mind and mentality
have never been changed.
It is extremely remarkable in the literary territory.
I find the typical model in Kobayashi Hideo
who was the leader of Japanese literary world.
However, the voice to ask a responsibility of “To write a poetry after Nanjing”
didn't reverberate in the literary world and press in Japan.
It is a hopeless fact.
and Former United States Marine Corps member last year.
Though there are a lot of hardships,
both of them never abandon the idea “There is no peace if there is no justice”.
It seems that these thoughts and the utilitarianism of Japan are two worlds apart.
I try to gouge out the deceptions lurking in Japanese "Postwar-Democracy"
and seek the possibility of new ethics for true genuine "Peace" in the present world.
同時代への手紙