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蓮池薫さんの拉致体験を読む



 

 

1)『半島へ、ふたたび』

 蓮池薫著『半島へ、ふたたび』(新潮社)を読んだ。拉致被害者である蓮池薫さんのこの本は、第一部が帰国後はじめて訪れた韓国(ソウル)訪問記、第二部が日本で韓国語翻訳者として「あの国の言葉」を武器として生きていく過程を書いた文章とからなっている。ソウル訪問で見聞きすることと北朝鮮のピョンヤンで生きたこととが重なって浮かんでくる蓮池さんの心象風景にとても心を打たれた。たとえば、開放型のソウルの「公衆電話」を見て、ソウルで電話をかける相手がいなかったこと、その物珍しさにひかれ、ダイヤルを試しに回したら、その後、見ていた運転手が当局に密告したことが語られる。あるいは、南山韓屋村を訪ねて、キムチ甕(かめ)を見て、北朝鮮での一家をあげてのキムチづくりの季節(キムジャン)での食べるための闘いを思い起こす。また、韓国の国民的詩人、金素月の詩「チンダルレの花」に触れ、政治体制のちがった韓国と北朝鮮が同じひとつの花とひとりの詩人に対して同じひとつの感情を抱き愛してきたことに心を動かす。その他、翻訳の関係でソウルの低所得者地域であるタルトンネを訪ね、60センチの小路を探す探訪記など大変興味深い話がつづられる。ソウル訪問でのこのような感情と思考の動きを描く蓮池さんの人柄に親しみを感じた。さらに私は強く第2部に興味を持った。北朝鮮に拉致され、囚われてきた24年間で否が応でも身につけた朝鮮語を武器に生きて行こうと決心し、日本で翻訳家として確立していく過程の苦闘が生々しく語られていて、そのしたたかな蓮池さんの生き方に感心した。第2部の最後を「僕にとって北朝鮮での二十四年間に失った最大のものは、自分の夢を実現するためのチャレンジの機会であって、(中略)僕にとって翻訳家になることは、二十四年間を取り戻すための大きなチャレンジだったのだ。」と蓮池さんは結ぶ。蓮池さんの翻訳を読みたいと思った。引き続き、同著者の『拉致と決断』(新潮社)を読んでいる。


2)『拉致と決断』

 蓮池薫著『拉致と決断』(新潮社)を読んだ。北朝鮮に拉致された24年間の生活を綴った手記で、非常に重い文章で、読み上げるのに時間がかかった。蓮池薫さんの決断とは、「思えばこの十年は(この本の出版は2012年10月)、あの日の決断から始まった。私たちを拉致した、しかし私たちの子どもたちが残されている北朝鮮に戻るのか。それとも生まれ育ち、両親兄弟のいる日本にとどまって子どもを待つのか。苦悩の末に私が選んだのは後者だった」(「はじめに」)のそれだった。その決断にいたるまでの葛藤、拉致された当時の帰国への強い希求とその断念、拉致被害者としての生活と思い、家族と子どもたちを守るための闘い、北朝鮮の人たち(招待所の生活で接した人々やピョンヤン市民、旅先で目にした地方の人々)の生活を冷静かつ暖かなの視線で叙述する蓮池さんの文章に深い感銘を受けた。また、蓮池さんは「はじめに」で次のように書く。「決して楽に暮らしているとは言えないかの地の民衆について、日本の多くの人たちに知ってほしいという気持ちもあった。彼らは私たちの敵でもなく、憎悪の対象でもない。問題は拉致を指令し、それを実行した人たちにある。それをしっかり区別することは、今後の拉致問題解決や日朝関係にも必要なことと考える。」これは北朝鮮への憎悪をかき立てるだけのマスコミ報道とはちがった姿勢である。この本を帰国事業で北朝鮮に渡った3人の兄について書いたヤン・ヨンヒ著『兄 かぞくのくに』(小学館)とも重ねて読んでいた。また、スターリン時代のソ連の強制収容所(ラーゲリ)及び戦後のシベリア抑留者の生活にも共通するものいを感じた。

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