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(書評)『死刑の基準』(堀川惠子)他


 

 

1)『秋葉原事件/加藤智大の軌跡』(中島岳志)

 中島岳志著『秋葉原事件/加藤智大の軌跡』(毎日新聞出版)を読んだ。あの秋葉原無差別殺人事件の犯人である加藤智大の犯行にいたるまでの軌跡を描いた本である。彼の生育史と母子関係(母の行きすぎた叱責と暴力からの逃避としての加藤の「切れる」行為の累積)、成長に伴う挫折の連鎖、ネット(掲示板)のなかで「現実は建前、掲示板は本音」となる経緯、彼が求めたネットの関係は「2チャンネルのような不特定多数でなく、掲示板の特定少数」だったことの意味、現実の関係性を取り結べなくなるとともに現実の関係は「代替可能なリアル」となり、ネットの関係は「代替不可能なウェブ」となったこと、最後の拠りどころだったネットの関係が「壊れ」、自己が溶解していったこと、そして極限のあの秋葉原へといたる実に孤独な心象風景が描き出されていく。読み終わって秀作だと感じた。私はときどき文楽を見に行くのだが、「心中」もののあの道行きの寂寥感の方が「相方」がいてまだましだが、加藤の方はまったくの「ひとり」であり、耐えられないなと思った。昨日、この続きにと考え、講談社ノンフィクション賞をとった堀川惠子の『死刑の基準/「永山裁判」の遺したもの』(日本評論社)、『裁かれた命/死刑囚から届いた手紙』(講談社)買ってきた。読もうと思っている。

<目次>
プロローグ
第1章 家族
第2章 自殺未遂
第3章 掲示板と旅
第4章 「イライラします」
第5章 歩行者天国へ
エピローグ
あとがき

2)『死刑の基準/「永山裁判」が遺したもの』(堀川惠子)

 堀川惠子著『死刑の基準/「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社)を読んだ。この本は、丁度、中島岳志著『秋葉原事件/加藤智大の軌跡』(朝日新聞出版)を読んだ後、朝日新聞の書評欄で知った。堀川惠子さんは元広島テレビ放送のディレクターで、現在はフリーのドキュメンタリーディレクターである。彼女が制作したNHKのドキュメンタリー「死刑囚永山則夫 獄中28年間の対話」を見て感動したことがあった。(その放映を見た後、細見和之著『永山則夫/ある表現者の使命』(河出書房新社)を読んでいる。)この本が書かれるきっかけは、山口県光市母子殺害事件の過熱報道と広島高裁判決で「死刑」に拍手と歓声があがったこと(それも被爆地「ヒロシマ」においてである)への疑問から始まる。その疑問は、死刑の基準とされる(永山則夫裁判の)「永山基準」とは一体何なのかへの追究となり、膨大な永山則夫の遺品・手紙の読み込み、関係者の聞き取りへと進む。「永山基準」が生まれた背景には、一人の死刑囚をめぐって、裁く側と裁かれる側それぞれに、言葉に言い尽くせないほどの苦悩と決断があったこと、また、「永山基準」そのものも、その後本来の意図から乖離し、「原則は死刑不適用」から「原則は死刑」へと変節したことが明らかにされる。私が何よりも心に染みたのは、沖縄出身で無国籍だった混血の「ミミ」と永山との出会い、そのことにより永山が翻身していく経緯、最高裁の差し戻し判決・高裁の再びの死刑判決の後、永山をして「生きたいと思わせておいて、殺すのか・・」と言わせたその言葉だった。死刑を根源的に問う本であった。この後、同じ著者の『裁かれた命/死刑囚から届いた手紙』(講談社)を読む予定である。

<目次>
プロローグ
第1章 おいたちから事件まで
第2章 一審「死刑」
第3章 二審「無期懲役」
第4章 再び、「死刑」
第5章 「永山基準」とは何か
エピローグ
参考文献
あとがき

3)『裁かれた命/死刑囚から届いた手紙』(堀川惠子)

 堀川惠子著『裁かれた命/死刑囚から届いた手紙』(講談社)を読んだ。1966年、東京で起こった主婦殺人事件。22歳の犯人長谷川武は半年後に死刑判決を受け、5年後に死刑が執行された。その長谷川死刑囚が、独房から送った手紙が遺されていた。捜査検事だった土本武司、2審からの小林健治弁護士に宛てた手紙を中心に、事件の経緯、長谷川武の足跡、家庭的背景、母子関係等、著者の追跡が始まる。裁かれる者と裁く者との関係、人を裁くこととは何かを問うた胸を打つノンフィクションだった。私は今、1950年代の靖国神社遺児参拝を調べているが、当時「国家の嘘を見破った少女」を探しているが(残念ながら彼女はすでに亡くなっていた)、著者の真摯で執拗な追究の姿勢を読んで感じ、少々困難な「挫折」に見舞われても簡単に追跡を諦めてはいけないなと思った。私も堀川さんを見習って、追跡を続けることにしたい。

<目次>
第1章 検事への手紙
第2章 長谷川武の足跡
第3章 死刑裁判
第4章 弁護士への手紙
第5章 第三の人生
第6章 文鳥と死刑囚
第7章 失敗した恩赦
第8章 母と息子
第9章 罪と罰
第10章 母の死
終 章 裁かれたのは誰か
そして、私たち
主要参考文献

4)『永山則夫/ある表現者の使命』(細見和之)

 細見和之著『永山則夫/ある表現者の使命』(河出ブックス)を読んだ。細見さんは、高槻でやってきた講座「リゾナンス」でずっと以前にお呼びしたことがあった。当時の講演テーマは映画「シンドラーのリスト」批判であった。書店で、細見さんの新刊書を見かけて、長らく忘却していた「永山則夫」に関する本だっので購入した。私は、永山則夫の『無知の涙』等の初期の作品は触れたことがあるが(小説も『木橋』等は買っているが)、それ以外に膨大な作品群があることをほとんど知らなかった。細見さんは、遺作の小説『華』から作品分析にはいり、順次逆行して、最後に『無知の涙』まで分析を続ける。死刑執行の直前までノートや小説を書き続けた永山の「表現」とはなんだったのか、市民社会が死刑執行後「永山則夫」の存在を没却し続けた問題性を、さらに、(ご自身が詩人でもある)細見さんは、永山則夫の表現の固有性を、その繊細で柔らかな感性で明らかにされる。死刑問題、文学の根源を示す、大変中味が深くて、濃い本だった。(2010・7)

<目次>
はじめに
第1章 永山事件とは何だったか
第2章 夢のリミット?/遺作『華』の世界をめぐって
第3章 表現者の使命/1980年代の永山則夫
第4章 寺山修司と永山則夫/『反−寺山修司論』をめぐって
第5章 模倣と逸脱、あるいはプロトコールとしての『無知の涙』
あとがき

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