旅の記憶

12年ぶりのスペイン旅行 

2012.9.3-11



 

  母が病気になり、介護のためとかその他の家庭事情で海外旅行ができなかった。今回の旅行は9年ぶりで、スペインは12年ぶりであった。前のスペイン旅行の時は、EUは誕生していたが、ユーロはまだ使われていなかった。ユーロを使うのは初めてだ。今回の旅は、旅行社に飛行機とホテルと新幹線(AVE)の予約をしてもらった上での「ひとり旅」だ。不安と緊張を持ちながら出発した。飛行機はアラブ首長国連邦のドバイ経由マドリッド行きで、片道(ドバイで待ち時間を入れて)21時間と長いものだった。

<スペインのfacebook事情> 

 今回のスペイン旅行でfacebookを使ってはじめて海外から発信した。私の泊まったホテルは3つ星ないしは2つ星で高級ホテルでなかったが、結構快適だった。
 マドリッドのホテルはアメリカ系のビジネスホテルで、「facebookは使えますか」と聞くと、ホテルのロビーにデスクトップのパソコンが2台あり、スタートページがfacebookに設定してあり、@マークの出し方等キーボードの打ち方はちがったがすぐアクセスできた。 

 コルドバのホテルは地元の同族経営のホテルで、facebookについては「ノート型パソコンを使ってできる」とのことだったが、1日目はパソコンは立ち上がったが、うまくインターネットに接続できず、2日目に再度挑戦してうまくfacebookにアクセスできた。ホテルの従業員はだれもパソコンの使い方が分からなかった。
 セビージャで泊まったホテルは地元資本であるが、ずいぶんと近代化されていて(コルドバよりセビージャの方が都会の感じだった。)、ロビーにデスクトップ型のパソコンがあり、すぐアクセスできたが、言語の設定がうまくできていなくて、スペイン語は読めるのだが、私のページの日本語は文字化けして読めなかった。
 今回、facebook初体験をしたが、それに関して3つの都市のホテルは3様でおもしろかったが、なんとか下手なスペイン語で発信ができて、うれしかった。ただ事前に調べておいたらいいと思ったのは、キーボードの設定が日本のパソコンとちがうので知らないと出せない文字があることだ。とくに@マークが出ないと、自分のページにアクセスできないから要注意! 

<マドリッドの美術館> 

  マドリッドに着いた日にデスカルサス・レアレス修道院に行き、17世紀のフレスコ画などをスペイン語のガイドつきで見た。まだ、スペイン語が耳になじんでいない感じだったが、女子修道院の華やかな雰囲気がよかった。デスカルサス・レアレス修道院近くの繁華街ではじめて動画を撮った。夕食はプエルタ・デル・ソルのムセオ・デル・ハモン(「ハムの博物館」という名のバル)でハムとセルベッサを1杯。

 マドリッドの二日目、ピカソの「ゲルニカ」のある国立王妃芸術センターにスペインの現代美術を見に行った。「ゲルニカ」は昔見たときには防弾ガラスに覆われていたが、今はそれはなく、時代の変遷を感じた。ピカソもその自由さを喜んでいるだろう。そのあと、2階のシートで休憩し、ガイドブックを見ながら水を飲んだが、そのときに「ガイドブック」を忘れたことに4階で気がついた。「これがなければ、これからの旅行が大変!」と大慌て。あわてて、2階まで戻ったがない。それで2階フロアーの職員がいるデスクまで行くと、丁度私の「地球の歩き方 スペイン」をめずらしそうに見ている若い男の職員と目があった。「それ、ぼくのガイドブックです。ありがとう。」これで一安心。このあと、中世から現代までの膨大なコレクションが収集されているティッセン・ボルネミッサ美術館にも行ったが、ひどく疲れていたのだろう、写真を1枚も撮っていなかった。

<コルドバの美術館> 

 マドリッドからコルドバまでは新幹線で2時間弱でノンストップ。便利になったものだ。まずメスキータに行った。イスラーム建築とキリスト教建築の混交、とくに教会建築のなかにミフラーブ(メッカの方角を示す壁がん)があるのが興味深かった。それ以上に気に入ったのはカラオーラ塔だ。それは今はイスラーム文化を紹介するかわいい博物館になっていて、そこですてきな絵本「子どもたちに語るコルドバのメスキータ」を見つけて買った。イスラーム文化とコルドバへの愛情がこもった絵本だった。いつかスペイン語からの翻訳をしたいと思った。

 コルドバに2日目は、最初、レコンキスタ(キリスト教国によるイベリア半島の再征服)後にイスラーム王宮跡地に建設されたアルカサールに行き、見事なイスラーム庭園を堪能した。当時のキリスト教文化にとってイスラーム文化は「先進文化」で憧れの対象だった。その後、イスラーム時代の面影を残すアラブ浴場(博物館になっている。)を見、ユダヤ人街の跡をたどり、アンダルシアで唯一残るシナゴーグ(ユダヤ教会)を訪ねた。勿論、1492年にユダヤ人は(アラブ人も)追放されたので、建物しか残っていず、管理者もいない無人の施設だった。
 コルドバ最後の夜なので、レストランでムール貝、車エビとビール、ワインでいい気持ちになり、楽しいひとときを過ごした。 

<セビージャの美術館> 

 コルドバからセビージャまでは新幹線で45分。あっというまだ。セビージャは2度目だ。タクシーでホテルまで行ったが、道が狭くって、タクシーがホテルの前に着けない。迷宮都市セビージャの最初の体験だった。最初はカテドラルに入り、ヒラルダの塔を登った。心臓がきゅんきゅんする。その後、アルカサールに行く。アルカサールはコルドバの方がよい。夜は舞踏家クリスティーナ・オヨス(昔、アントニオ・ガデスと組んだ彼女の映画をよく見たものだ。)の設立したフラメンコ舞踏博物館に行くために、レストランのお兄さんに道を聞くが迷路のような入り組んだ道で何度も迷う。やっと博物館に着き、展示とフラメンコショーを見る。本格的なフラメンコで大変よかった。

 セビージャ2日目はスペイン最後の日だった。セビージャ美術館を訪ね、旧ユダヤ人街であるサンタ・クルス街を歩いた。セビージャ美術館は、中世から現代までのスペイン絵画を展示し、17世紀の画家ムリーリョのコレクションは絶品で(ちなみに僕の泊まったホテルは「オテル・ムリーリョ」だった。)、また、スルバランの絵が一堂に会しているのには驚かされた。今回の旅行で一番すばらしい美術館だった。その後、サンタ・クルス街はまさに「迷宮都市」そのもので、大変道に迷い、ヒラルダの塔が見えて、やっとカテドラルまでたどり着いた。この旅でクレジットカードをはじめて使い、家族と友人へのおみやげを買った。実はこの歳になるまで、クレジットカードを使ったことがなかったのだ。そして、最後の夜の余韻をセルベッサとワインで味わった。

 明くる日、タクシーを呼んでもらって、帰国の途に着くのだが、ホテルの前にタクシーを止められないので、ホテルの人に念入りにタクシーが来る広場の場所を教えてもらった。間違えると帰れなくて大変なので。この時、完璧にスペイン語が聞き取れた。今回のひとり旅で自信がついたので、来年もこの時期にスペインからポルトガルに旅行をしたいと思っている。

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