旅の記憶

魅惑のシチリア(イタリア)の旅

2016.9.14



 

イスラム教とキリスト教の華麗な結合(パレルモ) 

 4年前にスペイン・アンダルシア地方のコルドバ、セビージャ(さらに以前にはグラナダ)を旅行し、イスラム文化とキリスト教文化の混交に感動しました。その時、イタリアのシチリア島が同じく両文化の混交した歴史と文化があることを知りました。今年(1916年)9月1日~10日までシチリアを旅行し、念願の教会、王宮等の建築を見ることができました。マルトラーナ教会やノルマン王宮内のパラティーナ礼拝堂でイスラム教とキリスト教の華麗な結合に感激しました。
 中世シチリアは、11世紀からの(十字軍遠征に絡んでの)ノルマン人の侵入・征服、ノルマン王朝の誕生・発展と進みます。ノルマン民族はバイキング系のフランスのノルマン地方の出であり、ローマ・カソリックが彼らの宗教です。彼らはシチリア征服前の支配者であるイスラムとさらにその前の支配者である東方・ビザンチンの文化を優れたものとて評価し、自らの文化のなかに取りこみます。 

 写真のキリスト教のモザイク画(パラティナー礼拝堂)は東方・ビザンチン文明の影響が強くあらわれています。また、丸と四角にのよって構成されている図像はイスラムのもので、イスラムとビザンチンの融合した様式であるとのことです。当時の建築の中に入るとその華麗なモザイク画、図像に目を見はらせられます。
 スペインの場合は、レコンキスタ(キリスト教徒の再征服)によってイスラムの建築・文化の上にキリスト教の建築が被さったものとしての混交です。しかし、シチリアの場合は先の文明を積極的に取り入れたもので、壮大な複合・混交であると思いました。帰国して、パレルモにまた行きたいと思いました。 

古代都市(ギリシア、ローマ時代)の遺跡(シラクーサ)

 9月4日にパレルモから長距離バス(プルマン)でシラクーサへ移動し、シラクーサには6日までいました。シラクーサはギリシア、ローマ時代の遺跡が多く残り、地方都市として落ち着いた雰囲気で、魅力的な町でした。古代遺跡は北方の丘陵側にあり、ネアポリス考古学公園は休みで見学できなませんでしたが、古代ローマ円形闘技場、写真のギリシア劇場等の古代遺跡が展開しています。ギリシア劇場は1万5千人もの人が収容できたそうです。またオルティージャ島(市内の中心部)の入り口にはアポロン神殿の遺構が残っています。またサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会の地下にはギリシア時代の巨大な地下カタコンベ(お墓)があり、英語ガイドつきで見学ができました。ガイドから勝手に離れると絶対戻れないほどの広大なカタコンベで、それはまさに迷路でした。なぜか私はカタコンベ好きなのです。
 シラクーサのことではないですが、パレルモにあるシチリア州立考古学博物館は長らく「修復のため閉館中」でしたが、私の旅行の3日目(9月3日)に開館され、見ることができました。1階のセリヌンテの神殿遺跡の彫刻が大変すばらしかったです。これから行かれる方はぜひ見られるとよいと思います。
 シラクーザ最終日にペッローモ宮州立美術館に行きました。落ち着いたかわいい美術館で、パレルモの欲求不満が解消できました。また、シラクーサでは、ホテルのすぐ近くのレストランのウエイターのおじさんと親しくなり、料理について質問しながら注文し、おいしい料理を食べることができました。

舞い降りてきた天使(カターニャ) 

 9月6日、シラクーサからカターニャに長距離バス(プルマン)で移動しました。バスに乗った途端、大雨にりました。パレルモはシチリア島の北西側でありますが、シラクーサ、カターニャは島の南東側で、どうも雨が多いところのようです。カターニャでも雨がよく降りました。パレルモでのトラブルからも立ち直り、カターニャではドゥオーモ広場を中心にドゥオーモ、エトネア通り、ベッリーニ博物館、古代オデオン劇場、ウルシーノ城内市立博物館等をゆっくり時間をかけて見て歩きました。
 9月7日の午後、遠そうでたどり着けるかどうか不安だったサンニコル教会に向かいました。教会は内部は見られなかったのですが、修道院が現在は大学になっていて、構内に入れました。修道院全体がどんな構造になっているかよく分からないので、1階部分の回廊を見て、帰ろうとすると、シリア人の若い女性(シリア出身で、ここの大学生のようでした)のロサーラが館内を案内してくれると言います。広大の構内を全て、1階から2階、屋上、地下まで案内してくれました。「シリアは大変ですね」と聞くと、彼女は「ボンバ」と答えました。どのような経緯でカターニャに来たのだろうかと思いましたが、私の会話力では詳しい事情を聞きことはできません。彼女は歴史学を学んでいて、この大学ではガイドの資格が取れると言っていました。この旅の最後を幸せな出会いで締めくくれてよかったです。私に天使が舞い降りてきたのでした!

 カターニャの別の印象です、北アフリカからの移民・難民が多いと感じました。島の南東側で北アフリカに近いからでしょうか。雨になると10本ほどの雨傘の束を持って売りに来る男性は黒人系、おばあさんの身体障害者の乞食、子連れの女性の乞食も見かけました。北アフリカ系の人たちでしょうか。3日間の通ったレストランのウエイター(若い男性と女性)もそのようで、言葉がうまく通じない感じでした。(それはこちらの問題かも知れないですが。)町に落書きがあふれ、治安が悪そうで、腰に拳銃をさした警官、カービン銃を持った軍人の警備が目につきました。
 いろいろな思い出を残して、9月9日にカターニャ空港からローマ空港経由で成田空港、羽田空港~伊丹空港と9月10日に無事帰国しました。よい旅でした。

<旅のトラブル> 

 今回の旅行は飛行機とホテルを事前に旅行社にとってもらってのひとり旅でした。前回のスペイン旅行はこれに新幹線も事前にとってもらいましたが、シチリアの移動はプルマン(長距離バス)で、そのチケットは自分で取らねばなりません。うまく行くかどうか心配でした。それに言葉の不安がありました。スペイン語は一応下手とはいえ、習いに行っていますが、イタリア語がNHKラジオ講座だけなので、うまく話が通じるかどうか?予想に違わず、トラブルがつぎつぎ起こりました。いくつもトラブルがありましたが、次のふたつが双璧でした。
 この旅行中最大のピンチは、パレルモの3日目(9月3日)でした。前日は4時間の日本語ガイド(河村悦子さん)があり、パレルモの文化を堪能しましたが、今日はひとり歩きです。地図とにらめっこでシチリア州立考古学博物館、サンタ・チータ祈禱堂となんとか回り、今日の目当てのシチリア州立美術館に向かいましたが、道が迷路のようでたどり着きません。あきらめてホテルに帰ろうとしていると、「どこに行く?」と声がかかりました。オート三輪(?)に座席をつけたもぐり風の「タクシー」に褐色の肌の兄ちゃんです。美術館に行きたい気持ちがあるものだから、つい乗ってしまいましたた。車が発進。すごいスピードで。がたがたと激しく車は揺れる。怖くなります。車は人のいない路地に止りました。美術館は「・・・」の方向に行けと、なんだかよく分からないことを言います。「いくらか?」と聞くと、200ユーロとふっかけられました。財布には195ユーロありました。(実は腹巻きに有り金全部、首からの袋にキャッシュカードとパスポートが入っています)やばー!「5ユーロは残してくれ」と頼みましたので、190ユーロ(2万円ほど)をぼられました。実は美術館は路地の角を曲がったらすぐの所にありました。入場料は8ユーロ。ポケットに3ユーロの硬貨があったので、ぴったしです。ようやく美術館に入れました。ここにはスペインのセビージャ美術館のように名の知れた画家の絵はありませんが、非常に充実したキリスト教絵画が展示されていました。気持ちが動転しているので、落ち着いて見られませんでした。この美術館への未練が残りました。みなさん、怪しげなタクシーには乗らないでおきましょう。
 もうひとつ大慌てになったのは、シラクーサのホテルのエレベーターに閉じこめられたことです。ホテルのエレベーターはかなりクラシックで、到着したとき、「行き先の階のボタンを押し続けてください」とホテルの女性職員は言います。(どうして?)9月5日の朝食の際にこのエレベータに乗りましたが、動かなくなりました。緊急ボタンを押したら、青年の男性職員が鍵でドア開けて、中に入って来てくれました。だが、またエレベーターが止まってしまい、二人で閉じこめられました。彼がスマホでホテル、知人、家族に連絡をとりますが、なかなか連絡がつきません。結局、1時間閉じこめられました。どうも彼のお父さん(?)が車で駆けつけてくれたようで、助かりました。これって予想もしないことでした。それからエレベーターが怖くなり、ひとりでは乗れませんでした。
 シラクーサあたりから元気になり、シチリアに馴染んでいきました。カターニャではトラブルは少なく、ドゥオーモで「地球の歩き方 南イタリアとマルタ」をどっかに置き忘れたぐらいでした。あっちこっちに聞き回り、それも見つかりました。最後の写真はカターニャから帰国する前日の私です。すっかり元気になっています。

(2016・9・14)

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