先日、私の教員時代のホームグランドであった高槻市の市民グループが主催する「戦争と平和展」の「戦争を語り継ぐ」分科会で「父の遺した椅子」というタイトルで語らせてもらった。50名ほどの会場で、現在も親しくしている友人たち、それに昔勤めていた小学校の同僚(当時新任だった人)とか中学校勤務の頃に内申書問題で一緒に活動した市民の方とか懐かしい人たちと再会できた。事前に話す内容を整理していて新たに気づいたことがあった。
6年前に出した本『靖国を問う』に書いていることだが、私の母は結婚して後、長男を出産したが、当時は栄養状態が悪く、長男は黄疸ですぐに亡くなった。私が子どもの頃、長男の命日の1月になると、「今日は弘和ちゃんが亡くなった日なんや・・」と哀しそうに話していた。兄が生まれて母はやっと入籍された。そして1年後に私が生まれたのだった。「子(男子)なきは去れ」の時代だった。
ここまでは知っていたが、次のことに気づいた。父が私と母とが写った写真が送られて来て、それを戦地で見て、その喜びを書いた「軍事葉書」が残っている。そこには、「とても可愛らしく、良く肥えて嬉しいです。これでやっと安心ができました。」とあった。長男を栄養失調で亡くし、やっと次に生まれた私の写真を見、とても元気そうに見え、「これでやっと安心できました。」と書く父、兄が生まれて母は入籍された。2つのイメージが私の中で結びついた。今まで「小説を書きたい」と思ったことはないが、はじめて小説を書きたいと思った一瞬だった。