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松井一実広島市長「教育勅語にはよい部分もある」発言に抗議し、新規採用職員研修での「教育勅語」使用を止めることを要望する

 松岡 勲


 

 

松井一実広島市長の「教育勅語にはよい部分もある」発言に抗議し、新規採用職員研修での「教育勅語」使用を止めることを要望する

大阪府茨木市 松岡 勲

 私は定年退職まで大阪府高槻市で小学校、中学校の教員を勤め、広島・長崎・沖縄の修学旅行に取り組んできました。退職後も現在まで広島の被爆者及び継承者、その支援者と交流を続けてきました。
 朝日新聞全国版(2023年12月12日)によると、「新規採用職員研修で松井一実市長が、「心の持ち方」などとして戦前・戦中の「教育勅語」の一部を研修資料に引用していたことが11日、市への取材でわかった。」とあり、その詳細が報じられています。
 松井市長もご存知であると思いますが、教育勅語は戦前の天皇制国家体制を支えたもので、戦前の軍国主義、日本のアジア侵略と軍国主義教育に強く結びついてきた歴史があります。そのため「教育勅語」は1948年6月に衆議院と参議院で「排除」あるいは「失効」が決議され、その謄本は回収・処分されました。
 前記朝日新聞によると松井市長は、「教育勅語を再評価すべきとは考えていないが、その中に評価してもよい部分があったという事実を知っておくことは大切だ。今後も使用を続けることにしております。」と発言している。私は松井市長の真意を知るために、本年1月18日の「市政記者クラブからの代表質問」の教育勅語に関する部分もつぶさに聞きました。
 これらから感じることは、戦前の日本の天皇制軍国主義と日本のアジア侵略について、また軍国主義教育について、松井市長がどう考えてるのかが述べられていません。ほんとうのところ市長は、戦前の体制と教育をどう評価されているのかを出すべきです。それを明確にして教育勅語の使用云々を論じていただきたい。もしかして市長は戦前の政治と教育がお好きなのではないかと思ってしまいます。
 私の父は二度も戦争に取られ、中国侵略軍の一員として中国の人々の殺戮に加担し、苦痛を与えた上、漢口の近くで戦死しました。1944年3月のある日の早朝、父が中国に向け大阪港から出航するのとほぼ同じ時刻に私は生まれました。父には顔すら見てもらっていません。出生後半年して、母の里の叔父が閉店した写真屋に頼み込んで、母に抱かれた私の写った写真を戦地に送りました。その時に「元気で可愛い」わが子を見て、大変喜んだ父の「軍事郵便」が1枚残っているだけです。
 このような私的体験からも今回の「教育勅語問題」を考えると、松井市長の教育勅語一部容認発言は(たとえ「よい部分もある」という発言であろうとも)認められません。広島は1945年8月6日にアメリカの原爆投下によって甚大な被害を被りました。亡くなられたたくさんの方々、戦後の貧困と病苦と闘ってこられた被爆者の方々の思いを推察しても、広島市長の今回の発言は許せません。
 よって、松井市長の「教育勅語によい部分もある」発言に抗議し、新規採用職員研修での教育勅語使用を止めることを要望します。
2024年1月19日

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