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竹内浩三の「筑波日記」「骨のうたう」を読む 


 

 

『竹内浩三全集2 筑波日記』(小林察編) 

 小林察編『竹内浩三全集2 筑波日記』(新評論)を読んだ。1945年4月に23歳でフィリピンのバギオで戦死したは竹内浩三は密かに軍隊日記(軍隊手帳)を書いていた。その「筑波日記」は2冊あり、200余日にわたり、1日として欠かしたことがなかった。「全集」発行時に後半の2冊目が発見され、「筑波日記1 冬から春へ」(1944年1月1日~4月28日)、「筑波日記2 みどりの季節」(同年4月29日~7月27日)と「全集」に収録されている。日記が見つかったら懲罰が必ずあると予想される軍隊内で日記をつけ、書き続ける覚悟を竹内は次のように言う。「ボクハ、コノ日記ヲ大事ニシヨウト云ウ気ガマスマス強クナッテキタ。コノ日記ヲツケルタメニダケデ、カナリ大キナ支障ガ日日ノツトメノ上ニキタス。ソレホドヒマガナイ。シカシ、コノ日記ハオロソカニハスマイ。」あるいは親友宛の手紙では「まだ(日記を)つづけている。手帖いっぱいになるたびに家に送っている。二冊送った。これがぼくのただ一つのクソツボ。排泄物はぜんぶここへたまることになっている。小便があったり、ヘドがあったり、あるいは手淫のしずくがあったりで、みぐるしいものであるけど大事にしている。」と書く。全体を読んで、軍隊生活の詳細な記録であり、大正デモクラシーのなかで育った自由な精神と軍隊の日常との葛藤が刻銘に記録されているので感嘆した。長い引用は出来ないのでひとつだけ引く。「トコロガ戦争ハウツクシクナイ。地獄デアル。地獄ヲモ絵ニカクトウツクシイ。カイテイル本人モ、ウツクシイト思ッテイル。人生モ、ソノトオリ。」日記の後半では、「ぼくのねがいは 戦争へ行くこと ぼくのねがいは 戦争をかくこと 戦争をえがくこと ぼくがみて、ぼくの手で 戦争をかきたい そのためなら、銃身の重みが、ケイ骨をくだくまで歩みもしよう、死ぬことすらさえ、いといはせぬ。」との最後の願い(詩)がある。編者はまえがきで、「筑波日記3」以下の存在が推定できるという。「それは、あるいは竹内の背嚢に入れられたままフィリピンに戦場で消えたかもしれぬ。竹内の最後の「ねがい」どおりに。」僕は「筑波日記」を読んだのをきっかけに、今まで買っていて、読めていない火野葦平の『インパール作戦従軍記』(集英社)、『花森安治の従軍手帖』(幻戯書房)を読んで見ようと思う。なお「筑波日記」と竹内の詩や手紙等は小林察編『戦死やあわれ』(岩波現代文庫)が手に入りやすい。

『竹内浩三全集1 骨のうたう』(小林察編) 

 小林察編『竹内浩三全集1 骨のうたう』(新評論)を読んだ。先に読んだ「筑波日記」以外の竹内の詩、小説、詩、随筆が収録されている。彼の豊かな個性と才能があふれ出ていて、その豊かな個性を戦争が奪ったことが残念でならなかった。竹内の死後、友人たちによって遺稿集が編纂され、それで知られるようになった詩「骨のうたう」はその編者の友人が「骨のうた(原型)」に手を加えたこと明らかになっている。「全集」の編者小林察が『骨のうたう/”芸術の子”竹内浩三』(藤原書店)で分析している。あまり知られていない『骨のうたう』(原型)は入営前の竹内の不安、心境がリアルにあらわれていると感じた。岩波現代文庫の『戦死やあわれ』には「骨のうたう」の両方が掲載されているので、読まれるといい。入営前の心境をあらわした「ぼくもいくさに征くのだけれど」を引く。

街はいくさがたりであふれ
どこへいっても征くはなし かったはなし

三ヶ月もたてばぼくも征くだけれど
だけど こうしてぼんやりしている

ぼくがいくさに征ったなら
一体ぼくはなにするだろう てがらたてるかな

だれもかれもおとこならみんな征く
ぼくも征くのだけれど 征くのだけれど

なんにもできず
蝶ををとったり 子供とあそんだり
うっかりしていて戦死するかしら

そんなまぬけなぼくなので
どうか人なみにいくさができますよう
成田山に願かけた

 非常に個性があり、ユーモアがある彼の詩を紙幅の関係で引用できないのが残念だが、岩波現代文庫本を手にとって、読んでいただければと思う。彼は日本大学専門部(現在の芸術学部)映画科に入学し、伊丹万作に師事している。彼のシナリオを読んでも、その可能性が戦争によって芽が摘み取られたのだと思った。最後に筑波での初年兵時代の詩「南からの種子」を引き、その早すぎる死を悼む。

南から帰った兵隊が
おれたちの班に入ってきた
マラリアがなおるまでいるのだそうな
大切にもってきたのであろう
小さな木綿袋に
見たことももない色んな木の種子
おれたちは暖炉に集まって
その種子を手にして説明をまった

これがマンゴウの種子
樟のような大木に
まっ赤な大きな実がなるという
これがドリアンの種子
ああこのうまさといったら
気も狂わんばかりだ
手をふるわし 身もだえさえして
語る南の国の果実
おれたち初年兵は
この石ころみたいな種子をにぎって
消えかかった暖炉のそばで
吹雪をきいている 

『母の憶い、大待宵草/よき人々との出会い』(古川佳子)

 古川佳子著『母の憶い、大待宵草』(白澤社)を読んだ。古川さんは箕面忠魂碑訴訟の原告であった方で、その後の靖国訴訟の原告でもあり、私も靖国合祀取消訴訟以来ご一緒させていただいてきた。古川さんは2人のお兄さんが戦死しておられ、2人の息子の戦死へのお母さんの憶いについていろんな場面でお話し聞かせていただいてきた。その古川さんのお気持ちが本のタイトル「母の憶い、大待宵草」にあらわれている。この本は反天皇制市民1700ネットワークの「反天皇制市民1700」で連載してこられた文章がもとになっていて、「よき人々との出会い」とサブタイトルにあるように、お父さん・お母さんのこと(戦死された息子への憶い)、夫のこと、松下竜一さん、箕面忠魂碑訴訟(神坂哲・玲子夫妻)、伊藤ルイさん、三木原ちかさん、井上とし枝さん、竹内浩三さんとの出会いと交流について詳しく書かれている。その濃密で深いつきあいに、私の場合は人とのつきあいはあまり深くないので、息をのむ思いで読んだ。またそれぞれの方との交流での手紙類をきっちりと残されており、また関連する読書量も多く、感嘆する。私などは整理が悪く、きっちり残せていない。竹内浩三の詩等との古川さんの出会いを読んで感じたことは、その文献等は徹底して読まれており、連載時に古川さんの文章をきっちり読んでいれば、竹内浩三への私のアプローチも遠回りせずにすんだのにと思った。私は古川さんから大きな影響を受けてきた。「靖国文集」を再発見をしたのも古川さんから関千枝子さんの本『広島第二県女二年西組/原爆で死んだ級友たち』(ちくま文庫)のことを知り、その本を「持っているのではないか」と探していて、中学生の時の文集を見つけたことから「50年代の靖国神社遺児参拝」の調査が始まった。また遅ればせながらいま竹内浩三の本を読んでいるのも古川さんの影響だ。これからも様々な場面で古川さんとおつきあいしていきたいと思っている。

『骨のうたう/”芸術の子”竹内浩三』(小林察)

 小林察著『骨のうたう/”芸術の子”竹内浩三』(藤原書店)を読んだ。小林察(さとる)は「竹内浩三全集」(新評論の2巻全集、藤原書店の全1巻全集のふたつある)の編集者である。その作業が『骨のうたう/”芸術の子”竹内浩三』に結実しており、「竹内浩三」の読みが正確で、実にいい本だと思った。この本がいいなと思った箇所をひとつだけ上げておく。「要するに、竹内浩三は、世の中をいつも一兵卒の目で、あるいは女中の目で見ていた。もっと言えば、子供の目で見続けたと思います。彼は中隊長が子供を追いかけて、その子供にとって、一生で一番怖い思い出になるだろうと書きました。そういうふうに、彼にとって、小さなもの、弱いもの、特に子供というのはたまらなく美しいものに見えたのです。」と小林は書く。また小林は生まれたばかりの姉の赤ん坊にあてた葉書に注目する。「一枚の官製ハガキに一字の書き直しもなく、漢字まじりのカタカナで、生まれたばっかりの姉さんの子供に、こんなはげましの手紙を出しているのです。しかもこの手紙が予言的であったように、このお子さんは一年ぐらいしかこの世に生存できなかったお子さんなのです。」

 オ前ガ生レテキタノハ、メデタイコトデアッタ。オ前ガ女デアッタノデ、シカモ三人メノ女デアッタノデ、オ前ノオ母サンハ、オ前ガ生レテガッカリシタトイウ。オ前ハ、セッカク生レテキタノニ、マズオ前ニ対シテモタレタ人ノ感情ガガッカリデアッタトハ、気ノドクデアル。シカシ、オ前マデガッカリシテ、コレハ生マレテコン方ガヨカッタナドト、エン世的ニナル必要モナイ。
 オ前ノウマレタトキハ、オ前ノクニニトッテ、タダナラヌトキデアリ、オ前ガ育ッテユクウエニモ、ハナハダシイ不自由ガアルデアロウガ、人間ノタッタ一ツノツトメハ、生キルコトデアルカラ、ソノツトメヲハタセ。

 この本は図書館で借りて読んだが、手元に置いておきたい本だ。また全1巻全集も入手したいと思う。竹内浩三を早い時期に注目した人に桑島玄二(『純白の花負いて』理論社)がいるが、その詩友に足立巻一がいて、『戦死ヤアワレ/無名兵士の記録』(新潮社)を書いている。その本を図書館で借りて来て、竹内浩三の部分だけ読んだが、その本には足立巻一の戦争体験が書かれているので、その後注文し、読んだ。足立、桑島以外に早く亡くなったテレビディレクターの西川勉がいて、『戦死やあわれ/西川勉追悼文集』(新評論)が出ている。 

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