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広島の語り部・佐伯敏子さんを偲ぶ会に参加して 


 

 

 広島の語り部・佐伯敏子さんが昨年10月3日に97歳でお亡くなりになりまし。新聞でそれを知り、大変ショックを受けました。佐伯さんとはじめてお会いしたのは、1981年の高槻市立富田小学校の広島修学旅行で子どもたちに被爆体験を語っていただいた時でした。佐伯さんは23人の肉親を原爆で亡くされ、その死を見つめてこられました。佐伯さんの魅力は、原爆でなくなった方々を目の前に浮かぶように、今そこに生きているかのように、「広島には歳はないのです。あの日のまんま。」と語られたことでした。
 その後、広島にお住まいの児童文学者の中澤晶子さんのご協力により佐伯さん所在先である老人健康施設が分かり、2014年3月に佐伯さんと28年ぶりに再会しました。またそのなかで佐伯さんの語りを朗読劇として表現活動されている「伝の会」のみなさんとも出会い、8月に朗読劇を供養塔前で見させていただき、佐伯さんとも一緒にお会いしました。 

 大阪での佐伯さんを偲ぶ会は、伝の会のみなさんの呼びかけで、昨年12月9日に大阪市内で行われました。参加者は、伝の会のみなさんと修学旅行で佐伯さんにお世話になった松原市立布忍小学校等の教員・保護者の方々でした。それぞれが佐伯さんとの出会いで得たものを話し、今後佐伯さんの志を受け継いでいきたいと思いを語りました。私はもう学校現場にはいないので、教育で志を次いでいくことはできませんが、現在の私のライフワークである靖国問題で佐伯さんから得たものを受け継いで行きたいと話しました。その際、2016年に伝の会のみなさんと最後に佐伯さんとお目にかかったときに感じたことに触れました。それは次のようなことでした。

 「死者の言葉を聞きとらねばならないですね」との朗読劇「十三人の死をみつめて」で佐伯さん役の三原和枝さんの問いかけに、佐伯さんは「私は死者の言葉を聞き取りたいと願ってきたけれど、私のいたらなさゆえに、今まで一度も死者の言葉を聞けていません。」といわれた。その時、私は虚を突かれた感じがしました。私はしばらくその言葉の意味を考えていました。被爆死した人の思いを長年考え続けてこられた佐伯さんであってこそ、生者が死者の思いをくみ取ることの不可能性を言われているのではないかとまずは思いました。
 また、違ったことも浮かびました。被爆した近親者を探しつづけられた71年前の被爆当時の思いに、佐伯さんは戻られているのかも知れないとも思いました。どちらもありうることで、ほんとうはどうか分からないという思いでした。

 佐伯さんを偲ぶ会で、布忍小学校の中島智子さんが新任教員当時に広島の修学旅行で佐伯さんに語っていただく取り組みが始まったと話されました。私はその同時期に布忍小学校の修学旅行に同僚教員と見学し、その取り組みから学び、富田小学校の修学旅行を開始したのでした。ふたつの学校の修学旅行がぴったり重なったことに驚きました。偲ぶ会は少人数でいたが、実に味わい深いいい集まりでした。佐伯さんの志を受けついて行きたいと思いを新たにしました。 

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