都立三田高校事件第六回公判

苦悩の末の直接行動

古澤英樹(99・12・13)



都立三田高校事件等 苦 悩 の 末 の 直 接 行 動 

 第6回公判(12月13日)は、松村高太郎さんと一連の事件とのかかわり、動機、背景について、本人質問が弁護人側からなされました。

 都教委は、98年、人事異動要綱を改定し、本人の希望と承諾なしに、島嶼や定時制の高校への強制異動がなされることになった。教壇に立つのが「不適格」な教員を二十数名、都立教育研究所に送った。前には、解雇もした。また、「成績特別昇給制度」を設け、一年待たずに一号俸昇給する「12短」を新たにいれ、校長の具申に対してヒヤリングした。広尾高校では、組合の推薦する推薦リストを、校長が無視し、恣意的具申を行った。その差別行為に対して組合(分会)は、職員会議を形のみにし、管理職抜きの教職員全体会議を開き、そこで学校運営事項を決めていった。親睦会の忘年会も行われなかった。

 99年、「都立学校のあり方検討委員会」(あり方検)の答申を受け、7月、「公立学校管理運営規則」を改定し、10月、通達をだした。都立高校の運営の中心がこれまで職員会議にあったが、それを校長の補助機関とし、主任で構成する企画調整会議で企画立案することに変えた。校内人事は、教職員から互選された人事委員会が希望をもとに決定していたのを止めて、校長が直接決定するとした等。この通達を受けて、広尾高校では、12月、校長が「学校運営規定」を職員会議に提起した。賛成者ゼロであったが、校長は都教委と協議のうえ決定し、99年1月から施行。これに伴い従来の内規を廃止し、「校内規定」を策定し、1月20日の職員会議でその説明をはじめた。

 このような一連の流れのなかで、松村高太郎さんは、12月から眠れない夜が続き、催眠心理教室に通ったが、効果がなかった。この一連の動きによって、生徒と直接接しているさまざまなキャラクターをもった教師の集団が、それぞれ知恵を出して学校を運営することが出来なくなることに、強い危機感をもったからだ。教職員組合の力ではこの動きを止めることが出来ない。では、どうしたら生徒たちを、学校をまもることが出来るか。一連の流れを止めるにはどうしたらいいのか。松村さんは悩み続けた。それには自分が立ち上がるしかない。教育長や次長を脅して、止めさせよう。止めさせる方法論を色々考えた。悩みに悩んだ末、脅迫の手段として、爆弾を使うことを思い立った。その方法論について、現在においては「常軌を逸したもの」と考えているが、その時は、何としても止めねばということで頭が一杯で、冷静な判断が出来なかった。それほど、都教委=校長の強引な動きに対して、反発していた。

 2月9日、市川市にある教育庁次長(「あり方検」委員長)の家に火薬類を収めたアルミ箱を仕掛けようと、早朝、自動車を動かしたが、逡巡して反対方向に走り出してしまった。ようやく、首都高速道にのって市川へ向かった。その日の夕刊を見て、意外のことに、次長の娘さんが怪我をしたことを知った。「申し訳ない」と思った。二度とこういうことはしたくないが、あり方検路線を中止させるため、教育長、人事部長宛てに脅迫文を出した。

 広尾高校長が、99年度の校内人事を決定し発表した。教職員は驚いた。教務・生活指導・進路指導の3主任が直接指名されていたからだ。「主任は教職員の意向を参考にして決定する」と、校長自ら「校内規定」で決めていたのに、それに反していたからだ。2月17日の職員会議で、教職員がその点を問いただすと、校長は言った。「それでは、その規定は削除します」と。教職員は、抗議して、会議の「閉会動議」を出し、散会した。3月3日の職員会議では、校長は、都教委の通達に従い、卒業式の「日の丸」掲揚を、「始業時から終業時まで行う」と、一方的に決めた。それから2日後、松村さんは、二度とするまいと考えていた爆発物をつくるために、材料を買い始めた。

 3月12日、三田高校の校長机上に爆発物を置いた。その前の三、四日ものすごく眠れない日が続いた。非常に苦しかった。「こんなことしてもいいのか…、でもやらなければ、我々教職員も生徒も守れない…」と悩んだ。

 三田高校の校長室へは黒メガネと軍手姿で行った。怪しい人物を絵にかいたような姿で。「怪しまれる」とは少しも思わなかった。非常に感情が高ぶって、冷静な判断力がなかった。校長室から出たところで職員に見とがめられた。振り切って、校門まで走った。そこで、「あっ」と立ち止まった。「関係ないひとたちが、振動型の爆発物に触れて、怪我をしたらまずい。これは引き返さねばいけない」と思った。逃げ去ることは容易であったのに。職員数名につかまえられ、校長室の隣の廊下へ連れて行かれた。爆発物の起爆装置を解除しなければと思い、「校長室に忘れ物をした」と言って、室内に入ったが、職員たちにおさえられ、出来なかった。そこで、校長机上に振動型の爆発物があることを告げた。警察官に、爆発物の構造と解除の方法を教えた。警視庁の爆発物処理班が凍結処理中、爆発した。 松村さんは、自分が爆発物を手段に教育庁を脅さなければ、「あり方検」路線による管理強化の流れを止めることが出来ないという考えに強く囚われていて、別の選択肢を当時選ぶことは出来なかった、と述べた。
 
次公判は1月21日(金)午前10時〜.東京地裁510法廷(地下鉄霞が関・桜田門)。松村さんに対する検察側の反対質問、情状証人質問が行われます。 結審は2月です。検察の論告求刑、弁護側最終弁論が行われます。 「殺人未遂」 「爆発物取締罰則1条 爆発物行使」の二つが最大の争点です。
 
松村さんの手記が完成しました。今、適当な出版社を探しているところです。
お心当たりがありましたら、ご教示ください。
「松村高太郎さんの問題を考える会」 川越市石原町1-14-11 古澤気付
E-mail hurusawa@mb.infoweb.ne.jb
ホームページ http:/www.jca.apc.org/~isao_m/ 公判記録が載っています。