都立三田高校等事件弁護側冒頭陳述

(99・7・5)


都 立 三 田 高 校 等 事 件 弁 護 側 冒 頭 陳 述 

被告人   松村高太郎

  一九九九年七月五日

           右主任弁護人   海野浩之

             同      笠原克美

東京地方裁判所
   刑事第一三部  御 中

一 被告人の家庭人としての人物像

一、被告人は昭和三一年一一月二七日中学校の教員であった父と小学校の教員であった母の長男として出生し、七才年下の弟との四人家族の一員として健全に成長し、中学、高校は埼玉県戸田市から都内の私立高校に通学し、昭和五〇年四月現役にて上智大学理工学部物理学科に入学し、昭和五四年三月同校を卒業し、同年四月から富士ゼロックス株式会社に就職したものであるが、二年後に大阪に転勤となったのを契機として、父母病弱の為にも、親許に戻り教員になるべく、通信教育とスクーリング(教育実習)の過程を経て昭和五七年三月教員免許を取得し、昭和五八年四月埼玉県立桶川高校数学科教師となったものである。 翌五九年四月都立赤坂高校に転任し、平成二年四月から都立広尾高校の数学科教諭として勤務して居たものである。
二、都立赤坂高校勤務中の昭和六三年五月一四日音大ピアノ科卒の妻充子と結婚し、現在九才と七才になる長女、二女の父親となっており、穏やかな性格で子供達に優しいパパで、妻の育児ノイローゼや嫁・姑問題では、共に悩む夫であり、妻子に対し手を上げたり、怒鳴ったりする事は一度もなく、休日には妻や子供達と一緒に遊園地に行ったりする子煩悩なファミリータイプの父親であり、夫である。
三、平成元年から戸田市上戸田の両親所有の住宅に両親と一緒に、又、弟とも一緒に暮らし始めたものであるが、父親は昭和五四年病に倒れて居て、半身不随で寝た切りに近い状態で、自宅内を辛うじて車椅子で移動する様な生活をしており、他方母も心臓病で三度入院した事もある等の為、同居後は必要に応じ被告人が両親の入退院介護或は自宅内では父親の爪を切ったり、下の面倒を看、弟が洗濯物をするといった家庭内の家事分担も受け持って居た。
 この病床の父親から見る被告人は四才位の時、祖父の葬儀に際し、火葬場で祖父が焼かれる段になるや、両手を拡げて立ちはだかり「おじいちゃんを焼いちゃ駄目だ」と必死の形相で止めた優しい気持ちの子供だったのであり、その子が大病することなく順調に成長して、高三では成績も急に伸び現役で大学の物理学科に入り、学生時代はマンドリンクラブに所属するなどして充実した学生生活を送り、先述の如く父親思いの社会人、家庭人となって呉れて居たのである。
  同じく弟から見れば六ツ違いの良く遊んで呉れたり、勉強を教えて呉れた優しい兄だったのである。
四、その様な家庭状況の中で、公的、職業的に都立高校の数学科の教諭を勤めて居た一方、個人的生活としてはスポーツジムに通って汗を流し、自室に籠ってはクラッシック等の音楽を聴き、或は小説を書き、雑誌に投稿したりする側面も有して居るものある。
五、被告人の衣食生活は質素なもので、何時も変わらぬジャンパー姿で、昼食もコンビニから買って来るおにぎりと飲物の軽食
で済ませて居た。 そして、特に見るべき資産を有して居たものではないが、現住居である両親所有の土地・建物各一〇〇坪の将来の相続とそれに際して生ずるであろう約二、〇〇〇万円前後の相続税支払いに備えた預金だけは、母が相続時に苦労した事
を教訓に心掛けて居た。
六、そんな、被告人が、此処三年程前の平成八年頃から妻に対し疲れた、或は仕事に行くのが厭だ、校長にゴマする奴が良い思いをする、要領の良い奴が出世する世界だ、公務員もリストラがあるんだ、僕もいつ首を切られるか判らないんだよと言い初め、他面、平成八年六月頃には猟銃免許を取得し、スポーツジム以外にもクレー射撃にもストレス発散を模索するに至ったのである。

第二、教師としての人物像

一、民間企業に就職した被告人は、両親との生活も視野に入れ先述の如く通信教育とスクーリング(教育実習)の過程を経て三年後には教員免許を取得し、昭和五七年四月から高等学校数学科教諭の道を歩み始めるのであるが、これは共に教員であった両親の潜在的影響と共に、自からも教える事に向いて居るとの自覚に促されての事である。
二、最初の着任校である埼玉県立桶川高校は通勤の便、或は出来れば東京で教えたいとの理由で、一年で東京都立赤坂高校に転じたものであるが、此処では校風乃至人間関係も円満で教師生活に順応、且つ、意欲的に過す事が出来たものである。
  赤坂高校在職中、私生活に於て生涯の伴侶としての妻充子とも出遇い、二人の女の子にも順次恵まれて居る事は先述した。
三、被告人は正義感強く自からの高校生時代にも学内でのいじめを放置する事なく、又、責任感も強く、教師になってからは一人教室内の机、椅子の整理、整頓、片付けなども黙々とやったりして居たのを、他の教員が目撃している。これは後に述べる如く松村教諭に清掃指導の教育効果に特別の考えがあるからなのである。
四、被告人は高校教師として、高等学校教育の重要性を充分自覚して居り、その責任は教師及び教師集団である職員会議が担うべきものと考えて居るのであるが、これは学校教育法第五一条で高等学校にも準用されて居る同法第二八条三項「校長は校務をつかさどり」、六項「教諭は教育をつかさどる」と規定されて居る事にも立脚しているのである。
 この学校教育に於ける校長と教諭の役割分担を巡って、校長と教諭の間に於てを現象面として、校長の任命権者である各都道府県各市町村教育委員会乃至は更にはその背後の文部省という国家権力乃至は行政と、教育現場に於ける教員乃至はその職能集団である職員会議、更には教職員組合との間の長年月に渡る深く大きな本質的権限争いが展開されて居るのであるが、これが後述する東京都教育委員会(以下、都教委と略称する)に依り為された「都立学校等のあり方検討委員会報告書 校長のリーダーシップの確立に向けて 」に網羅的に集約されて居り、これに基付く都教委側の攻勢が松村教諭を反発に導いたものなのである。

第三、松村教諭の考えて居た教師像

一、松村教諭としては教師気質を持った素朴な先生が、それぞれの理想とする教育理念や教師像に基付いて、種々様々な能力、個性、成育歴、成育環境にある生徒の心を「つかむ能力」、「教え方の上手さ」という教師のセンスを磨いて生徒の明るく健全な心を育てて行こうとする教師像を有して居るものである。
 松村教諭の言う教師気質とは、第一に子供を何よりも愛し、その健全な成長に喜こびを感じ、第二に金や出世をあまり望まず、地味で飾り気のない、第三に「これだけは教えるんだ」、「これだけは許さない」と言う教育信条があり、他からの圧力、誘惑に屈しないという教師という人種に大旨共通する性格を指して居る。
 従って、教師気質の持主は子供志向型となり出世欲に捕われた上昇志向型とはならない筈だと考えて居るのである。
 この教師気質の素朴な子供志向型の教師にも、金八先生の様に子供に密着するタイプや木枯し文次郎型のクールな接し方の教師も居り、能力差も個人的魅力も、それぞれであるが、その教師が職員会議を中心に教師団として教育を担当するのが様々な生徒に対し、より教訓的・教育的で良いと思って居る。
 これら色々なタイプの教師が、同じ教育現場の同僚として、指揮、命令という縦の関係でなく、横の関係に於て「ヨコ社会」として職員会議を中心に教育の問題点を話合い、教員各自の教育の長所短所を補ない合って、必要とあれば、上下関係としてではなく先輩、同僚の先生から有益なアドヴァイスを得ながらそれぞれの教育を実践して行くのを良しとして居るのである。
 又、能力のある先生が下手に厳しく教えて生徒に劣等感を植え付け、ヤル気を失くさせる場合もあれば、欠点のあると思われる先生が褒め上手に教えて生徒の自主性ややる気を引き出す場合もあるのであるから、教師の評価は難しく、従って単純に能力差を給与差とする考えには組みせず、給与格差は無い方が善しとするものであった。
 教師は一般企業と比べて給与面での待遇低く、且つ、原則として部課長、係長等の役職もないのであるが、比較的自由な研修時間もあり、時間的にゆとりがあるのでそこに魅力があり、金持ちにならなくてもいい。偉くならなくてもいい、競争などせずにのんびりと子供達を育てていこうという、そんな子供志向型の人間にとっては最適の職場なのである。
 また教師という仕事にはこの「ゆとり」があることが、子供を育てる上で大変貴重な役割を果していると感じているのである。
 明るく豊かな感性というものは「ゆとり」がなければ育たない。そして教師自身がこの明るく豊かな感性を持たなければ、それを子供に植えつけることなど絶対に出来ないのである。
 しかしこのヨコ社会は上昇志向型の人にとっては、とてももどかしくて、或は悪平等社会の様に見えて住みにくい環境であろうと思われるのであるが、今教育行政は、後述のアメとムチの政策を導入してこの上昇志向型の人を学校現場に増やしていこうとしている。しかしこの上昇志向型の人というのは、どうも教壇に立つにはあまり向いていないようで、簡単に言えば教師としての適性に反するのである。人にはそれぞれ向き、不向きというものがある。やはり教壇に立つ人は教師気質を持った子供志向型の先生が良い、と松村教諭は考えて居たのである。
二、右の如く、松村教諭が教師として望ましくないタイプとして上昇志向型乃至出世志向型を考えて居た。
 平の教員が教頭試験を受ける、又は教頭が校長試験を受ける場合には所属する学校の校長の推薦が必要になる。だから昇進するためには校長から良く評価して貰わなければならず、良く評価して貰うには校長の意に反した意見、考えが言えなくなり、校長の意に逆らった行動は取れず、端的に言えば校長に好まれる言動を取り、校長に好かれることが第一条件となって来る。もし校長に嫌われでもしたら、絶対に昇進は出来ない。
 しかし管理職になる気のない教員は、特に校長や教頭に好かれようとはしない。またある学校に管理職を志望する人達が多いと、その人達は派閥を作ることが多く、平の教員が教頭になれるのは、一つの学校から毎年一名以下であるから、派閥の中の人達は誰が一番で誰が二番で、という順位が決められているようである。この様な上昇志向傾向は次第に校長、教頭、或は教育委員会という縦の上下関係を齎らし、競争原理に支配されて行くのである。
 この上昇志向型の先生の多くは教職員組合を離脱して行くので、広尾高校の現実では松村教諭赴任当時一〇〇%であった組織率が現在では八〇%に落ちている。これは松村教諭に言わしむれば後に述べるライン化された校長、教頭及び主任の出世ルートの明示並びに特昇制度をアメとし、強制人事異動並びに指導力不足教員の対応をムチとするアメとムチ政策の浸透結果であり、組合弾圧でもあるのである。
三、上昇志向傾向に依り、教育現場に競争原理が導入されれば足の引張り合と
なって教育現場は混乱して仕舞うと思われるのである。
 上昇志向型教師は、校長、教頭の意を体してか、同じ職場の意にそぐわない教師を排斥したり、いじめや嫌がらせの仕打ちをすることもある。
 又、競争原理を積極的に肯定する教師は生徒を学業成績で競争をさせ、落ちこぼれの生徒を差別扱いしがちである。
 そして、生徒指導も管理的方法に頼り勝ちとなり、この方法で指導すると却って学校が荒れて来る。
 松村教諭は広尾高校での体験を次の様に「手記」で語って居る。
 どうも学年担任団の中に上昇志向型の教師が多く入ると生徒が無気力になり荒れてくるのである。逆に担任団の中に上昇志向型の教師がいないと、学年運営は大変スムーズにいくのだ。
 広尾高校に在職中見てきた学年団の中には、上昇志向型の教師が三人もいる学年団があった。そしてこの学年は非常に問題行動が多く荒れた学年であった。もちろん生徒の学業成績なども低調で進学実績もあまりぱっとしなかった。
 広尾高校としては珍しく、この学年は入学直後から盗難事件などが多発した。また登校拒否などにより学校を中退していく生徒も多かった。
 ある担任のクラスなどは一年生のときに自殺者が出て、その後二年生の時にはバイクの暴走事故による死亡者をも出している。この担任の教師は後に若くして教頭に昇進したが、同じクラスで二人の死者が出ることなど珍しいことである。
 そしてこの学年は三年生になると生徒達が増々荒れた。各教室には空カンやペットボトルなどのゴミが散乱し、ガラスを割るなどの器物破損も発生した。
 更に卒業式の日の式場では、式の直後に父母や来賓の参列する場で大量の爆竹が破裂する騒ぎがあった。多分一部の卒業生が腹いせに仕掛けたのであろうが、会場の雰囲気は著しく悪くなり折角の卒業式が台無しになってしまった。
 広尾高校ではかってこれほど後味の悪い卒業式はなかったであろう。何故この様な生徒達になってしまったのだろうか。同じ様な生徒でも指導の方法によってはこうも変わってしまうものなのである。
 それは松村教諭が教壇を去る直前のことであったが、この年の秋頃から都教委による「管理運営規則」に沿うように、校内の内規を変更する作業が進められていた。
 同時に校長は自分の信頼する部下である教師達を集めて、その人達を中心に校内の生活指導のやり方などについても改革をしようと試みていたようであった。
 秋頃から生徒指導部を中心に、生徒達に対して今までにないような管理的な方法で指導をするようになってきた。
 校長は自らこの様な指導をすることを公言することはなかったが、暗に自分のやり方に協力的な人達を集めてこういった管理的な指導を命じたのだろう。
 それまでは生徒の校外への無断外出などを防止する目的で、昼休み中の生徒の出入口における立ち番程度のことは生徒指導部の教員が交代で行なっていた。
 しかしこの頃からは立ち番だけではなく校内巡回も行なわれるようになった。また立ち番は昼休みだけではなく、授業の休み時間にまでも実施されるようになった。更に熱心に巡回指導をする教師達も現れ始め、部活動の部室とか体育館裏など校内の隅々まで、喫煙者の発見や授業を怠る者への指導をするようになったのである。
 生徒たちのタバコや授業のエスケープの状況などは特に今までとは変わりはなかった。広尾高校では昔からそれらの状況はほとんど変わっていない。他の多くの都立高校と比べれば問題はかなり少ない方なのだ。しかし校長の目から
みればそれは不満足なものだったのであろう。
 松村教諭は生徒指導部による校内巡回指導などが行なわれる直前の時期に、職員会議でこの様な管理的な生徒指導の方法について反対をする発言をしたことがあった。 生徒の気持ちをつかむことなしにただ高圧的に力で押さえつけるような指導はすべきではないと思ったからである。特に最近の生徒の態度に著しい変化はないし、何よりも広尾高校ではこれまで生徒と教師の良き信頼関係が保たれていたのである。
 それを無視してこの様な教育困難校的な、やれ教室へ早く入れだのタバコを見つけたら承知せんぞだのといった威圧的な指導をすれば、当然生徒達は反発をしてくるものだ。 またそういう指導は自由で伸び伸びした広尾高校の校風には合わないし、またここはそういった管理的な指導を嫌う生徒が多く集まっている学校で、それが伝統になっているのである。
 しかし松村教諭とその他二名位が職員会議でこの方向に反対意見を出したのであるが、生徒指導部における巡回指導などは続けられた。
 そして案の定、松村教諭が予測した通りに生徒達は荒れて来た。一〇月に入ると体育館の入口の扉ドア一枚分もある大きなガラスが、バットのようなもので粉々に割られるという事件が起こった。
 広尾高校としては珍しい事件であったので、生徒指導部と校長の意向により直ちに全校集会が開かれた。そこで校長による説諭が行なわれガラスを割った者、又は目撃した者は素直に申し出るようにと生徒達に訴えた。 しかし、こ
の事件に関する情報の提供者は全く現れず、この事件のあったすぐ後で体育館の隣の建物の二階にある柔道場の大きなガラスが野球のボールを投げられて割られているのが見つかった。たて続けにこの様な事件が起こることなど今までなかったことである。
 新年に入ってからは生徒指導部の要請により、全教員による交代制の校内巡回の当番の割り当てが発表された。その理由は校内が荒れて来ているため、生徒を教室へ早く入れる指導やタバコの見回りなどを一層強化したいということであった。
 この案は生徒指導部の原案で職員会議に提出されたが、多分これも校長の命によるものであったと思う。
 ともかくこれで広尾高校始まって以来の全教員による校内巡回が行なわれることになってしまったのだが、この巡回が行なわれるようになると肝心の生徒達の方は増々荒れて来た。
 一月の末頃には一年生の女子の生徒による校内の売店からの牛乳パック二〇個入りのケースが盗み出される事件が起こり、この生徒は直ちに謹慎処分になった。またさらに二月に入ると二階の教室へつながる廊下のゴミ箱に火がつけれれて炎上するという大事件も起こった。
 この事件は発見が早かったので火事には至らなかったが、誰が火をつけたのかということは分からず終いであった。
 この事件の直後も前のガラスの事件と同様な全校集会が行なわれたのであるが、その効果はほとんどなかったようだ。
 更に三月に入ると牛乳パックの件で謹慎を終えた女子の生徒が、生徒指導部の教師に暴行を働き退学勧告を受けることになってしまった。更にその直後に一年生の女子の七、八人の下駄箱に入れてあった靴の中に、生卵と画鋲が入れられているという悪質な悪戯があり、校内の雰囲気は増々悪くなっていったのである。
 退学勧告を受けた女子の生徒などは、もっと心を開かせてやるような指導をしていれば多分立ち直ったことであろうと思う。私の見た感じではそんなに問題の根の深いような生徒には見えなかった。
 生徒指導というものはただやれば良いというものではない。やり方を間違えれば逆効果になってしまうのである。

第四、松村教諭に対する小さな内部攻撃、大きな外圧

一、松村教諭が広尾高校に着任して三年目の学年末に近い頃、教諭の担当して居た二年生の数学の授業内容に付いて、数学の教科会に於て松村教諭に対して非難の声が挙がった。具体的にどんなことを非難されたかというと、それは次の三点であった。
 第一に、生徒に対して理論的なことを深く追求するようなきちんとした説明がなされていないということ。第二は生徒が授業中寝ていたり遊んだりしていても注意をしないということ。第三に教師が問題を解いて黒板に模範解答を書いてやるべきなのに、生徒に問題を解かせて黒板に書かせていること。以上これらは全て仕事の手抜きであると松村教諭のことを非難したのであった。
 これはいずれも教諭の授業の一面を見てそれを誇張したものに過ぎないものであるばかりか、松村教諭の授業を頭から「悪い授業」と決めつけているような非難の仕方であった。
 それにしてもこれは奇妙な話であった。それはまず、松村教諭自身それまでに生徒達の間からこの様な苦情や要求を受けたことは一度もなかったのに、何故この時点で急に話題になったのかということである。
 松村教諭としては自分の授業に自負する所も多々持って居り、且つ、他の数学教諭担当のクラスと比較してクラス全体として定期考査で劣って居る訳でなく、むしろ、実力テストの高得点者も多く、逆に成績不良者が少なく、大学受験の結果も良い方だったので、誠に心外に思いつつ次の様に反論したのである。
 第一点については、理論的にあまり深く追求をすると生徒は興味をなくし、数学を嫌いになってしまう。生徒が興味を持って意欲的に取り組むようにするためには、高度な概念や計算技術を要求される部分については概略的なものにし、体験学習的に生徒が自ら考えるようなものに切り替えた方が効果的であること、第二点については、生徒を威圧してがんじがらめにするような指導は好まない。だから教室の風紀を乱さない程度のことであれば大目に見ている。ある程度のゆとりがあった方が生徒は活気を出すものである。
 また第三点については、極力生徒に自分で問題を解かせる機会を与えている。教師がやって出来るのは当たり前ではないか。問題は自分で解かないと実力は身につかない。松村教諭が自分の数学の授業中に、生徒に問題を解かせるのに時間をかけたのは、生徒が先生に手取り足取り教えてもらわなくても、「自分の力で問題が解けるのだ」という問題解決への自信と意欲を持たせるのが目的であった。こうすることにより生徒は問題解決の能力が少しづつ向上してくる。模範解答などは教科書に書いてあるのだからそれを参考にすれば十分である、と。
 それにも拘わらず、上昇志向の有力派閥に属する数学科の一部教師は担任するホームルームで公然と非難する等して松村教諭低評価定着を目論んだりしたのである。
 教師として絶対に許されないのは「子供や父母達の前では絶対他の教師の悪口を言ってはいけない」と言う事である。そして、「ダメ教師」の烙印を押して、足の引張り合いをすれば教育現場は混乱し、教育効果が発揮出来なくなるのである。
 松村教諭への故なき非難・攻撃と同じ事が松村教諭着任直前にも新任教師に加えられ、彼は三年間で異動を希望し他校へ転出して居る例もあり、又、松村教諭自身も転任を強要されかかったのであるから、広尾高校数学科教員の体質に問題があると思われる点である。
 同じ職場の意に適わない教師を排斥しようとするような教師達は、子供達に対しても同様な態度をとる傾向がある。やはり意に適わない子供達に対して攻撃的になり、場合によってはいじめや嫌がらせの如き仕打ちをすることさえある。
 それほどまでには行かなくても、子供達を自分の型にあてはめようとして子供達の反発を買い、指導に失敗するケースは多い。管理主義型指導が逆効果である広尾高校での実例は先述したが、松村教諭としては、生活指導は先の様な威圧・管理型ではなく、次の様にもっと地道な方法を良しと考えて居たので、これを手記から引用する。
 学校教育の破壊は、最初は目立たないところから始まる。それはまず、委員会活動などに協力しない生徒が出始めてくる。次に掃除当番などをサボる生徒が出始める。この様なことを常習にする生徒は要注意である。
 それから遅刻をする生徒が増え始める。それにゴミをやたらと散らかすようになる。この様な状態になってくると、学校全体が何んとなく汚らしくなり風紀も乱れ始める。 校則違反も頻繁となり、常習者には教師がいくら注意を重ねても聞こうともしなくなってくる。そのうち「赤信号みんなで渡れば怖くない」、という様な態度になり、校則などないに等しい状態になってしまう。
 学校がこの様な環境になってくると、他の生徒の心も次第に荒れ始めてくる。喫煙や器物破損などが現れ始め、それがエスカレートしていじめや暴力事件などといったもっと深刻な問題行動が発生するようになってくるのである。
 生活指導に関する研究発表などには喫煙の指導や暴力事件の解決などに関するものが多いのであるが、目のある教師はこの様な反社会的行動に走る生徒達の心の動きを、掃除当番などの学校の美化活動に対する態度の変化に表れるということを見逃さない。
 生徒は心が荒れ始めると必ずと言っていいほど掃除当番をやらなくなる。だからそれをきちんとチェックをしていれば、早い段階での生徒の非行化を防止出来ることが多いのである。
 教師が注意してすぐ指導を受け入れるような生徒であれば全く問題はないのであるが、要注意なのは何回注意してもそれを繰り返す生徒であり、本当に悪質な者は誰から何んといわれようと絶対にやらない。何んでここまで強情に意地を張って反抗するのかと、不思議に思えるほど掃除をすること、即ち学校をきれいにすることを嫌がるものである。 生徒を見る目がある教師はこの異常
性に注目し、その指導に全力を注ぐものである。これを放置すると、その生徒は仲間をどんどん増やし清掃活動などの美化活動を妨害し、揚げ句の果てにはホームルーム活動、更には学校全体の教育活動さへ破壊されかねないからである。
 上昇志向型の先生はこの様な掃除の指導はまずやらない。そんなことをしたら「あの先生は掃除のことばかりやっていて、進路指導に力を入れてくれない。」と悪評が広がるのを怖れるからである
 ある中学三年の例であるが、ホームルーム担任となった男性教師は、この掃除の問題が学校を正常に運営する上で最も重要であると認識した。
 何度注意をしても掃除をやらないような生徒は、仲間を増やそうとして、しきりに自分と似たタイプの生徒に掃除をサボるように声をかける。そして仲間が増え出すと真面目にやっている生徒を冷やかしたり嫌がらせをしたりするようになる。そして真面目にやるような生徒達も次第にやる気をなくし、遂にはホームルームの清掃活動が成り立たなくなる。結局最後は少数の協力的な生徒
と担任の先生で掃除をするような状態になる。 多分、この様なパターンで清掃活動が成り立たなくなっている学校は多いと思う。そしてこの担任の先生はこの事態だけは避けようと、ホームルーム活動の大半の事件を清掃活動のための話合いの時間に充て、清掃活動が学校を正常に運営する上で非常に大切なことであることを訴え続けた。その効果があってか、それでもやらない生徒はいたがクラスの清掃活動は正常に運営され、多数の生徒達は自主的に掃除をするようになったらしい。
 ホームルームの時間は限られている。他にも進路指導だの学校行事だの話合わなければならないことは数多い。もし父母や上司に気に入られるように振る舞う教師なら進路指導などに力を入れ、清掃活動みたいな目立たないことに関してはあまり時間などはかけないであろう。
 しかしこの先生のクラスは清掃活動を建て直すことにより、学業成績も非常に向上をしたそうである。自分達からすすんで掃除をするような態度が生徒達の自主性を育て、学業成績にも反映したのであろう。二、松村教諭の授業に関し、平成八年六月には新任の安食校長と教頭から、前同様の事を言われ、この時も前同様同旨の反論をしたのであるが、松村教諭としては、結局、誤解が解ければとの考えもあったものの、強引に教頭が二度程授業見学をするに至り、これは嘗つて都立高校では未聞の事でもあり、大変屈辱的であり痛く松村教諭のプライドを傷付けるものであった。
 然しながら、現実には何んの問題も指摘されることなく終わり、その後も何もなく結局は問題点が無かったのであるから、この校長、教頭のラインからの教育現場への介入は権力的乃至行政的嫌がらせ以外の何物でもなかったのである(これは後述する「あり方検」答申にある、校長、教頭に閉ざされた各教諭の授業を開かせる先行例だったのである)。
 先述の家庭内で「疲れた」、「仕事に行くのが厭だ」、「校長にゴマする要領の良い奴が出世する」等と言い出した時期と一致するものである。
 校長、教頭からこの様な事をされたのは、この教頭の二年の在任中、この教頭からのみなのであるが、これは、この前年度学年末の職員会議で同級生に恐喝と暴行を働いた生徒二人の処遇に関し、生徒指導部と学年会の原案である「進路変更 当事者が任意転校しない場合には校長に依る退学処分という趣旨のもの 」に対し教頭が強硬に反対の立場で「退学処分というのは校長の権限で行なうもので、職員会議でそれを決めることは出来ないのですよ。皆さんおわかりでしょうね、あなた方が決めることではないんです。」と発言したのであるが、松村教諭とて当然そんなことは知っている。しかしこんな事件が起こった際に職員会議が何の決定もしないなどということは聞いたことがない。慣習上、校内内規上教育の内容に関しては職員会議は最高の決定機関なのだ、との思いから、教頭のこの発言にはみんな憤慨した。教頭の派閥的取り巻き教員からは原案に対して採決を引き延ばすことを提案する意見まで出されたので、会議は喧騒とした雰囲気になり、職員会議は長引いた。どうやら教頭としては職員会議で採決されて、先の原案が決定することを避けたかったようである。
 松村教諭の考えからすれば、もしこの事件で加害者の生徒を学校に残すことになれば、その生徒達は仲間を増やし、被害者に対して口止めをするなどやり口ももっと悪質になっていく可能性が強く、そうなってくれば学校としても問題を解決することが難しなり、一般の生徒達は毎日恐怖に晒されることになってしまう。平和な学校を維持するためにはここはどうしても毅然とした処置をしなければならないことは、教頭もその取り巻き連中も十分承知していた筈なのである。 それにもかかわらず次々と原案に対する反対意見が出され、採決までさせまいとする提案が出されたので、議長は採決をどうしようか迷い始めてしまった。
 この時松村教諭は、ここは採決だけはきちんとしなければならないと思った。何故ならばもし校長がこの二人の生徒を学校に残すことになっても、その後に起こることが予想される問題に対して、その責任を現場の教師達(最終的には担任)に押しつけれれるのを回避するためである。
 もしそんなことになっても、職員会議の意向が進路変更の指導だったということをはっきり記録に残しておけば、その責任の所在が校長の判断にもあるのだということを明確にすることが出来る。多分、この教頭もそれを恐れたのであろう。
 そんなことを松村教諭が考えていると、教頭はこんなことまで発言した。 「生徒にとっては一生の問題です。みなさんここは何とぞ、穏便に済ませて下さい。」この発言は酷いと思った。松村教諭はとても腹が立ち間髪を入れずに次の様に発言した。 
  「校長先生はどう決断されるか分かりませんが、職員会議の意向をはっきりさせるために是非採決はすべきです。それをしておかないと今後起こり得る問題に対して責任の所在がはっきりしなくなります。そういう責任をうやむやにされないためにも、是非採決だけはして下さい。」
 この発言に対して教頭はとても嫌がる顔をしたが、議長団は松村教諭の発言を受け入れて、取りあえず採決だけはすることになった。
 結果は原案に対して賛成が圧倒的多数で、職員会議としてはこの二人の生徒に対して進路変更の勧告をすることになった。
 しかし教頭はこの発言のことを根に持ち、松村教諭に対して強い敵意を持つようになったようだと、松村教諭は感じて居たのである。
 この教頭は翌年初めの職員会議に於て、当時の校内内規の定めに依り信認投票が行なわれたのであるが、その結果は前代未聞の38対1白票1の不信任となったものであるが、その後間もなく都立一橋高校の校長として転出して行ったのであるから、それは教員間の信望よりも如何に校長、都教委のラインに組みする方が出世には大事であるかとの一例証になるものである。
三、この様な事に関連してか否か、新任校長は平成九年一月の職員会議では従前通り教職員側が作成する成績優良者特別昇給者推薦名簿を尊重すると発言約束して置きながら、平成九年度の教育委員会への推薦名簿からは松村教諭を外したのである。これは従前の慣例からすれば、輪番制と俗称される如く、五年に一度巡って来る昇給機会であり、この輪番制は本来教員は平等であるべきとの考えの許、教員社会に悪しき競争原理を持ち込まない為と、経済的待遇の低い教員の定期昇給の補完作用を営んで居たのである。これに対して教育委員会は、これを「悪平等」とし、教員社会に「特昇」というアメを介在させて競争原理を持ち込み、教員格差を付けんとして居たのであるから、この特昇を外された松村教諭は、個人的には松村教諭の言う経済格差のない「必要平等」を否定され、教員社会全体としては競争原理が持ち込まれ、後に述べる主任制度等とも相俟って上昇志向型教員を増やし延いては教職員組合の分裂乃至弱体化が進行するとの個人的・全体的二重の反発を感じたのである。
四、平成九年秋突発的に読売新聞の新聞報道に依り、都立新宿高校に於て、習熟度別授業実施の為加配されて居る教員二名を一般教員の持時間数軽減に流用して居る事が指摘されるや、東京都教委員会はこれを突破口に積年の教職員組合乃至教員の合議体である職員会議との間で後者優勢で推移乃至定着して居た伝統的諸問題を、一挙に覆し、教育委員会主導の許、教育委員会が教育現場に介入出来る全般的体制変革を打ち出して来たのである。その諸問題とは、従前の職員会議が学校運営に於ける最高意思決定機関である事、人事、予算は教員による委員会方式で実質的に運用されている事、主任制度、主任手当が形骸化されている事、教員の人事異動も原則として本人の「希望と承認」に基付いて居る事等である。これらに付いて、抜本的全面的巻返しが企図されたのである。
 その基盤が、教育庁次長を委員長として平成九年一二月一一日設置された「都立学校等あり方検討委員会」であり、この委員会は早くも三ヶ月後の平成一〇年三月には、次の==の如き報告書を出し、同年七月一七日次の==の規制を制定、実施に入り、これを承けて平成一〇年一〇月一六日==の策定が為されるのであった。又、この外にも平成一〇年一〇月一日==東京都立高等学校教員の定期異動実施要綱改正がなされている外、これら以前の平成九年四月一日には==の指導力不足教員への対応策も打ち出されて居るものであった。右==乃至==に対しては、松村教諭の反発的視点からこれを述べる次第であるが、この様に、非常に迅速、且つ、矢継ぎ早に事が進められ得たのは何故かと言えば、正に第二次世界大戦後、所謂墨塗り、黒塗りの教科書時代から始まった教育改革以来約五〇年間定着して来て居る諸問題であったが故に、これを良しとしない反対勢力側からすれば、既に長年月の間右諸問題に対する反対の「あるべきあり方」は検討済みであり、唯その時機を待って居たからに外ならないからである。