政治色強い不当判決(懲役10年)
検察側論告のコピーで、裁判の中立性否定
古澤英樹(2000・4・12)
政 治 色 の 強 い 不 当 判 決 ( 懲 役 10年 )
ー 検察側主張(論告)のコピーで 裁判の中立性を疑わせるものー
都教育庁次長宅火薬類爆発事件、三田高校長の机上に爆発物を置いた事件など、松村高太郎さんが直接行動にでた一連の事件に対する東京地裁の判決が4月12日でました。
長岡裁判長は、懲役10年(求刑12年)を申し渡しました。この判決は、松村さんが直接行動で訴えたかったことを、どのようにうけとめたのでしょうか。
都教育委員会(都教委)が、98年に「都立学校等あり方検討委員会(あり方検)報告書」にもとづき、「公立学校管理運営規則」を改定し、同年十月、都
教育庁は学校現場へ通達をだした。
それは、戦後五十余年にわたり教職員組合が中心になって形成されて来た「(教育を司る教員の全体会議である)職員会議は学校の民主的運営のために最も重要な機関であること」、「(教育を司る)教諭の教育に対して不当な指導・監督を介入させぬこと」、その為に「(平等であるべき教員に対する)不当な人事制度、人事異動はないものとする」などの民主的教育と教員の平等な処遇を保障する制度・慣行を全面的に改変するものであった。
すなわち、一、職員会議は校長の補助機関とし、二、主任で構成する企画運営会議で学校運営全体の企画立案する、三、教職員の互選による人事委員会を認めず校内人事は校長が定める等々を、校長は「○○高校管理運営規定」として定め、それに準じて、「校内規定」を決定(従来の校内内規を破棄)すべし…という通達であった。
都立広尾高校では、安食校長(当時)が、その通達に従い、制度改変を十二月に職員会議に提起したが、教職員組合に属さない非組合員を含めた会議の構成員の賛成者はゼロであった。それにもかかわらず、校長は教育庁と協議の末、「広尾高校管理運営規定」を決定し、人事委員会の廃止を含めた「校内規定」を定め、99年一月に職員会議でその説明を一方的に開始し、校内分掌の説明が終わらぬうちに、教職員から次年度の「人事希望」をはじめ、申し出ぬ者は校長に一任したと見做すとした。「主任人事は、分掌所属教職員の意向を参考にして決める」と自ら定めておきながら、人事発表では、教務・生徒指導・進路指導主任を校長の独断で一方的に指名し、教職員の憤激をかった。
教育庁の制度改変に対して、教職員組合(都高教)の学校現場の組織(分会)のほとんどで、その実施を事実上阻止した(「都高教新聞」第1414号、99年3月17日発行)。各職場の粘り強い闘争の成果である。広尾高校などでは、校長の専横な学校運営によって、一方的に実施されてしまったのだが、大半の高校も、都教委で制度下された以上、いずれは同様の管理主義的運営化の道をたどるでしょう。
そのように制度改変が一方的に進められる抑圧状況のなかで、松村さんは、悩み苦しんだ。12月中は、不眠状態で精神安定剤を服用したり、催眠心理教室に通ったりした。思い返せば、松村さんが広尾高校着任3年目に、数学科教員たちから授業の仕方について不当な批判を受けた。松村さんの授業を受けたクラスの成績は、他のクラスの平均点と変わらないどころか、高得点者も多いというのに。非組合員で現在高校長を勤めている教諭は、最年少の松村さんを特に「敵視」し、こともあろうか同僚とともに、松村さんを更迭するよう、校長に文書で申し入れ、その文書が歴代の校長に引き継がれていた。松村さんの授業を受けた生徒は裁判所に提出した文書で次のように証言している。
「先生の授業は、私が今まで受けてきた授業の中でも、かなり特殊な授業でした。普通、数学の先生は、教科書の概要を黒板に書き、大事な公式などに線を引いたりします。その他には、練習問題を先生が解いたり、先生が当てた生徒に解かせたりします。この場合、教科書に書いてある内容とほぼ同じなので、板書をする必要がほとんどなかったり、書く量も多いため、先生の言うことを聞いていない事もあります。それに、先生は、特定の生徒を当てる事が多く、かたよりが出てしまいます。松村先生の授業は、先生が指定した教科書の範囲を生徒に読ませ、公式や大事な点のみを板書し、練習問題は、一題先生がやりかたを示して、残りを出席番号順に生徒が解いていきます。この場合、生徒は先生の話を聞くことができ、生徒のかたよりもなくなります。今、冷静に考えてみると、松村先生の授業は、少し厳しいものだったのかもしれません。寝ている生徒や遊んでいる生徒は話を聞いていないため、テストで点がとれず、積極的な生徒は話を聞き、先生のところに質問をしに行き、問題が解決するためにテストでいい点を取れる。従って、大半の生徒が言っている、松村先生の授業は分からない、というのは、先生が板書をしないからという理由からだけではなく、生徒自身も、まじめに授業を受けていないせいでもあるということです」と。
松村さんへのいわれなき誹謗中傷のため、校長の判断で「不適格教員」とされて、授業を持たされず「都立教育研究所」送りになかったり、あるいは人事異動要綱の変更にともない、本人の希望と承諾なしに島嶼や定時制の高校へ強制的に配転させられるのではないかという不安がよぎった。島嶼や定時制の高校で教師経験を積むことを、松村さんは意味あることと考えていたが、教師生活のおよそ40年間の勤務期間のなかで、どういう状況で勤務するのが適当かということについては、松村さんなりの考えがあった。40歳代に入った松村さんは、小さい子供の教育と老親の世話をする必要から、今は難しいことではないかと考えていた。
松村さんがおちいった眠ろうとしても眠れぬ不眠状態というのは、非常に苦しいものである。松村さんをとりまく校長の独断的学校運営をはじめとする抑圧状況のなかで、松村さんの深刻な苦悩状態をどう理解するかは、裁判所の審理の本質的課題というべきであった。
松村さんは、勤務校に代表される閉塞状況ないしは抑圧=弾圧を打破する為に、直接行動に出ざるをえなかった。
松村さんが三田高校の校長机上に爆発物を置いた件について、重要な争点が二つある。
一つは、爆発物を置いたのは==殺害目的か、それとも==傷害目的であったかである。裁判長は、爆発物の客観的威力からして==殺害目的で「殺人未遂」が成立すると判断した。松村さんは爆発物の下に真鍮板を置きそこにメッセージを刻みこんでいた。しかし、爆発によって真鍮板は粉々になった。ということは、松村さんは自分が製造した爆発物の威力について、使用した花火の火薬量も少なかったので、それほど強力なものとは思っていなかった。つまり、「人を殺すほどの威力がある」との認識はなかった。この点を裁判長は全く見ていない。
二つは、爆発物を爆破させたのは==松村さん自身か、あるいは==松村さんは、爆発物の起爆装置の解除に向かった「中止犯」かということである。校長室から出た時、松村さんは事務職員にみとがめられ校門まで走ったが、そのまま逃げずに、振動型の爆発物に事務職員が触れて負傷することを心配して立ち止まっているところを、複数の事務職員によって抑えられた。駆けつけた三田署の警官に爆発物の存在と構造を伝えた。警視庁爆発物処理班が、起爆装置を解除するにあたって、爆発物を収めた紙箱の蓋を切断して中の配線を切ればすむところを、爆発物を発泡スチロールの箱で覆い、その中に液体窒素を注入して零下170度まで冷却して起爆装置の乾電池が起動せぬようにしようとしたが、爆発物が置いてあった机上のビニールマットが化学変化して波打ち、そのため爆発した。処理班が机上のビニールマットに注意を払わなかったために起きた爆発である。ところが、裁判長は爆発させたのは松村さん自身だと断定した。これは重要な事実誤認ではないのか。
動機についても、松村さんが成績特別昇給の対象から除外された怨み、意に反する異動への懸念にあるとした。それは、検察側の主張(論告)と軌を一にしている。
松村さんが、直接行動の目的として、都教委の管理主義的方針の阻止を言うのは、名目にすぎず、反省の色がみえないと裁判長は述べる。都教委の管理主義的な色彩が強い制度改変によって、学校運営が校長の恣意にゆだねられ、民主教育が抑圧される恐れが濃厚である。それは、「あり方検」路線による学校運営が着々と進められている高校の現場の状況を見れば明々白々である。それにもかかわらず、裁判長は、その点ついては「民主主義と教育を擁護するために、行動に及んだと言うが、その行動こそ反民主主義的なもの」と言うにとどまり、何故、都教委の管理主義的方針が松村さんの反発をよび、直接行動を起こすに至ったかについては、これこそ最も重要な点であるというのに、そして、その点は、弁護側冒頭陳述ではっきりと指摘されたものであるのにもかかわらず、何も答えず、黙殺している。この点もまた、検察側と同様の姿勢であって、憲法でいうところの「司法の独立」について疑問を抱かせるものである。
「松村高太郎さんの問題を考える会」
川越市石原町1-14-11 古澤気付
Eメール hurusawa@mb.infoweb.ne.jp
ホームページ http://www.jca.apc.org/~isao_m/
公判記録が載っています