三田高校事件結審

検察側・不当求刑

古澤英樹(2000・2・23)



 三田高校爆発物等事件 結審


検 察 側 動 機 ・ 事 実 誤 認 の 不 当 求 刑( 懲 役12 年)

 松村高太郎(都立広尾高校元教諭)さんが、99年2〜3月に、教育次長宅火薬類爆発事件・都立三田高校長机上に爆発物を置いた事件などについて結審が、2月23日(水)、東京地裁刑事6部(長岡哲次裁判長)で行われ、検察側の論告求刑、弁護側最終弁論、松村さん本人の最終陳述がなされました。

 検察側論告の主旨は、松村さんが、==2月9日、教育次長宅に火薬類が爆発するよう設置(火薬物取締法違反)し、家人に火傷を負わせた(傷害罪)、==この事件をもとに、都教育長、同人事部長へ「教職員組合への弾圧止めろ」との脅迫状を郵送(脅迫罪)、==3月12日、都立三田高校の校長机上に、爆発物を、同校長を殺害する目的(殺人未遂)でおき、爆発させた(爆発物取締規則第1条[爆発物使用])、==松村さんの行動に不審を抱き、身体をおさえた同高校職員のKさんに、催涙スプレーをふきつけ、眼瞼を傷つけた(傷害罪)というものでした。。

 そのような「行為」の動機を、検察側は、==松村さんは成績特別昇給の推薦リストにあったのに2カ年度も外され、推薦しなかったA前校長への私的憎悪があったという。 それについては、同校長は、数学科の授業を「手抜きした」という同科全教諭からの批判があり、生徒父母からの匿名投書もあったので、推薦できなかったと言う。また==人事異動要綱の改定により、本人の意に反して、定時制や島嶼の高校へ異動されることを懸念した。そこで、自己の意に反する定時制や島嶼の高校への強制人事異動を阻止するため、a.広尾A校長をサバイナルナイフで殺そうとしたが、おじけつき、そのためb.爆発物をもって、教育長・教育次長・人事部長へ脅迫しようとしたという。

 教育庁の管理主義強化を中止させる目的と本人はいうが、動機は、特別昇給をはずされたことへの校長への恨み、人事異動への懸念である。松村さんは爆発物が目的外の対象に及ぶ懸念をしていたが、逆にいえば、教育庁幹部は自分の家族へ被害が及ぶと心配していた。これは、教師としてあるまじき行為である。 として懲役12年を求刑した。(合併罪のため、量刑は1.5倍となっている)。

弁 護 側 最 終 陳 述 

 98〜99年は、教育界の大変動で、広島県立高校長が「君が代」斉唱問題で自殺へ追い込まれた。東京都でも、成績特別昇給制度の下、校長の恣意により「特昇」の候補から特定の教員がはずされたり、「指導力不足」教員のレッテルをはられたり、新人事異動要綱により、定期異動対象者は、本人の承諾なしに定時制・島嶼の高校へ強制異動されるようになった。「国旗国歌」法が長崎原爆日に成立した。98年、「都立学校等あり方検討委員会」の答申をうけ、都教育委員会は「公立学校管理運営規則」を改定し、「職員会議は校長の補助機関とする」などと定めた。「人事委員会」が廃止され平等な人事が行われなくなった。これらは、教職員組合(都高教)が長年築きあげたものを破壊するもので、「組合弾圧」と言い換えてもいいものだ。

 広尾高校への攻撃が校長を先頭にかけられたが、組合はそれを阻止できなかった。松村さんは自分ひとりでも押し止どめて、組合、学校、生徒をまもる方法論を模索した。「爆弾」による教育庁幹部への脅ししかないと思いつめた。実行する段になって、はたしてそれでいいかいろいろ苦悩した。教育次長宅で火薬類が爆発したとき、次長ではなく、家人が怪我をしたことに悪いことをしたと思った。都立三田高校の校長机上に振動型爆発物の入った紙箱を置いたのは、検察側が主張するような「殺害目的」ではなかった。取調官に誘導されて「殺意」があったとの供述書にサインしたが、松村さんは殺意を持っておらず、爆発物の威力についても殺害しうるようなものとは考えていなかった。検察側は論告で「殺人未遂」を言うが、それは曲解である。同じく、「爆発物行使」(爆発物取締罰則第1条)にしても、松村さんは、三田高校の職員に見とがめられ、校門まで走っていったが、そのまま逃走せず、職員が爆発物に触れ爆発させて被害にあうことを懸念し、起爆装置の解除に向かったのであるから、“中止犯"であって、爆発したのは警視庁爆発物処理班の初歩的ミスによるものである。

 〈情状〉 家人が負傷した教育次長との間には、示談が成立し、次長は「きびしい処分を求めない」としている。三田高校の職員Kさんは、治療費だけで
よい、慰謝料はいらないと語っている。校長室の損壊については弁償している。松村さん本人は、99年4月30日懲戒処分を受け、家族関係が破壊されるなど、公私にわたって“制裁"をうけている。

松 村 さ ん 本 人 の 最 終 意 見 陳 述 

私自身としては、教師としての自分を守るため、またそれが世の中のためになることでもあるのだという〈信念〉を持って、行ってしまったことでした。
結局私自身がその〈信念〉を曲げられず、また紛糾してあえぎ続けた職場の環境により、ますますその〈信念〉を守ろうという気持ちが高められてしまったようです。おかしなもので、力で押さえつけられれば押さえつけられるほど、ますますその〈信念〉を押し通したいという気持ちが高揚し、ついには何が何でも守らねばという気持ちで頭が一杯になってしまいました。そして遂に他のことが何も見えなくなり、こんな大それた犯罪に走ってしまいました。もし、あの時、私が爆弾のセットを外そうと決意をしなければ、本当に大惨事になっていたことでしょう。

 私はもう教師ではありません。ですからこのような〈信念〉に取り憑かれて犯罪に走るようなことは二度といたしません。私の残された人生は、刑に神妙
に服することと、大きな迷惑をかけた妻子に対してつぐないをするということに捧げるつもりでいます。本当に申し訳ありませんでした。ご迷惑をかけた方
々には重ねて深くお詫びいたします。

松 村 さ ん の 旧 同 僚 の 感 想 

 松村さんとはご一緒に仕事をしたこともあり、よく雑談したことを思い出します。あの方は何の計算もなく、(限られた人にだけだったかもしれませんが
、)いつも本音で話すかたで、話していて気持の良い人でした。そんな中で、印象に残っているのは、何かの折に「教員はいろんな人がいていいんだ。のんびりやりたいと言う人だっているんだ。」と言っていたことです。これは本当にそうだと思います。いろんな生徒の能力や個性を伸ばすには、いろんなタイプの教師が必要です。そして、教育は一概に実績や効率で測ることのできないもので、人が育っていく途中のプロセスに教師がいろんな形で時間をかけて付き合っていくことそのものが、その本質なのだと思います。「あり方検」に始まり、4月からと迫られている人事考課などの一連の謀略は、そのようなじっくりと人間と向かい合った本来の教育を潰すものであると、松村さんはいち早く感じ取られたのです。子供達からゆっくり安心して成長できる場を奪い、学校を競争原理や効率主義で管理していったら、それこそ高校崩壊を決めこむことになり、ひいては大量の非社会的なさまよえる若者を放り出してしまうことになります。 今こそ、松村さんのみならず私たち教員の察知している危機感や焦燥感を世間に知ってもらわねばなりません。もうすでに、子供の変化の兆しは現われてきています。教育がどちらに向いてしまっているのか、今早急に何を取り戻さなければならないかを、教員のナマの証言により、改めて一般の国民をして問い直してもらいたい。そういう意味で、松村さんの(出版予定の)手記を読んで、平凡な一教師が生命までかけて何を訴えようと(くいとめようと)したのかを知りたいと思います。

 私は、きっと思うことは彼と同じですが、何も実践できないでいる。いちばん私の恥ずべき生きかたをしていることに自分で腹を立てています。何もしな
いのは勇気ある人の足を引っ張っているのと同じです。彼からの手紙にいみじくも書かれていました。「あなたなら僕と違ってうまく世の中を渡っていける
でしょう。」と。このジレンマをいつか払拭できるような生き方をしていきたいと思っています。< 都立A高校教諭 春野光 (仮名)>

判 決 は、4月12日(水)10時〜.東京地裁510法廷(裁判所合同庁舎.地下鉄霞が関・桜田門下車)。

「松村高太郎さんの問題を考える会」 川越市石原町1-14-11 古澤気付
E-mail hurusawa@mb.infoweb.ne.jp
ホームページ http:/www.jca.apc.org/~isao_m/ 公判記録が載っています。