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★最新トピック
03/03声明
〈緊急アピール〉
戦争と日常への攻撃に抗するために
DeMusik Inter.
アメリカ合衆国およびイギリスによるイラクに対する攻撃が開始されました。湾岸戦争の時と同じように、私たちが暮らす日本も加担しています。ブッシュを中心とした米英首脳陣の一方的な論理と国連のルールさえ無視した暴走ぶりにも驚かされましたが、一方で、この国のなかでも、戦争特需を期待して攻撃を支持するという声にも呆れさせられています。
私たちは「国旗・国歌法案」成立時にも、今回のような声明を起草・発表しました。また、九六年の米兵による少女暴行事件とその後の反基地闘争に併走するようなかたちで『音の力〈沖縄〉』篇二冊も問うてきました。今回もまた、声をあげなければならないことに深い哀しみと怒りを感じています。しかし、こうした感情は私たちが孤立して抱えているものではありません。むしろ、既に世界中で多くの人々が、この戦争に対する反対の声をあげていることにいくばくかの希望をも与えられています。
しかしながら、私たちは、むしろ、この一方的なイラクへの攻撃は、私たちの日常生活に対する「侵略」への本格的なはじまりとしても考えなければいけないととらえています。既にじわじわとはじまっていた異物への排除が、あからさまに大手を振って襲いかかってくることになるでしょう。先にふれた主に沖縄に集中させられている米軍基地の現前、有事法制、教育基本法改悪。また、一部地方自治体で施行されている暴走族対策法案のような日常的・予備的な治安法。イスラエルの軍事車輌の前に立ちはだかってひき殺されたNGOの女性は、明日の私たちの姿かもしれないのです。
これからの世界は、そして、私たちの日常はどのような方向へ進んでいくのでしょうか。今すぐ、イラクへの攻撃や、その影で進んでいるパレスチナへの攻撃をやめさせるための力を結集すること。そして、その力をさまざまに進行する全―世界を覆い尽くすかのような理不尽な暴力に抗するものとして転化させていくことが必要とされています。
音楽に関わる者でも声をあげなければならないのではなく、音楽に関わるものだからこそ声をあげるのだというべきでしょう。音楽は時に暴虐の歴史にも加担してきました。そのことにももちろん目をつぶるわけにはいきません。アカデミー授賞式で勇気ある反戦アピールを発表した映画人の姿を思い起こしましょう。現在のような状況において、音楽の自由、自由の音楽を志向しながら行動することは、私たちのよりよい生のかたちを模索することにほかなりません。一人でも多くの方の賛同を呼びかけます。 (文責・東琢磨)
02/10声明
「ゼンツルマンの戦争」下での音楽状況に関するアピール
音楽に関わる/音楽を愛するすべての方々へ DeMusik Inter.
「新しい戦争」と小泉政権の動きは日々緊迫の度合を増していて、ややもすると音楽などの出る幕じゃない、と無力感が押し寄せてくる。しかしそうはいっても黙っているわけにはいかないだろう。
ここではまず起草者の個人的な記憶のことから話を始めるのをお許しいただきたい。それというのもメディアで仕入れた情報から一旦離れてみたくなったのだ。
衝撃の惨事のあと、すぐに始まった声高なアナウンス、そしてマペットショーにお誂え向きの東西の政治家たちのガン首…、否応無く流れる情報にため息をついていて、ふと記憶の底からよみがえったことがある。それが「ゼンツルマン」のことだ。
ゼンツルマンとはサル以下の存在である。
それは僕が初めて知った外国語のひとつでもある。
「おばあちゃん英語知ってる?」
遠い日の事、まだ幼い僕は何の拍子だったか戯れに祖母に問うてみたのだ。うなずいて祖母は決然と言い放った。
「ゼンツルマンじゃ」
しかし僕はまだその強い調子の声や表情の意味には気がつかず、ウルトラマンならぬ新奇な言葉の響きに只笑い転げながらその意味を聞き返したのだが、答えは意外なものだった。再び祖母は決然と言い放った。
「サルじゃ」
ここで初めて僕は、祖母が静かな、しかし激しい怒りを表わしていることに気がつき、訳も分からず狼狽したのだった。
それは思い返せば、米軍による空襲(祖母は岡山に暮らした)を体験した人間の率直な感情だったと思う。
ゼンツルマンとは煎じ詰めればハイカラ紳士、つまり人間のうち上位を気取っている部分、あるいは単純に威張っている人間を指しているのだと思う。
一方サルとは、多分人間以下の存在という意味で使われているのだろう。実際のサルには悪いから最低の存在ということにしておく。
そして冒頭の祖母の言葉が意味するところを察するに結局、威張っている人間は実はサル以下の存在なんだ、ということになる。
ブッシュの「新しい戦争」に対する日本国内での自衛隊不参加論について、アーミテージ(国務副長官)が「(臆病なダチョウが)砂の中に頭を突っ込むような」現実逃避だと批判したそうだ。
またブッシュの演説では驚いたことに「テロにつくか否かどちらかしかない」とか「この戦いに中立はない」などと、世界はテロかアメリカの二者択一しかないというような事を言い放っている。
しかし、私たちはビンラディンもタリバンも元はアメリカが(旧ソ連とともに!)育てたも同然だということを知っている。そしてアメリカ外交こそ、傲慢でしばしば暴力で血塗られてきたことも知っている。
あらゆるテロ・暴力行為は回避されなくてはならない。しかし世界の到るところで、反米感情を醸成してきて、ビンラディンをも英雄っぽく見せている元凶はアメリカ(の姿勢)そのものだといわざるを得ない。これはゼンツルマン同士の(多分終りの見えない)争いである。いわんや、親分の一大事と、お先棒をかついで見せることに窮々としながら、火事場泥棒のように武装化への道を進む小泉政権のセコいことといったらありゃしない。
アメリカ国民の大多数が爆撃を支持。そして外交政策を批判したNYの大学教員が反米的と非難されている。また放送自主規制曲に指定されたことでジョン・レノンの「イマジン」がいまだ有効な力を持っていることを逆説的に示した。
それでもマスメディアを経由しないメール情報などからは、いろんな「他の声」も聞こえてくる。例えば、マンハッタンには音楽家も多く住んでいるが、彼らの多くは報復戦争にも反対だという。日本でも音楽関係のコミュニティーでは圧倒的に反対の声が多い。
非戦闘員のうえに平然と地獄の業火を降らす輩は、テロリストであろうと、ブッシュであろうと最悪中の最悪、ゼンツルマンのなかでも最低の部類だといわなければならない。もうひとついえば、ゼンツルマンたちは妄想のなかで男根主義をいびつに膨張させた最低のオトコどもである。彼らはおそらく人類の全女性に敵対している。
私たちは、このような愚かな憎しみの連鎖に手を貸さない。そして現実を歪めているのはどちらなのか、はっきり(旗色鮮明に!)させなくてはならない。
今こそ「他の声」にも耳を澄まし、想像力を働かそう。声を上げよう、大胆に。
(文責・大熊ワタル)
アメリカの放送自主規制曲について若干の補足
件の自主規制リストには「イマジン」のほか、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」、ドアーズの「ジ・エンド」など有名曲も挙げられている。列挙された曲数としては一見一五〇曲あまりなのだが、実はよく見ると、「レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンは全曲」なんてスゴい項(そういわれると聞きたくなってきた)があるから、トータルでの曲目はもっと多くなるし、これからさらに増えないとも限らない。そもそも、これは放送業界の担当者たちが、リストを回覧しているうちに曲数が増えていったらしい。もろに中枢同時テロを連想させたり暴力指向のもの、遺族の悲しみを刺激しそうなもの、など理由の分かりやすい曲も多いが、なかにはルイ・アームストロングの「What a wanderful world」やフランク・シナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」など、ン? と首をかしげたくなるものも少なくない。もちろん、こうした自主規制にたいしてはアメリカの業界の内外でも、検閲と表現の自由にかかわる問題として議論になっているようではある。
ちなみに全曲指定のレイジ・アゲンスト・ザ・マシーンに続く猛者はAC/DCの七曲。つづいて四曲指定がメタリカ、アリス・イン・チェインズ、そして何とビートルズ(「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「ルーシー・イン・ザ・スカイ〜」は、まあ歌詞がひっかかるかもしれないとして、「Ticket to ride」や「オブラディ・オブラダ」は何なんだろう。「ヘルター・スケルター」などの方がよっぽど踏み込んでると思うが)。そして三曲がブラック・サバス、エルトン・ジョン(「ロケット・マン」他)…などと続く。
遺族の感情に配慮するのは当然だろう。しかし、「イマジン」だの何だのと批判的なものへの排除としか思えないような規制は、「自由を愛する」国での出来事とは思えない。まるで中世の異端審問の再来だ。
なおこのリストは、東京のアンダーグラウンドなビッグバンド「渋さ知らズ」のHP掲示板に投稿されていたものを参考にした(http:// www3.alpha-net.ne.jp/users/ poipoi/main.html)。当然ながら音楽関係者・愛好者のあいだで、この自主規制曲問題も大いに話題となっている。
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