葉っぱ支援者からのメッセージ 2000.09
◆青木さんを「当たりまえの世界」に取り戻そう(岸本 修)

「素朴な疑問がある。
 じつに素朴な疑問がある。
 この事件に関係して、いきさつを知れば知るほど、また、もまれればもまれるほど流二はその疑いをすてることができなくなった。
 いったいこんなことは日本全国でどれくらいあるものなのだろうか。洋子とおなじように社会の実力者でも有名人でもない、水銀の粒のようにはかなく散らばってこっそり暮らしている市民が、訴えの組織力も資力もなくてついついそのまま実刑に服しているような事件はどれくらいあるものなのだろうか。いったい彼ら、彼女らは、声を体と壁のなかに閉じこめたまま、どうしたらいいのだろうか。」 開高 健『片隅の迷路』(1961年)より

 1998年3月20日午後、私は大阪地方裁判所で『刑事開廷表』を見つめていた。「殺人事件」の公判が4件、いずれも地裁8階の法廷。それまでにも死刑関係事件をふくめて数え切れない事件を傍聴してきたが、同じ日にこんなに多くの「殺人事件」とぶつかったのは初めてであった。

 803号法廷。入口の掲示板で被告人が女性であることに気づいた私は「もしかしてあの事件では…」と思いつつ法廷に入り傍聴席に座った。この日の朝、別の殺人事件の判決言い渡しで「極刑を選択するしかない」と述べた裁判長の暗い表情を思い浮かべていた。傍聴席は取材記者と傍聴人であふれかえり、法廷には奇妙な熱気が満ち、息苦しいほどであった。

 紺のブレザー、スカート姿の、小柄な被告人が入廷した。45席の傍聴席。傍聴人ははわずか4名。取材記者の姿もない。何回目の公判なのだろうか。被告人質問がはじまり弁護人と被告人とのやりとりから「事件」が浮かび上がってきた。もうすでに世間からは忘れかけられた事件、日本の、大阪の、小さな街の片隅で起こった事件、「東住吉冤罪事件」の被告人青木惠子さんとかかわることになる契機であった。

 この後、私は数回の公判と、1999年5月18日の判決公判を傍聴することになった。裁判所は青木さんの無実の主張をまったく認めず、事件発生の不可解な状況には明確な判断を示さないまま、青木さんが捜査段階で「自白」したことを根拠に「有罪」として「無期懲役」判決を言い渡したのだった。

 自宅の軽貨物自動車から発火して長女を焼死させてしまったことに大きな衝撃を受けていた青木さんに対して、「保険金殺人」の疑いを抱いた警察当局がどのような取調べをしたか想像に難くない。私は、公判を傍聴して被告人質問のなかで青木さんが証言した、刑事から受けた連日に及ぶ取調べの厳しさに息を飲んだ。青木さんを「犯人」と決めつける取調べが行われ、刑事たちは当然のこととして青木さんからの「自白」「自供」を期待したはずだ。

 取調室の壁に「命は心の源なり」などという訳の分からない説教じみた文言を書き付けた紙を貼りつけたうえ、亡くなった青木さんの長女の写真を貼り、取調べに応じないと「こら、写真を見んか!」と迫る。写真を見ないと首を押さえつけて無理矢理見せようとする。「嘘言うてんのを信じて弁護士らは動いている。あいつら、かわいそうや。毎日面会に来て、なんぼほど金がかかってるか知ってるか? 毎日3万はかかるぞ。こんな金どないして払うんつもりなんや? 弁護士はおまえに金払えとは言わんけど、家族や親戚には金払え言うとるぞ」 いずれも刑事たちが青木さんに向かって発した言葉だ。刑事たちの「言葉」はおだやかなものではなかったはずであり、私たち市民の感覚からすれば多分「罵声」と表現するのがふさわしい、乱暴きわまりないものだったに違いない。「罵声」はなおもつづく。記者会見して捜査の不当さを訴えた弁護士のことを「弁護士のいうことは通らん。警察のいうことが通るんや」「弁護士は金儲けのためにやってるんや、名を売るためにやってるんや」と容赦のない悪口雑言が青木さんに浴びせられることとなる。

 警察の取調室で刑事から連日連夜このような取調べを受ければ、誰でも「虚偽の自白」をするのではないか、どんなに「無実」を訴えても彼ら刑事にとっては「私がやりました」と虚偽の自白をとらせる絶対の自信があったに違いない。捜査当局の意のままに拘禁されるという異常な状況にあっては、人間は誰でも「嘘の自白」をしてしまうのではないか、青木さんの証言を聞いて私はそう思い、背筋が冷たくなった。

 警察の過酷な取調べに問題があったことは当然である。しかし、もっと問題なのは裁判所の判断にあったと、私は思う。公判廷の裁判官の前で、適正とはとても思えない不当な取調べの状況を訴えた青木さんの「証言」にまったく耳を傾けようとしなかった裁判官の姿勢である。判決は、どのような過酷な取調べが行われたのか、肉体的、精神的拷問にちかい取調べの結果、青木さんが虚偽の自白をしたのではないかという、私たち「市民」が当然抱いても不思議ではない素朴な疑問について、何も答えていないのだ。「無実の者が嘘の自白などするはずがない」という極めて楽天的な「裁判官の常識」が判決を貫いていることに、私たちは唖然としてしまうのだ。

 「冤罪」は過去の話ではない。冒頭に引用した開高健の小説『片隅の迷路』は「徳島ラジオ商事件」を取りあげたものだ。夫殺しの犯人とされた富士茂子さんは刑に服し出獄した後、「無実」を訴え続け「死後再審」でようやく無罪判決を勝ちとった。生きて「冤罪」の汚名をそそぐことができなかったのだ。不条理ともいえる「法」の手続きに人間が翻弄され、無惨にも家族の絆が絶たれてしまう、こんな理不尽なことが法の名の下に許されてよいはずがない。本来無罪が推定され、その当然の結果として「無罪判決」が言い渡されるべき事件に、裁判所は「有罪」を言い渡してきたのだ。

 大阪拘置所で面会した青木さんは「罪を認めて刑に服したら、無期であっても何年かで出てこれるかもしれない。でも私は娘を殺していない。亡くなった娘のために何年かかっても裁判でがんばりたい」と語った。

 青木さんを「片隅の迷路」に追い込んではならない。彼女を私たちと同じ「あたりまえの世界」に取り戻すためにがんばりたい、そんな思いが私の胸にある。ひとりでも多くの方々に支援をお願いしたい。