葉っぱ講演・イベント情報 2001.12.9
◆日本・ユダヤ文化研究会主催のM. フォックス氏講演を聞いて
元甲山救援会・藤澤 和彦

テーマは「ユダヤ人的視点から見た日本の人権問題−ある冤罪事件を通して」。東住吉事件について取調べ・判決・報道の問題点を明快に指摘。

会場の48席はほぼ満席。日頃あまり見ないFoxさんのスーツ姿がなかなかカッコいい。
Foxさんは、「火事で女の子が亡くなるという悲しい出来事がおこりました......」と静かに話しはじめた。やがてそれは取り調べの警察官の激しい罵声になり、あるいは悲しい青木さん、朴さんの声になり、聴衆は出来事の世界に引き込まれる。
裁判は検察主張に反して石油ポンプ購入の事実がないことや、再現実験の結果と現場の様子が大きく食い違うなど、無実・無罪の証拠ばかりであったにもかかわらず、一審判決では有罪となったことが報告された。そして、こうした証拠に基づく正しい判決が行われない原因として、裁判官の「自由心証主義」の問題も指摘されたが、さらに職業裁判官裁判制度そのものの欠陥にも言及し、次善の選択肢として「陪審制」の有効性が示された。
またメディアの犯罪報道の問題にも触れ、逮捕翌日の新聞にまにあうように「識者の見方」を求める新聞と、冤罪の可能性を考えもせずそれに応じ、コメントを寄せた赤塚行雄氏、佐木隆三氏を「識者ではなく、非常識者だ」と批判した。

このあと、「ユダヤ的視点からの一言」として
"When we right the wrongs of society, we are acting as partners in the act of sustaining creation."
「社会の不正義を正すことは、創造主の意向にかなう行いである。」

"Bringing Heaven Down to Earth : Meditations and Everyday Wisdom from the Teachings of the Rebbe, Menachem Schneerson"
 Adams Media Corporation (1999).
 『天上の王国をこの地上にもたらそう』
  --ラバイの教えによる考察と日々の知恵--
       Menachem Schneerson 著 より-------

という一節が紹介された。
これに関連して、ユダヤ教には7つの戒律があり、その7番目は「あなたは成文法と公平な法廷のある地に住まなければならない。」というものであることは『ひまわり通信』2001.05.Justice or Terror - Part 1 - ですでにFoxさん自身が書いている。
会場からは、Foxさんが「東住吉事件」に関心を持ち、支援する動機について質問されたが、上記「ユダヤ的視点からの一言」と合わせ考えて、Foxさんにとって、正しく法律が運用される社会の創出をもとめて活動することはしごくあたりまえのことである。ぼくはこの筋の通った明解なFoxさんの「反冤罪宣言」に敬意を表すと同時に「日本人」への警句として、胸に刻みたいと思う。

最後にwebsiteの紹介、裁判傍聴の要請がなされ、「青木さん、朴さんは今も獄中です。ぜひ年賀状を書いてください。」と結んだ。

レジメとともに質問表が配られていたが、書き込むまでもなく活発な発言がつづき、質議応答に入った。
ここでは3人のかたの発言を紹介しておこう。いずれも60才台、あるいは70才台とおぼしき女性1人と男性2人。
ひとりめの男性は、配られた日経の新聞コピーを振り上げて「Fox先生、これは犯罪ですよ!」と。ぼくははじめ「これは権力犯罪ですよ」と彼が言ったのかと思った。しかし続けて彼が「新聞に書いてあるとおりですよ。自然発火するような車だったら、それまでになにかトラブルが起きているはずで、今までなにもなく急に自然発火するなんておかしいですよ。」と言うのを聞いて自分の聞き違いを知る。
Foxさんは資料の束を示し、「ここにくわしくありますから、読んでください。きっと冤罪であることがわかっていただけますから。」と穏やかに対応し、彼は資料を受け取った。
つぎの女性は風呂場にいた娘さんをどうして助けだせなかったのか疑問だと言った。何をおいてもまずわが子を救うのがあたりまえで、それをしなかったのは不自然だ、と怪しみを表した。
Foxさんは「火事の様子がはじめは大したことなさそうだったのが、急に大きくなり皆がパニックになったのだ。」と説明したけれど、疑っているひとの耳とこころにはなかなかとどかないようだった。
3人めの男性は、陪審制度について「陪審制は日本人にはなじまない。」と発言した。全く根拠のない発言なので「そうでしょうか? 戦前は日本も陪審制を採用していましたよ。」とぼくが言うと、「それが証拠に、戦後は廃止になったではないか。」と。「それは戦争で中断したあと、なしくずしに現制度が採用されているだけであって、陪審制は廃止されていない。」と反論すると、若い男性が賛意を示してくれ「陪審制が日本人にはなじまないなんて、あなた、それは人間全体を冒涜していますよ。」と語気を強めた。Foxさんが「まあまあまあ。」となだめて、ここはおさまった。
講演終了後、その若い男性に握手をもとめ、2〜3言葉を交わした。彼は新聞の報道を鵜呑みにして、冤罪の存在を認めようとしない風潮を嘆いていた。そのとおりだと思う。

この講演会は「日本・ユダヤ文化研究会」の「ユダヤ文化講座」の一環として行われたものであり、聴衆のほとんどは「日本・ユダヤ文化研究会」のメンバーであった。「日本・ユダヤ文化研究会」というからには、異文化に関心を持ち、あらたな世界を勉強してみようという柔らかい頭と若い感性の持ち主が多いのだろうと、ぼくはこの日を楽しみにしていた。そして期待どおり司会者や理事のかたはFoxさんの話をよく聞き、理解されていた。ところが案に相違して3人の発言者は典型的な「日本人」だった。
ぼくは彼等が「東住吉事件」の冤罪性に疑問を呈したことを批 判するのではない。彼等が自分の常識に閉じこもり、冤罪の可能性を考えようともしないこと、より合理的な裁判制度を模索し、創りあげようという気概のないこと、多少の不満はあっても自分達にはどうしようもないという敗北主義、それが我慢できない。こうした社会に対する無責任な態度が冤罪をつぎつぎと生み、権力の恣意を許しているのだということを彼等にわかってもらいたい。
甲山の学習会でも無実に疑問を示す人もなくはなかったが、集会は概ね支援者のみの集まりで、無実・無罪、冤罪という認識に疑義を差し挟むシーンというのはなかった。その意味で、こうした今回のような集まりはぼくにとってスリリングな経験であったし、こうした集まりこそが今後もっと必要なのかもしれないと感じた。