葉っぱ一審判決を読んでみれば・・・
一審判決を読んでみれば・・・
一審判決はわからないことだらけ-2
一審判決はわからないことだらけ-3

◆一審判決を読んでみれば・・・
T・H  2000.09

学校で憲法習った。第38条(1)「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」

青木さんの一審判決を読んでみる。
「朴が本件家屋に火を放ったとする点については、直接その場面を目撃した者はおらず、また、被告人らの犯行であるとことを示す、決め手となるような物的証拠もなく、本件では、被告人らの犯行であることを結び付ける直接証拠としては、被告人らの捜査段階における右各自白しかない。」(20頁)

あ、じゃあ青木さんは有罪じゃないですね。えっ、有罪? 無期懲役? なんで???

世の中、私の頭では理解できないことが多い。気を取り直してもう一度判決を初めから読み直してみよう。
昔、観たヘンリー・フォンダの名作「12人の怒れる男」では、確か合理的な疑いがないまでに被告人が犯人であることを証明できるかということを陪審員たちは一生懸命議論していた。その基準で考えれば良い筈だ。

  • 「本件車両からの自然発火の可能性が全くないとまでは断言することはできない」(54頁)

  • 「朴の検査官に対する供述は、(略)厳密な意味で秘密の暴露といえるようなものがあるとは必ずしもいえない」(82頁)

  • 火災により○○子を殺害しよういうのは、弁護人が指摘するように、結果発生の蓋然性が低いものであるといえなくもない」(85頁)

  • 「被告人が本件当時○○子のことを、△△ほどかわいがっていなかったことを認めるに足る第三者の証言はない。」(88頁)

  • 「被告人は○○子に対し母親としてそれなりに愛情を抱いていたのではないかと考える余地も一応ある。」(89頁)

  • 「せいぜい200万円程度の金額の工面を考えて、そのために本件犯行を企てるというのは、いかにも不自然さが否めない。」(92頁)

??? 何なんだこの判決は。合理的な疑いのオンパレードじゃないか。これみんな裁判官自身が認めている疑問なのに、何一つまともな説明はない。根拠もなしに、そうとも考えられるけど、そうでないかもしれないから、そうでないとしようみたいな訳の分からん理屈で退けているだけだ。皆も一度、一審の判決を読んでみてほしい。これは、絶対おかしい。とにかくできるだけ裁判を傍聴しよう。


◆一審判決はわからないことだらけ-2
T・H  2000.10

シドニー五輪では、審判のミスジャッジで柔道の篠原選手の勝ちが負けになってしまった。ビデオで見れば明らかなのにどうにかならないのだろうか。

ところで、こちらはミスジャッジで無期懲役である。冗談じゃない。

一審の判決を私のような素人が読むと解からないことだらけだ。この事件は、被告人たちの捜査段階の自白以外には直接証拠はない。だから有罪を言いわたすなら自白が信用できることを証明しなければならない筈である。

自白によれば、朴さんは、ガソリンをまいてライターで火をつけたという。そんなことをして火傷をしないのかという疑問がまず浮かぶ。もし、私が陪審員だったらまっさきにそのことを知りたいだろう。

そこで、再現実験が行われているので、どうだろうと思うと、判決には、どこにもその説明がない。実は、朴さんの公判での、この実験の責任者の証言によると、実験では、ライターで直接火をつけると危険なので、棒に種火をつけて着火したのだという。

?????

ちょっと待ってよ。そりゃ危険なのは、分るけど、それじゃ自白なんかハナから信じてないんじゃないの。そんな実験して何が証明できる訳。危険なら、絶対安全な防火服(あるかどうか知らないけど)を着るとか、人形を使う、とかして、ライターで直接火をつけても火傷しないということを証明しなきゃだめじゃないの?

だいたい再現実験の意味自体が変だ。例えば判決文では、

「鑑定書によれば、ガソリンの着火直後から『炎が大きく立ち上がり、同時に黒煙が多量に発生した。この炎は7秒後には土間の後ろ側にある開口部から吹き出すようになり、一気に天井の高さを超える状態になった』とされており、これを前提とすると、朴が、黒煙の状況について一切触れる供述をしていないことや、近隣住民らの火災当初の目撃状況とも整合性を欠くのではないかといえなくもない。」(86頁)
と述べている。
ところが、これらの疑問も、この実験は
「忠実な再現とはいい難いのであって、右再現実験の結果をもとに、朴の供述には矛盾があるとか、実際の火災状況と異なるとかといって、朴の供述の信用性を云々するのは相当ではないというべきである。」(87頁)
と退けられるのである。

再現実験によって自白の真実性が裏付けられて、初めて自白は信用できるのではないか。ところが実験結果が自白と矛盾すると、この実験はいい加減だから矛盾してても良いのだ、では何の為に実験をしているのかわからない。

「なお、右実験でまかれたガソリンの量は朴の供述する量よりもかなり少ない6リットルであるといったことも、忠実な再現検証という意味では問題ではあるが、いずれにせよ、この実験結果をもってしては、ガソリンをまいて火を放ったとする朴の供述を根本的に減殺するものとはいい難いというべきである。」(88頁)

前回も書いたが、憲法の規定では自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪にはできない。被告を有罪にするには、「自白が信用できないこと」を証明できないではなく、「自白が信用できること」を証明する必要があると思うのだが。

何か判決を読んでいると、この論理が根本的にひっくり返っているように感じられる。

もう一つの例をあげると、犯行の動機についても、判決文は、被告人と被害者○○子の関係について、

「被告人が本件当時○○子のことを△△(○○子の弟)ほどかわいがっていなかったことを認めるに足りる第三者の証言はない。」(88頁)
と言い、そして
「被告人は○○子に対し母親としてそれなりに愛情を抱いていたのではないかと考える余地も一応ある。」(89頁)
と認めていながら
「被告人自身、一時自供した内容をみると、『△△は年下で男の子ですから可愛い子でした。○○子は、△△ほど可愛いくありませんでした。』」(89頁)
と述べているので
「○○子を殺害の対象にするということが全く不可思議といわなければならないものではない」(90頁)
と言う。(※判決文では、共に実名です。)

自白の信憑性が問題なのに、自白で言っているからでは、何も証明していないではないか。

この判決文は、ほとんどがこの調子なのだ。また、次回に詳しく書きたい。

最近読んだ本で冤罪をテーマにした推理小説がありました。二条睦著「死刑台の女」(ハルキノベルス)。思わず主人公と青木さんがダブって感じられました。お奨め本です。


◆一審判決はわからないことだらけ-3
T・H  2001.02

青木さんの一審の判決文を読むと、朴さんの供述について例えば次のように書かれている。

「確かに、せいぜい200万円程度の金額の工面を考えて、そのために本件犯行を企てるというのは、いかにも不自然さが否めないし、他からの借入れ等をも考えれば経済的な逼迫度はそれほどではないともいえるのであって、朴のこの点に関する供述にも、説得力に欠けるものがあるといえなくもない。
しかし、被告人らが当時決して余裕のある経済状態ではなかったことは確かであり、そのことで被告人が朴に対して不平を言い、ぐちをこぼしていたこと、そういう中で希望のマンションを購入することになったのであり、被告人としては、何としてもこれを手にしたいとの気持ちが強くあったことも十分推測できること、そのことがきっかけとなり、より楽な暮らしがしたいために、手っ取り早く大金が手に入ることを考えるということも、あながちあり得ない話ではないことなどにかんがみると、経済的な犯行動機など到底考えらないとはいえないのであり、朴のこの点関する供述に右の問題があるからといって、被告人との共謀により○○○を殺害したとの供述の根幹部分の信用性が左右されるものではないというべきである。」(92頁〜93頁)

しかし、仮にここに書かれてあることが、全て正しいと仮定しても、この文章はつぎのように言い換えることも可能である。

「確かに、被告人らが当時決して余裕のある経済状態ではなかったことは確かであり、そのことで被告人が朴に対して不平を言い、ぐちをこぼしていたこと、そういう中で希望のマンションを購入することになったのであり、被告人としては、何としてもこれを手にしたいとの気持ちが強くあったことも十分推測できること、そのことがきっかけとなり、より楽な暮らしがしたいために、手っ取り早く大金が手に入ることを考えるということも、絶対あり得ない話とまではいえないかもしれない。
しかし、せいぜい200万円程度の金額の工面を考えて、そのために本件犯行を企てるというのは、いかにも不自然さが否めないし、他からの借入れ等をも考えれば経済的な逼迫度はそれほどではないともいえるのであって、朴のこの点に関する供述には、説得力に欠けるものがあり、被告人との共謀により○○○を殺害したとの供述の信用性には疑問がある。」

また、次のような記述についても、

「本件犯行の動機に強く結び付くような事情には今一つ明瞭さに欠けるきらいはあるが、被告人らにおいて○○○の保険金欲しさという動機付けとなるものが全くない、およそ考えられないというわけでもないのであり、その限りでは、朴の供述全体の信用性を阻害するものとしてとらえることには賛同できない。」(94頁)

このように言い換えて何の不思議もない。

「被告人らにおいて○○○の保険金欲しさという動機付けとなるものが全くない、およそ考えられないというわけでもないとしても、本件犯行の動機に強く結び付くような事情には今一つ明瞭さに欠けるきらいはあり、その限りでは、朴の供述全体の信用性に疑問なしとすることには賛同できない。」

いま、判決文の文章をそれぞれA1、B1、そして言い換えた文章をA2、B2とすると、裁判官は、一体なぜA2、B2と考えずに、A1であり、B1であると結論付けたかについて説明する必要がある。
あるいは、裁判官は、これは自由心証主義だと言いたいかもしれない。しかし自由心証主義とは、勝手な恣意性で良いということではない筈である。疑わしきは被告人の有利にとは裁判の大原則である。

被告人は全て無罪の推定を受ける。無罪の推定から出発して、証拠を積み上げ、合理的な疑いが残らないまでに有罪が立証されて初めて有罪となる。しかし、どうもこの判決文を読んでいるとこの推定無罪ではなく、推定有罪にたって考えているのではないかと思われる。

例えば、朴さんが犯行を認めている検面調書(検察の取調べで作成された調書)に幾つもの矛盾があることについては、

「むしろ、完全に齟齬のないように自供書や供述調書が作成されている方が、かえって作為的ではないかと疑う場合もあるのであって、そのようなことがないということは信用性を肯定する方向に考えることもできるというべきである。」(85頁)
とのべている。ところが、犯行を否認した法廷での供述については、
「いかにも後でとってつけたかのような供述に終始していることなど、その供述経過、供述内容ともに、不自然かつ不合理なところが多々あり、右公判供述は、検察官に対する前記供述に比し、信用に値しないものといわなければならない。」(101頁)
としている。

供述に完全に齟齬がない方が、信用できないのか、できるのか一体どっちなんだと言いたくなる。

この判決文を読んでいると、単に矛盾があるとか筋が通らないというのではなく、何かあくまで有罪という結論がまずあって、その結論に無理やりあわせるために判決を書いたとしか思えないのである。

自由心証主義とは・・・

刑事訴訟法318条で、「証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる」と規定されており、裁判官が中立・公正に証拠の証明力を評価するとして、裁判官の理性を信頼する考え方。