「みちくさ」が第22号をもって終刊とのこと。
終刊に際しては、それぞれの側からの思いがあるのでしょうが、私からは「長い間、ごくろうさま、また何処かでお会いしましょうね」の言葉で当面のサヨナラです。
「みちくさ」との初めての出会い、情報誌ではなくインターネットの「みちくさ」そして「伝言板」でした。
HPのコンテンツとしては立派とは言い難い(とうとうお終いまで・・・)「みちくさ」、それでも「こんなんがあったんか」と、ネットで部落問題を語る場があることがうれしかった。さまざまな地域の人々と出会い、さまざまな部落問題との向き合いがあることが驚きでもなり、新鮮な出来事でもありました。
差別言動に始まるPPPさんとの出会い、「大和民族を守る会」のこと*。匿名性が保証される場に戸惑いながらも、だからこそ相手の言葉を丁寧に受けとめ、自分の思いを語ることの大切さを学んできました。
情報誌への投稿は、第8号の“部落問題 被差別の立場の中で ―それぞれの選択―”と、第18号の“わたしたち発メッセージ”の2度、編集者に手直しをしていただきまながらでした。そうそう青木大さんと競演?した、ETV放映の「インターネットと人権」も、「みちくさ」がきっかけでした。
山陰旅行の宿泊地にと鳥取県中山の地を訪れてくれた福嶋順さん、広岡さんとの出会いも楽しいひと時でした。「いい青年だなあ」、「よく酒を飲むなあ」、それぞれの懐かしい思い出です。広島の大学に通うの娘がお世話になったF.Kさんも、後から聞いてみれば「みちくさ」の先輩とか。随分とお世話になりました。
思い出話ばかりになった終刊号への寄稿、今回ばかりはお許しください。
私にとっては、「ネットでの青春」そのものだったんですから。
これからは、私のHP「わたしたち発メッセージ」で「みちくさ」の皆さんの思いを重ねて語っていきます。またお会いしましょう。
(編集注)
* ホームページ『みちくさ』の発足直後に電子掲示板「みちくさ伝言板」で起きた、差別書きこみが、「ppp@」というハンドルネームを名乗っていた。「伝言板」上での清見さんたちのはたらきかけもあって、本人の実名による謝罪にいたった。「大和民族を守る会」は差別文書を意図的に掲載していたホームページだったが、「伝言板」でその存在が報告され、結果的にはプロバイダ側によって強制閉鎖された。参照:廣岡浄進「個人としての対話に可能性を求めて」『部落解放』439、1998年(転載:『みちくさ』12、1998年)。