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『みちくさ』第21号(2004年4月11日発行)

<障害学の窓から、連載第3回>

「いきいきフェスタ」異聞

――あるイマドキ学校行事の舞台裏から――

松波めぐみ

 

1.「いきいきフェスタ」への出演依頼 (2003年初夏)

 総合的な学習の時間、「地域に開かれた学校」・・・といった教育界の流行りにピッタリ!の学校行事の一断面を、期せずして知る機会があった。

突然の電話

 2003年5月のある木曜の晩。大阪府I市で脳性まひの障害者で自立生活を営むQさん宅で、介助に入っていた時のことだ。電話が鳴った。私は子機を、車椅子にのっているQさんの膝の上に置いた(これでスピーカーホン機能を使えば、受話器を持てず言語障害もある彼女も会話ができる)。電話をかけてきた相手は、「I市内のM小学校の教員であるV」と名のった(注1)。V先生は、自分の用件を一方的にしゃべった。いわく、2003年11月×日にM小学校で「いきいきフェスタ」がある。ひいては是非、Qさんにお話をしてほしいという。「よろしいですか?」と問われ、Qさんは「はい」と答えた。しかしどういう話をして欲しいのか、何年生対象なのか、「いきいきフェスタ」とは何なのかは皆目わからない。質問しようとQさんは言葉を発したが、V先生はQさんの声をちゃんと待ったり聞き返したりすることなく(※Qさんの言語障害は、ゆっくり待つか、一度聞き返せば必ず聞き取れるのだが・・・)、「またかけます」と言って電話を切った。

 Qさんは「失礼やなあ」とつぶやいた。何より、どこでどう自分のことを知り、誰から電話番号を聞いたのかを不審に思ったという。当然の疑問だろう。

「ふだん困っていること」? −2度目の電話−

 翌週、V先生からまた電話がかかってきた。(私が介護に入るのは木曜晩だが、この先生は結局最後まで、木曜にだけ電話をかけてきたそうだ。) 時候の挨拶の次にV先生が発した言葉は、「あのぉ。どういうお話をしてくれますか?」だった。Qさんはとまどった表情を見せた。だって学校側の要望を何も聞いていないのだから。Qさんは「こちらが聞きたいんですが。どういうお話を希望されますか?」と聞き返した。V先生は、「そうですねえ・・・」と、ふた呼吸おいた後、「ふだん困っていること、とか・・・。あと、バリアフリーのお話でも」と言ってきた。Qさんは、「まあ、予想されたことだな」という顔をして、「わかりました」と言った。

 その後、M小学校への行き方等の打ち合わせに入ったが、V先生がQさんの話をちゃんと最後まで聞かないので、話がかみあわない。V先生は「車で迎えにいきましょう」と言う。普通の自家用車らしい。しかしQさんは重量のある電動車椅子を使っているので、普通の車に来てもらっても困る。それを説明しようとするが、聞かず、「車は危ないからダメですか?」と言ってくる。どうやらV先生は車椅子について何も知らないらしい(注2)。Qさんは、小学校の場所を確認するために、私にI市の地図を広げさせた。M小学校はQさんの勤務先から電動車椅子で30分程度で行けそうな距離であることがわかった。Qさんは、自力で行けると判断した。かみあわないやりとりの後、ようやくQさんは「車での迎えは不要。車椅子で行く」と伝えた。V先生は「危なくないですか?」と念をおしていた。(※車で通らないといけないほど、M小学校付近は危険なのか?)

 V先生は「じゃあ、また11月が近づいたらお電話します」と言って、電話を切った。

引き受ける理由

 「ふだん困っていること、ねえ・・・」。Qさんは疲れた表情で、「普通に生活してるつもりなのに」と言った。私は思わず「いっそ、断ってもいいんとちゃいます? だいたい電話だけですませようなんて・・・」と言ってみた。するとQさんは、「でも、学校とかに出かけるのは好きだから」と言った。Qさんは以前2〜3回だが学校で講演したことがあるらしい。断りたくない一番の理由は、「子どもが覚えててくれて、街中でばったり会って挨拶してくれたりするのが嬉しいから」だという。5年前までずっと山奥の施設で暮らしてきたQさんには、「街で声をかけられる」ということが格別の意味をもっているのだということを、あらためて考えざるをえなかった。

 その後4ヶ月間、M小学校からもV先生からも何の音沙汰もなかった。

2.「いきいきフェスタ」近づく (2003年秋)

「付き添いの方のお名前は?」 ―1週間前の電話―

 秋になった。11月の「いきいきフェスタ」本番を1ヶ月前に控えて、Qさんのもとに、はじめてM小学校から郵便物が届いた。予定表のようなものが同封されている。Qさんの話を聞くのは、小学4年生から6年生の児童、合計9人、らしい。私は内心「もったいないなあ」と思った。後から聞いたが、Qさんも、なぜ9人だけなのか?と思ったようだ。

 本番(11月の第3金曜日)の1週間前に、久しぶりにV先生から電話があった。「では何日何時に、○○教室に来てください」という確認だ。Qさんは、かねてからの疑問である、「どこで自分のことを知ったのか。誰から自分の電話番号を聞いたのか」を尋ねようとしたが、叶わなかった。V先生はQさんの言葉を待つことなく、聞き取りにくいと、すぐさえぎって自分の用件だけ話すのだった(V先生はさえぎっているつもりはなく、無言だと思ったのかもしれないが)。Qさんはあきらめて、M小学校の設備(スロープ、エレベーター、車椅子トイレ)について聞こうとした。それによっては、準備が必要なことがあるからだ。しかしV先生は質問する隙を与えなかった。

 かわりに、「付き添いは何人ですか?」「付き添いの方のお名前は何というんですか?」と聞いてきた。Qさんは、明らかにムッとした。実際は金曜日の昼のヘルパーに決まっているのだが、Qさんは「未定です」と答えた。ふだんは温厚そのもののQさんの、きっぱりとした表情には、私は少しびっくりした。V先生は、なお「付き添い」の名前を知りたがったが、あきらめて、「付き添いの方がおられるなら、大丈夫ですね」と言って、電話を切った。切った後、Qさんは沈んでいた。「付き添い、付き添いの名前って・・・。そんなの、どうだっていいじゃないですか」と言った。いたたまれなかった。Qさんはそれでも、ちゃんと当日話すための準備をした。子どもに話すための講演メモをつくり、イラスト入りレジメもつくった。

「大丈夫ですか?」 ―前日の電話―

 そして「いきいきフェスタ」前日。V先生から直前の確認の電話がかかってきた。「明日、お天気が少しくずれるみたいですが、大丈夫ですか?」と親切そうに聞く。Qさんは、淡々と「大丈夫です」と言った。あきらめたような表情だった。
 (※意味不明。車椅子の障害者は、雨にあたったら何か大変なことにでもなるのだろうか?)

3.「いきいきフェスタ」当日・その後

「障害理解」? 

 そして当日(金曜)。これについては、介助は金曜昼のヘルパーさんだったので、後でQさんから聞いた話だ。(当日メールをもらい、翌週の木曜に聞いた。) 

 Qさんは事前にM小学校に下見に出かけ、位置を道順を確かめていたので、当日はスムーズに到着した。入ってみると、学校には車椅子トイレもエレベーターもあって安心したという。

 Qさんが驚いたのは、「いきいきフェスタ」がかなり大規模なお祭りだったことだ。ライオンズクラブや地域のいろんな人が多数学校を訪れ、楽器演奏だの、「スペインを知ろう」だの、お菓子づくりだの、イラスト教室だの、アロマテラピーだの、陶芸教室だの、いろんなものが同時並行でおこなわれていた(という事実さえQさんには事前に知らされなかった)。いろんな大人が出入りしていて、にぎやかだったという。児童たちは事前に「自分で選んで」興味のあるものに参加する仕組みだ。第一希望が定員オーバーなら、第二、第三希望へ振り分けられる。Qさんが講師をつとめるのは「障害理解」というテーマだが、これを第一希望にした子どもは一人もおらず、第一希望がダメで振り分けられて来たのが9人だった、というわけだ(注3)。

 V先生に会い、教室に案内された。V先生は、Qさんがレジメを持参したことに驚いたらしい。Qさんは、てっきり「では、お願いします」と言われて後は自分が仕切るものだと思っていたのだが(講演は、普通そうだ)、実際は違った。V先生主導の「障害理解」の時間だったらしい。

 「それでも自分が話した時は、子どもがちゃんと聞いてくれた。質問もしてくれたし、良かった。楽しかった」と、あとから、Qさんは自分を納得させるふうに話してくれた。 正味90分程度の「障害理解」の時間の後、先生たちとQさんら講師・出演者全員で、30分程度の反省会があったそうだ。Qさんは、ここは言わなきゃと思って、発言した。「まず、先生が勉強して下さい」と。だが、誰にどれぐらい通じていたかは、わからない。

 かくして「いきいきフェスタ」終了。謝礼千円(図書券)をもらい、Qさんは学校をあとにした。

4.私見:「いきいきフェスタ」とは何だったのか?

 以上の出来事は、Qさんの電話の近くにいた私がたまたま知り得たことに過ぎない。私は電話の向こうのV先生と話したことも会ったこともないし、「いきいきフェスタ」も直接は知らない。しかし、いちおう教育学の研究室に在籍する大学院生として、あまりにも今の学校でよくありがちな企画が展開されていたことは容易にわかる。そしてV先生のような人も、Qさんのような扱いを受けた人も、おそらく全国各地津々浦々にいるのだろうことを想像した。

「地域に開かれた学校」を演出する駒?

 V先生は、M小学校は、Qさんに何を期待していたのだろうか? フェスタでたくさんお店(出し物)を並べる中に、「はい、福祉もあります。」「はい、障害者もいます」と示したかっただけではないのか。「福祉」は、「国際理解」「環境」などと並ぶ、便利な駒だ。Qさんは車椅子に乗っており、シンボルとして、アリバイとして、バッチリだ。それで何か「ふだん困っていること」を話してもらい、「じゃあ、どうやって助けてあげたらいいのか」を子どもに考えさせ、作文を書かせたらにすれば、このプロジェクトは予定調和的に完了する。ラクチンだ。Qさんが期待されたのは、このストーリーを乱さないこと、それだけだ。(注4

 Qさんから当日のことを聞いたあと、はじめてネットでM小学校の「いきいきフェスタ」を調べてみた。あんのじょう、M小学校は「地域に開かれた学校」をうたっていた。 

How to 人権侵害?

 私が記憶する限り、V先生の言葉は終始にこやかで、丁寧で、ゆっくり(※「あのー、難聴ではないんですけど」と思うぐらい)だった。しかしV先生が言ったことのいくつかは、もし相手がラディカルな運動体なら突き上げを喰らってもおかしくないようなことだ。

 まず、言語障害のある人(特に脳性まひ者)の言葉をちゃんと聞かず、わかったふりをすることの問題性は、30年以上前から脳性まひ者の運動でたえず指摘されてきたことだ。また、介助者を「付き添い」と捉え、介助者の名前を知ろうとすることは、Qさんの主体性と尊厳を傷つけるものだ。さらにいうと、Qさんの具体的な生活やニーズを知ろうとせず、無意味に「危なくないか」「(天気が悪いが)大丈夫か」などと尋ねるのは、典型的なパターナリズム(温情主義、庇護主義)といえる態度であり、自立生活運動をはじめとする障害当事者運動がつよく問題化してきたことだ。一見、やさしく親切な態度だが、障害者が最も経験しやすい人権抑圧の一つである。

 「そんなこと、知らない。V先生を責めるのはかわいそう」と世間の多くの人は思うかもしれない。たしかにこれはV先生だけの問題ではなく、構造的な問題にほかならない。

「障害」理解? −障害学の窓から見ると−

 教育現場における「障害」理解教育(or人権教育)の構造的な問題がいくつかあると思う。例えば、「教育上望ましい障害者」像が反復されることに疑問をもたれていないことだ。これは実は、障害者を非人格化し、生身の障害者を生きづらくしているにもかかわらず、である。

 また、障害当事者運動が掲げてきた「社会モデル」の考え方(=障害者のニーズを無視し障害者を排除してきた社会システムを問う)が欠落したまま、「個人の努力や他人の思いやり」によって解決すべきこととして障害者問題を描いていることだ。つまり「個人モデル」である。(注5

 障害者は長い間、教育へのアクセスを奪われてきたし、教員の世界も健常者中心だ。障害当事者の経験や視点、障害者運動の蓄積を理論化する努力が「障害学」でなされているが、そこでの「知」はまだ、教科書やカリキュラム、教師教育等にほとんど反映されていない。

まず、ギャップの深さに気づくことから

 残念ながらV先生が自分で自分の言動の意味に気づく可能性は、低いだろう。結局Qさんと一度たりともきちんと対面して話すことのなかったV先生は、「いきいきフェスタ」が無事終わって、安堵しているだろうか。もしかしたらV先生は、「実践記録」を書いて、大人教(大阪人権教育研究協議会)かどこかで報告しているかもしれない。「子どもたちはいきいきとした表情でQさんのお話を聞き、障害者の方への理解を深め、思いやりの大切さに気づいたようでした」などと。

 

 どうしてこんなにすれ違うのか。どうしたら変革の糸口がつかめるのか。“創造的な提案をする”ことをめざす障害学にコミットする者として、私自身、より具体的に考えていきたい。


(注1)むろん、他人の電話の内容はプライバシーに属することなので、本当は介助者は聞くべきでない。相手が初めてor慣れない人の場合は介助者に「通訳」を頼むことがあるため、私も電話の内容を聞いた。スピーカーホンだと、相手の声も大きく聞こえる。

(注2)もちろん、知る機会がなければ誰でも知らない。ある程度のことは本などでも調べられるが、「一人一人違う」ので、必ず本人に聞かなければならない。V先生は一度Qさんの都合を聞いた上で、会いにくるべきだったろう。(実際、電話のみで話すのは、しんどいことでもあるのだ。)

(注3)Qさん談「いや、そりゃあ、料理つくったり、太鼓たたいたりするほうが楽しいに決まってるし。少なかったのは、別にいいんです。全然」

(注4)同じく「駒」として招待され外国人住民等も、やはりQさんのように「ふだん困っていること」を話すように期待されたかもしれない。よくあるマイノリティへの「役割期待」だ。

(注5)「個人モデル/社会モデル」、あるいは、障害者に関わる「人権教育・啓発」についての私の考え方については、『部落解放研究』に掲載された文章を参照してほしい。
ここで読めます。→ 
「障害者問題を扱う人権啓発」再考―「個人−社会モデル」「障害者役割」を手がかりとして―

 /宣伝ひとつ。2004年3月、『ディスアビリティ・スタディーズ −イギリス障害学概論』が明石書店から出版予定(私は訳者の一人)。結構読みやすく、面白いので手にとってご覧下さい。/ついでに明石書店HPの連載「障害学カフェ」もお勧め。■


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