前号(『みちくさ』12号)で山口憲介「地球の歩き方 釜ヶ崎」を掲載したことにたいして、檜山氏から「次の13号で釜ヶ崎特集を組んでほしい」との提案をうけました。その時、彼はおおよそ次のように言っていました。
この記事は釜ヶ崎が「危険なところ」であるかのように一面的な取り上げ方をしており、しかも事実関係において誤りを含んでいるにもかかわらず、客観的な事実を伝えているとの誤解を一部で生じている。『みちくさ』読者に既に誤ったイメージが流布されてしまっていることを、重大に考える。
そのような偏見をひろげる記事を解放研が掲載したことは問題である。すでに『みちくさ』12号が発行されてしまった以上、次善の選択として、改めて釜ヶ崎についての特集を組むべきである。
「この記事への批判」というスタイルでは、「やっぱり運動している人々が反発してきた」と受け取られて、この記事を受け入れた人々には読まれないだろう。当事者からの批判を振りかざすのではなく(現実問題としてこの記事が釜ヶ崎の労働者の目に触れ、なおかつ反論の原稿をもらえる可能性も低いが)、あえて釜ヶ崎に関わってきた同世代の友人たちに原稿を依頼し、ひとりひとりの釜ヶ崎との関わり方を提示することで、山口氏が切り取ってきた以外の側面について読者に考えさせる特集にしたい。
いうまでもなく、山口氏のこの記事は、有名な海外旅行ガイドブック『地球の歩き方』のパロディというスタイルをとっています。『地球の歩き方』が、学生を含めた旅行者からの、断片的で主観的な情報で構成されており、その記述がしばしば信頼性に欠けることは、周知の事実です。(このパロディであることによって、いわば、書き手も含めたわたしたちの釜ヶ崎へのまなざしは、異境にそそがれる旅行者のそれ程度のものでしかないということを気付かせ、そのまなざし自体を笑う効果をもったのではないでしょうか。)
偏見をはらんでいるもしれないが、この叙述が即差別であるとは断言できない。これがそのとき出した編集部の結論でした。
掲載をためらう声も出ましたが、「開かれた議論をする」という編集方針を確認した上で、掲載を決断しました。
『みちくさ』の誌上での討論を通じて、差別であるとすれば、どこがどのように差別であるか(または差別でないのか)を明らかにしていけたらという希望を、編集部は持っていました。この判断の底には、偏見にたいして「それは偏見だ」と指摘するだけでなく、それが広く共有されているものであればなおさら、運動はそれを封じ込めようとするのではなく、個々人の肌にはりついた意識と向き合ってほしいという気持ちがありました。
もちろん編集部が掲載した責任を回避するつもりはありません。しかし、「なぜ掲載したか」と問われれば、こう答えざるをえません。
この『みちくさ』は解放研が発行していますが、運動側の立場からの情報のみを供給するための雑誌ではありません。むしろ、さしあたり運動に関わっているわけではない立場からの発言も積極的に求めることで、『みちくさ』の議論が豊かになり、運動の側も活性化するのではないかという見通しを持って続けてきました。
また、誌上の討論によって、問題の所在、あるいは問題の問題性が、よりはっきり見えてくるのではないかという期待も、『みちくさ』を創刊した動機のひとつです。あらかじめ運動側から見て「正しい」と判断される情報だけを掲載するのでなく、運動の論理からは出てこない主張にも積極的に反応し、運動の側も自らの相対化をはかりたいと思っています。
「運動のための運動」に陥らず、開かれた活動へつなげていくという目的は、いいかえれば、ネットワークの構築をめざすということです。『みちくさ』の誌面にさまざまな人が出入りして「わたしはこう考える」と自由に議論していくことで、「差別」となると口をつぐんでしまうような情況を変えていきたい。それが、解放研の願いです。
引き続き、読者の皆さんからのご意見を歓迎します。