屠場というところが何をしている場所かということを知らない人は意外と多い。屠場労働者自身も「『屠場』って言葉、通じないんですよね、いま若い人には。こういう仕事があること自体、知らないひとが多くて」(本書p149)と言っている。ちなみに旺文社の国語辞典では「屠所:牛・馬・豚など食肉用の家畜を殺して処理する所。屠場。とさつ場。」と説明されている。考えてみればあって当然の仕事なのに、普段肉を食べる人でも、意外とこの行程の存在が意識から抜け落ちているのではないだろうか。
『ドキュメント屠場』と題された本書では、これまでいろんな労働をルポタージュしてきた鎌田慧氏が自身の確かな観察力で、東京、横浜、大阪の南港、徳島、の四カ所の屠場について語っている。屠場はそれぞれの工場によって雇用形態や労働の形態がずいぶん違う。日本の東西でも大きく違うし、同じ大阪でも場所によって違いがある。筆者の力量あってのことであろうが、本書のようにいくつかの屠場を描くことによって、読者自身が屠場のイメージを組み立てることができるのはうれしい。なお本書は雑誌『部落解放』の連載から始まったものである。
また、本書のおもしろいところは、屠場の労働内容だけでなく、節々に屠場労働者たちの労働観が織り込まれているところにある。筆者のこだわりもここにあるように思うが、この労働観が、実にあざやかに描かれている。屠場労働者たちの生きていく上で重要なたん白源を供給する労働をしていることへの誇り、修得にかなりの年月を要する解体技術をもつ職人であることへの誇りが伝わってくる。
本書の多様な引用文献からわかるようにこの分野の本がこれまで出版されていないという訳ではない。むしろすばらしい本がたくさんあるように思う。しかし、手に入りやすさの点では本書に勝るものはなかったといえる。それにはそれなりの理由があるだろう。その理由の一つは、屠場労働をみるまなざしにあったといえるのではないだろうか。屠場労働はその価値を認められ、正当に評価されてきたという訳では決してない。動物をさばく労働であるため、残酷だ、気持ち悪いと言われ、歴史的に被差別部落とのきっても切れない関係から部落差別の標的の一つにもされてきた。現在の屠場労働への偏見はこれら両方のあわさったものであると私は考えている。厳しい偏見から自らを守るために屠場内部からも労働を表に出すことへの反対もあった。今回このような本が日の目を見るまでには多くの人々の議論があったことが本書からも伺える。(岩波書店自身の事情もあとがきに述べられているが、字数の問題で割愛させていただく。)
蛇足かもしれないが、私は屠場労働を考える際にいつも、こんな風に普段の生活から見えなくなっている、でもなくてはならないというものは結構あるのではないかと感じてしまう。屠場労働を知ることで、自分の思いこんでいた日常生活がいかに一面的なものかということを学ぶことができたように思っている。
*私は個人的には、以前フィールドワークで受けいれてもらった地区で屠場の「屠」という漢字は「いじめる」という意味ももつので使わない、という意見に共感して普段は「と場」と表現しているがここでは筆者の表現に準じることにする。