ちかごろ目を引いた新聞記事がある。母乳からダイオキシンが検出された、という内容のものだ。因果関係は調査中とされているが、たくさんの人が正確な情報のないまま不安な気持ちにかられていることだろう。特に育児中の母親が母乳を与えることの是非を悩んでいる、という投書もよく見かける。このことについて考えるとき、わたしは自分と母親との関係を想起させられる。
わたしはこどものころからアレルギー体質を持っていて、毎週のように耳鼻科、眼科などに通っていた。なかでも手に負えないのがアトピー性皮膚炎だ。こどものころからステロイド軟膏を常備薬にして対処してきたが、中学2年のとき急にしっしんが顔じゅうに広がり、皮膚科にも通うようになった。当時ステロイドの危険性が指摘されはじめていたが、病院によって治療方法は異なり、わたしは飲み薬とステロイドを併用していた。しかしなかなか薬が合わず、味覚がおかしくなったり授業中睡魔に襲われることもしばしばだった。また薬が効かず、夜通しかゆみとうずきとで眠れない日が続いた。そんなとき母がいつもつき添ってくれていた。母はわたしの症状がひどくなる様子を見かねて、漢方から自然療法まであれこれと情報を仕入れてきては、むりやり試してみるように勧めた。わたしはステロイドが自分には合わないと悟ったので、なるべく使わないようにしていたが、こたつで眠ってしまったとき、目が覚めたら母が顔中にべたべたと軟膏を塗っていたこともある。当時、わたしも母も心身ともにへとへとになっていた。そんなあるとき苦痛で気が高ぶって泣き叫んでいるわたしに向かって、母がぽつんと言った言葉がある。「やっぱりお母さんのせいかなあ。あんたがお腹の中にいたときのストレスが原因やろか。もう、そんなに泣かんといて。」たしかにわたしは原因を知りたいと思っていた。でも、それはよくわからない。なぜ、母が責任を感じなければならないのだろうか。それからは隠れて泣くようになった。
でも、そのことをあらためて考えさせられる出来事があった。中学の生物の女の先生が環境汚染について授業をして、生物濃縮かなにかの話でこんなことを言った。「(女子生徒に向かって)あんたら子ども産まんほうがええわ。ちかごろは汚染物質もたくさんあるし、食生活も乱れてて、添加物ばっかり食べてるやろ。そんな体で子どもを産んだら子どもが迷惑や。」いつもユーモアたっぷりで人気のある授業だったが、そのときばかりは教室中凍ったように静まり返り、無言の怒りが空気に満ちていた。わたしは母のことを考えていた。この言葉を母には聞かせられない、と思った。でも、おそらくわたしの頭の中に反論は浮かばなかっただろう。わたしはその先生の勧告によって、自分は子どもを産まないひとであるべきだ、と心に誓ったのを覚えている。――こんなこと、いまのわたしには考えられないことだ。いまなら「障害」者の友人の言葉を借りるまでもなく、あの先生に言ってやることができる。わたしが「迷惑」と思ったかどうか、あなたに代弁してもらいたくないし、悲しみや苦痛も含めてわたしの人生を生まれない方がよかった、などと心配してもらいたくもない。誰かが判断するにはひとりの人生にはわからないことも含めて、苦しいこともすばらしいこともたくさんありすぎるのだ。――だけど、あれから10年近く経った今となっても、アトピーの症状が悪化して夜ひとりで布団の中でうめいているとき、あの先生の言葉がよみがえり、わたしに同意を迫る。わたしはこの考えから逃れようとして、相手のいないまま叫び、暴れ回っている。
読み返してみて、あまりの激しい口調に、われながら動揺している。でも、いまはまだほかの言葉が見当たらない。はたしてこの文章が人の目に触れ読まれるようなものなのかどうか、自信がない。というのも、自分にとっては紛れもなく苦痛なことも、それをほかの人の経験と比較することによって、自分のまわりにあふれる幾多の問題に立ち向かう前に、私が個人的なことで泣き叫ぶ権利などないのだ、とずっと自分を叱りつけてきたからだ。にもかかわらず、いま書かねばと焦っているのは、いくら世の中の問題について触れようとし、たたかう姿勢を身につけようとも、自己の内的な問題からは解放されず、それどころか星霜が降り積もるようにことあるごとにわたしの精神をきしませるのをもう放っておけないと思うからである。
しかし、わたしの内にも深刻なハードルがある。わたしは電車の中などでアトピーの症状のおもい人に会うと、思わず目を背けてきた。また、軽い症状で簡単に(そう勝手にわたしは想像していた)自分がアトピーであると名乗れてしまう人に対して腹立たしさを感じていた。同病に苦しむ者として、共感しあうことがわたしにはできない。自分をありのまま肯定することがまだできていない。
わたしは、母とのことを中心に書いた。父とのことについて、書かなかった。父は傷つきやすい娘を距離をおいて見守り、何も言えないことがいたわりだった。しかし、母はあまりに身近に見すぎていた。「汚いね。なんとかしなさい。」とたまりかねてわたしに怒鳴ったこともあった。そのとき、姉が泣きながら母に怒っていたことを覚えている。
大阪で一人暮らしを始めてから、うそのように症状が良くなって、たまに帰省してもあまりアトピーのことは言われない。そのかわり、「年ごろなんだから、もっときれいにしなさい。」と言う。あいかわらず、娘に「世間並み」を要求しているらしい。
さいごに、わたしの未熟な文章によって傷つけたひと、わたしが目を背けたひとを、いつかごめんなさいと言っておもいきりだきしめたい。
わたしがずぼらな格好をするのは、
わたしが化粧をしないのは、
わたしが「かわいい」と呼ばれると落ち着きをなくすのは、
わたしがわたしのままでいることを守りたいからである。
(長くなりました、すみません。おわり)