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少し嫌な気分になること

金子一郎

 ふだん幸せに暮らしている僕だが、ちょっと嫌な光景や会話なんかを日にして、その日一日嫌な気分になったりすることもある。まあ、次の日はもう幸せな気分に戻るんだが。

 1年ほど前だったか、阪急梅田駅で奇妙な集団に出会った。

 その集団は全員、なにやらいろいろ書いてあるプラカードをさげて、水中メガネみたいなものをつけて、ブラブラ歩いている。「なんやあ?」と思いながら、まあすぐに忘れて呑み屋に向かったわけだが、後日、知人から事情を聞いて腑に落ちた、というよりアホらしくなった。

 つまりそれは、[一日高齢者体験」の集団だったんである。あの水中メガネみたいなやつは、つける人の視覚を制限し、「高齢者の感覚世界」を疑似体験させるすぐれもので、みんなでそれをつけて街をねり歩くという、体験学習の一種らしいのだ。

 素直に聞きたい。

 あんたらには、じいちゃんばあちゃんがいなかったのか?

 いたら、聞きなさい。教えてくれるはずです。いなかったら、僕のところに来なさい。うちのばあちやんを紹介します。で、聞いてもわからなかったことがあったとすれば、そこが高齢者間題の核心です。ハイテクメガネなんかつけてもわかりっこありません。あとは自分で考えましょう。以上。

 ちょっと考えればわかること。もうあんな集団を日にすることはあるまいと思いきや、この体験学習というやつは、意外に流行っているらしい。聞くところによると、「一日車イス体験」なんてのもあるという。

 「車椅子に一日乗って、どんな不便があるか考えてみましょう。あ、切符の自動販売機の位置が高すぎますね。これでは車イスの人は買いにくい。お、この駅にはエレベーターがない。車イスでは電車に乗りにくい。みなさん、わかりましたか?」「はあい、車イスに乗ってみて初めてわかりました。よかったでーす。」と いう具合らしい。

 ここにいたって、僕は呆然とする。乗らにやわからんのか君たちは。少なくともオレは、別に乗らなくても、考えただけでわかるぞ。

 断言しよう。

 切符の自動販売機が高すぎたりエレベーターがなかったりするのは、障害者のことを考えてもわからないからじゃなく、考えていないからだ。考えてもわからなかったら、障害者に聞けば終わりだ。車イスを何個もそろえて、よってたかって体験しようなんてのは、時間の無駄だ。

 正直に言いなさい。障害者間題なんか考えたこともないって。障害者は怒るかもしれんが、僕は怒らないから。

 幼少のみぎりから邪魔者扱いされ、友人とまともに接することもかなわず、長じては無能者の烙印を押され、ときには「カクワ」と罵られる。そんな障害者の体験は、車イスに乗ったってわからない。僕を含めて健常者には一生わからない。もしかしたら次の体験学習は、「一日被差別部落出身者体験」か?「一日在日コリアン体験」か?そんな根性あるか?

 「障害者間題を考えるきっかけにはなる」と言うかもしれない。だったら、こっそりやろうぜ。参加者を募って車イスに乗ってみるなんてのは、「考えてるふりをする」だけだ。一人でやりなさい。オトナなんだから。

 という感じで、気分が少し悪くなることがある。

 まあ、次の日にはまた幸せな気分になっている。なぜなら僕は、車イスに乗ってる障害者じゃないからね。

 なあんて、キレイなオチをつけて、今回はこれで終わり。


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