[戻る]  [目次]  [ホーム]    


   歴史修正主義の流れを食い止めるために

           ―これまで、そしてこれから―

 

         歴史修正主義を考える阪大連絡会  後藤 政孝 

 

 東大教授・藤岡信勝が「自由主義史観研究会」を結成してから三年、「新しい歴史教科書をつくる会」の結成からは一年が経った。「自由主義史観研究会」編の『教科書が教えない歴史』(扶桑社)は、今や第4集までが刊行され、多くの書店で、相変わらず店頭の最も目立つ位置を占めている。この間、「自由主義史観」の側は、よくもまああれだけ同じことを何度も書くものだというくらいの量の出版物を刊行し(もちろん理由は「売れるから」であろうが)、それに元気づけられたわけでもないだろうが、(形の上では「自由主義史観」から除外されたことになっている)旧来の右派言論人の発言も以前よりよく目につくようになった。同時にこの間、彼(女)らに対して批判、反論、対抗するスタンスで書かれた出版物も相当の数にのぼり、どちらにせよ、いささか食傷気味といった感がないでもない。

 出版攻勢はまだまだ続いているものの、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」)結成当初のような騒ぎは今では表面上は少しおさまり、情勢は少し落ち着いて来ているように見える。もちろん、だから安心だというのではない。「自由主義史観」がある程度固定された(それもかなりの数の)支持層を獲得した、ということでもあるし、「研究会」や「つくる会」の活動、さらにはそれに連動した右翼団体・政治家の活動、は相変わらず続いているにもかかわらず、そのことが全く問題化されないことの方がよほど危険なことであろうからである。さらに、「研究会」の主なメンバーが小中学校の教員であること、多くの人にとって、「自由主義史観」の側の主張ばかりがよく目につくような状況にあることなどを考えれば、特に若年層に対する影響、という点で、これはもう大変に危険な情勢になっていると言わねばならないであろう。もううんざりだ、と言ってばかりもいられない。

 

 

 大阪大学から唯一「つくる会」の賛同人に(自ら進んで!)なり、慰安婦の存在を正当化しようとするなどあちこちで妄言をくり返している加地伸行阪大文学部教授に公開質問状を提出したことを直接のきっかけとして、阪大内外の諸団体、諸個人の集まりとして昨年夏に結成された「歴史修正主義を考える阪大連絡会」(以下、「連絡会」)は、この半年間、大小あわせて三つの企画を開催してきた。まず、10月22日には、RINK(すべての外国人労働者とその家族の人権を守る関西ネットワーク)事務局長の古屋哲氏に、「越境の権利 ―日本で『外国人』として生きるということ―」と題して、97年に改定された、日本の入管法(出入国管理および難民認定法)について、その歴史、その根底に流れている思想、さらに、「不法滞在者」が収容所内で受けている人権侵害、などについて講演して頂いた。この講演の内容が直ちに直接的な自由主義史観批判、というわけではないが、「研究会」や「つくる会」の側が、「自国の正史を回復する」とか「日本人の誇りを取り戻す」とか「日本の『国益』のために」などという主張を繰り返している中、彼(女)らのいう「日本」とは一体何なのか、自分が「日本人」であるとは一体どういうことなのか、ということをあらためて問い直すための一つのよすがとなるものであったと思う。「外国人」というものを常に同定し続けることによってしか、「日本人」というものが存在し得ないとするならば、日本という国家それ自体がすでに差別の装置だ、人間を“殺す”装置だ、ということになる。現在は確かにその通りなのだろうが、果たして、国家とは、国民国家とは必然的にそのような存在である他ないのだろうか? 国家自体を否定する他に、それを克服する道はあるのだろうか? ということを考えていかねばならない。

 前出の加地教授は、外国人には日本に「来ていらない」(『RONZA』'97年5月号)とまで発言しているが、こういうのは論外としても、「研究会」「つくる会」の人たちは、まるで、日本(人)と外国(人)とは本来的に利害が対立する存在であるかのような描き出し方をしていることも気になる。多くの人がその主張にうなずきつつあるように見える昨今、そうではない、別の道を提示していくことが重要だと思われる。

 続いて、11月1日、大学祭(まちかね祭)中央企画として、「やつらを通すな 〜『憂慮』と『謝罪』を越えて〜」という題で、作家の徐京植氏と一橋大学教員の鵜飼哲氏とに対談をして頂いた。この企画には、こちらの予想をはるかに上回る100 名以上の入場者があり、この問題に関する関心の高さを感じた。

 一方で、日本はこれまで「謝罪」を繰り返してきた、という認識があり(実は日本政府は全然謝罪なんてしていないんだ、ということは対談の中で明らかにされたが)、その一方で、「自由主義史観」に代表されるような日本の中での歴史修正主義の動きを「憂慮」する人々がいる。このような、「憂慮する」側、「謝罪すべき」側、という関係が固定化されてお互いが断絶し、「自由主義史観」はその断絶を拡大再生産する役割を果たしている、という認識を基に、そのような固定された関係を越えて、我々は過去の歴史的事実や、被害者に対してどう向きあっていけばいいのか、ということを考えるための手がかりになれば、ということでこの対談は企画された。この対談、「難しかった」という感想も多く聞かれたが、内容は実に広範な話題にわたっており、それぞれの参加者の中に一つでも二つでも、何か今後の糧になるようなものを残せたとすればそれでこの企画の目的の多くの部分は果たせたのではないかと思っている。また同時に、主催者の側としては、講師の方が提起された問題をどう受け止め、どう今後の活動につなげていくか、という、大変難しいけれども非常に価値のある仕事を抱えこむことともなった。

 まだ到底まとまったものにはなっていないが、対談の中で指摘された論点をいくつか挙げると、戦後初めて、(相手国政府ではなく)生身の被害者が眼前に現れ、それとどう向き合うか、ということが問われるという、新しい局面に今入っているということ。にもかかわらず、それを拒絶し、さらには被害者を直接に辱めるということが平気で行われているという現状。「自由主義史観」を支持するような、日本社会に広く根を下ろしている“気分”。自らが責任を問われていることの苛立ちを被害者のほうに向けるという転倒(そして誰もそれを疑わない)。また、歴史修正主義というのはヨーロッパにもあるが、日本の場合は、それに対して歯止めが全く利かない、という点が決定的に異なるということ(だからこそ、今なんとかしないと取り返しのつかないことになる)。被害者を前にして、個人間の関係であれば当然“恥”を感ずべき時なのに“恥”が全く機能しないのはなぜなのか。日本人の“恥”は一体どこにあるのか(そして同時に、自分が「日本」に帰属しているという意味は何なのか)、など。今後、このような論点を一つ一つ整理して考えていくことが、我々に課された仕事であると思っている。

 この対談のフォローをするにはまだ少し時間が必要だろうし、まずは古屋哲氏の講演に対するフォローをしよう、ということで、次の企画として、12月20日に、映画『パリ空港の人々』上映会を行った。この企画については、連絡会内部で事後の議論がまだ深められていないので簡単にとどめるが、とりあえず、空港内には、“どこの国でもない場所”で暮らす、入国を拒否された人々がいるということ、そして、国家によって、法律によって「自由」を奪われている人々が、我々が普通に日常生活を送っているだけでは全く見えて来ないけれども、実はいたるところにいるのだ、ということをあらためて認識させられた。

 

 

 「自由主義史観」のようなものが広範に支持を集めてしまうという日本社会の現状。他にも、いちいち挙げないがさまざまな局面での、今の日本社会の限りない右傾化。原因としては多くのことを挙げることができようが、特にここ数年来このような雰囲気が顕著なように見えるのは、よく言われることではあるが、いわゆる冷戦終結(そして湾岸戦争)、いわゆるバブル崩壊、といった事象と無縁ではないであろう。このような現状を前にして、我々は一体何をすれば良いのだろうか。歴史修正主義を種々のレベルで批判していくこと、誤った認識を正していくことはもちろん重要だが、そのような対症療法的なレベルにとどまることなく、やはり何らかの、新たな展望、彼(女)らの思考パターンにはまってしまうのでもなく、旧来の二項対立図式に回収されてしまうのでもない、新たな道、新たな関係の可能性を探ってみなければならない。具体的には全くこれからの課題であるが、これまでの企画の中で提起された問題を自分たちの問題として受け止めつつ、未来に「希望」が持てるような理念を、「希望」が持てるような社会をなんとか創出していきたい。

 バートランド・ラッセルは 1951 年にすでに、「将来、もしも東西冷戦が終結したとするならば、次に人類にとって最大の危機となるのはおそらくナショナリズムの問題であろう」という主旨の発言をしている。現代の我々も、このくらいに先を見通す力をなんとかして獲得したいものである。まやかしでない、本物の希望を見出すために。

 


[戻る]  [目次]  [ホーム]