2005年1月17日脱稿
『ヒューマンライツ』第205号(2005年4月)掲載。


竹田の子守唄、海をわたる

――中国の歌謡曲「祈祷」とジュディ・オング――

廣岡浄進

つよい蒸留酒ですこしばかりふらふらになり、わたしはソファに身をしずめた。不意に、ききなれたメロディが響いてきた。竹田の子守唄だ。どこだ。中国は吉林省長春市、とあるレストランの個室だ。宴たけなわ、備えつけのカラオケで、ある学生が歌いはじめたのだ。わたしは、留学先の受け入れ教授の大学院ゼミの忘年会に参加していた。昨年九月から、わたしは中国政府奨学金の奨学生として、中国に留学している。

簡単な会話がこなせるようになった中国語で、伝えた。これは知っている、もともと日本の歌だ、と。すると、二本あるマイクの片方を手渡されてしまった。カラオケの画面に出る歌詞は、まったく初めて目にする。しかしそこは酔っぱらった勢い、挑戦してみた。曲を知っているとは、実にすばらしいことだ。もちろん周りのリードのおかげもあってだが、なんとかそれらしく歌いきれてしまったのである。

いったい、中国の流行歌には、日本の歌をカバーしたものがめずらしくない。あれっと思って足をとめたことが、幾度かある。たとえばいま街角や大学の食堂で流れているところでは、「亜麻色の髪の乙女」(ヴィレッジ・シンガーズ/島谷ひとみ)や、「それが大事」(大事MANブラザーズバンド)など。ここ長春では、テレサ・テンが中国語で歌った「北国の春」(千昌夫)も、カラオケの定番らしい。曲だけ拝借して歌詞は新しくつけることも多いようだ。山口百恵や酒井法子を知っているかと中国の学生にたずねられたこともまた、一度や二度ではない。日本のドラマやアニメも、よく視られている。

こんなに日本の流行歌がうけいれられているのだから、竹田の子守唄のカバーに出くわしたからといっても、驚くにはあたらないのかもしれない。それでも、わたしにとっては、ひとかたならぬ思い入れのある歌である。それだからこそ、ちょっとした衝撃でもあり、なんとはなしにうれしくもなる再会だった。

竹田の子守唄について、ここで、いまさら、くどくどしい解説はいらないと思う。一九七〇年代に赤い鳥がうたって、日本を代表する民謡となったこのフォークソングは、京都市伏見区の竹田部落の民謡をもとに、うまれた。だがこの由来が知られるようになった結果、公共放送などで忌避されてきたのだという(森達也『放送禁止歌』解放出版社、二〇〇〇年。藤田正『竹田の子守唄』解放出版社、二〇〇三年)。とはいえ近年そうしたタブー視がくずされてきていて、さまざまな歌手やバンドがカバーしている。わたしもまた、竹田の子守唄のそのような復活のなかでこの歌に出会った世代である。

さて、数日後、別の顔ぶれで、カラオケに行く機会があった。わたしは、そこに来ていた中国人学生に、この歌のタイトルがわからないんだけどと、竹田の子守唄の節を口ずさんだところ、彼はすぐに探しあててくれた。そして、タイトルは「祈祷」で、デュエットソングなのだと、教えてくれた。さらに後日、インターネットで音楽ファイルを入手できるウェブサイトを教えてもらった(もっとも、このサイト、日本の法律に照らせば、著作権侵害にあたるのではないかと思われるのだが)。

さっそく検索してみた。「祈祷」の歌手は王韻嬋と王傑(王杰;デイブ・ウォン)。王傑は、台湾生まれで香港を拠点にしている人気男性歌手。ジャッキー・チェン主演の新作映画「香港国際警察/NEW POLICE STORY」(原題「新警察故事」)にも出演している。王韻嬋は台湾の女性アイドル歌手らしい。

ところで、調べてみたところ、「祈祷」は、ほかの歌手もカバーしているようである。この記事を書くにあたって、手にはいる限りのバージョンを集めてみようとした。すると、翁倩玉という名前に行きあたった。翁倩玉。ジュディ・オングである。

インターネットで仕入れた情報によれば、一九九九年のNHKテレビ中国語会話にジュディ・オングがゲスト出演したときに、これを歌い、次のように語ったという。竹田の子守唄のメロディに、父(翁炳榮)にたのんで詞をつけてもらったのだと。つまり、竹田の子守唄は、ジュディ・オングの手によって、中国語歌曲「祈祷」へと生まれかわったのだ。この逸話は、中国の音楽事情に関心をもつひとたちには、わりに知られているようだ。それでも、もっと知られていいことではないかと思う。竹田の子守唄には、日本人だけでなく、ひとりの在日中国人歌手ジュディ・オングの琴線にふれるだけの力があった。さらに中国のひとびとはこの歌を、中国人歌手翁倩玉の持ち歌「祈祷」としてではあるが、もとから中国の歌だと思うほどに愛してきたのだ。そしていまや、これをジュディ・オングが歌ったことを知らない若者たちが、歌い継いでいる。愉快なことではないだろうか。

ちなみにこの「祈祷」だが、ジュディ・オングの日本でのアルバムには未収録。台湾で出した『永遠相信』(一九九四年)に収録されている。中国からの輸入盤をあつかっている通信販売サイトで購入できる(クイックチャイナ)。

最後に、「祈祷」の歌詞を紹介しよう。字体は、簡体字(中国の略字)ではわからない読者が多いだろうから、旧漢字にした。

    祈禱

  讓我們敲希望的鐘啊,多少祈禱在心中;
  讓大家看不到失敗,叫成功永遠在.
  讓地球忘記了轉動啊,四季少了夏秋冬;
  讓宇宙關不了天窗,叫太陽不西沈.
  讓歡喜代替了哀愁啊,微笑不會再害羞;
  讓時光懂得去倒流,叫青春不開溜;
  讓貧窮開始去逃亡啊,快樂健康留四方;
  讓世界找不到黑暗,幸福像花開放.
  讓我們敲希望的鐘啊,多少祈禱在心中;
  讓大家看不到失敗,叫成功永遠在.
  讓大家看不到失敗,叫成功永遠在.
  (注)ウェブ上には、啊を呀と、叫を教(同音)と、沈を衝(類義)と表記する歌詞もある。後者が古い用字法なので、翁炳榮の詞だと思われる。

これを意訳して、竹田の子守唄の節で歌えそうなくらいの文字数にしてみた。

  希望の鐘をつかせて 祈りたいことが
  皆を失敗させず 永遠の成功を
  地球をとめて 常春に
  空は満天の星 沈まない太陽
  悲しみは喜びに 微笑はなにもかくさず
  時を巻き戻して 青春をひきとめて
  貧しさを追い出して どこも楽しく健康に
  世界から暗黒をなくし 幸せを花のように
  希望の鐘を つかせてください
  皆を失敗させず 永遠の成功を
  皆を失敗させず 永遠の成功を

竹田の子守唄には子守という労働のつらさ悲しさがうたいこまれているのにたいし、この歌詞は、ジョン・レノンの「イマジン」を連想させるような内容だ。でもそれは、決して悪いことではないのではないかと思う。たぶんそれが、文化の交流というものなのだ。だったら、というよりは、だからこそ、わたしたちは、中国で「祈祷」を歌って、そして竹田の子守唄を歌って、語ってはどうだろうか。竹田の子守唄について、つたなくてもいい、ありったけのコミュニケーションの手段をつかって。


参考:祈祷(簡体字)

  让我们敲希望钟啊,多小祈祷在心中;
  让大家看不到失败,叫成功永远在.
  让地球忘记了转动啊,四季少了夏秋冬;
  让宇宙关不了天窗,叫太阳不西沉.
  让欢喜代替了哀愁啊,微笑不会再害羞;
  让时光懂得去倒流,叫青春不开溜;
  让贫穷开始去逃亡啊,快乐健康留四方;
  让世界找不到黑暗,幸福像花开放.
  让我们敲希望钟啊,多小祈祷在心中;
  让大家看不到失败,叫成功永远在.
  让大家看不到失败,叫成功永远在.


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