死刑執行停止を求める宗教者の集い2006年

 死刑廃止キリスト者連絡会の祈りとメッセージ

死刑執行停止を求める集いが開かれ、こうして皆さんの前で発言する機会を与えられたことを深く感謝いたします。

まず死刑廃止キリスト者連絡会について簡単に説明をさせていただきます。死刑廃止キリスト者連絡会は、1992年5月に発足したカトリックとプロテスタントを含む、信徒による超教派の死刑廃止ネットワークです。
 1992年1月23日、「カトリック正義と平和協議会」会長と「日本キリスト教協議会(NCC)」議長との連名による「死刑を執行しないことを求める請願書」が、法務省に提出されました。このとき、請願行動に参加した13名のキリスト者の間で、「死刑を執行しないこと(執行停止)」だけでなく「死刑制度の廃止」を求めるキリスト者の要請運動を起こそうという声が上がり、1296名の賛同者を得ました。
 このときの運動をきっかけに、活動を継続させ、相互に連絡を取るために組織されたのが「死刑廃止キリスト者連絡会」です。
 最初は要請運動として始まったのですが、それからは死刑廃止の福音的根拠を明らかにするための資料、出版物や、交流のためのパンフレットを作成し、それらを通してキリスト教界内外へ死刑制度の廃止を訴え続けています。いかなる人をも排除せず、人と人がともに生きることができる共生社会を私たちは目標としています。

さて、司法の世界には法の前の平等という原則があることはよく知られています。また日本国憲法では、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されないと明記されております。それは本来、神の前の平等という聖書の考え方にルーツを持つということでありますが、しかし現実社会ではどれほどの人々が自分は平等に生かされていると感じているでしょうか。

 神の前の平等とは、人類が神の前に等しく生かされており、かつ自由であるということです。この聖書でいう自由とは難しいテーマですが、このことだけはいえます。本来聖書で「自由・平等」という言葉は、古い律法や習慣によって理不尽な差別を受けていた人たちに対して、そのような分け隔てから解き放たれるべきだという場面で「われわれは自由な存在である、われわれは神の前に等しく作られた」というメッセージが投げかけられていました。ですから聖書で言う自由とは、特に法律を否定し、好き勝手な生き方を許したり、悪人の気ままな振る舞いを許すものではありません。イエスは逆に、「私は律法を廃止するためではなく完成させるために来た」ともはっきり宣言しています。つまり、社会的な差別、不確かな裁き、いじめやねたみによる理不尽な扱いなど、現行の法律の不完全な部分や制度の矛盾による不利益から自由になり、時にはそれらを正していくために、「人々は神の前の平等である」と説かれているのです。

 いま、私たちの世の法律には死刑という制度があります。私たちは死刑という刑罰が行われないことを求めてここに集まりました。それは、死刑が行われるによって何かが解決されるわけではなく、逆に世に殺伐の風潮を促す側面があるからです。冤罪事件では無実の人が死刑になる可能性もあり、殺人で殺されるよりもはるかに強い屈辱と苦しみを受けます。また、死刑を執行する刑務管には良心の葛藤を強いることになります。死刑は凶悪犯罪への解決とは決してなりえないのです。この社会には死刑執行を支持する前に行うべきことがあります。まず、被害者となった方たちへの支援、凶悪犯罪が行われる土台なったこの社会への改善・・・。

 人類は神によって生かされていると私たちは考えます。法律もまた、人々を生かすことを前提に制定されて欲しいし、本来はそのような機能を持つものであったと思います。

法の前の平等とは、人を裁いたり処罰したりするときの便宜としてあるのではなく、すべてのひとびとが自由で安全な生活を行うためにあるのだということを今一度訴えたい。またそれが社会全体の共通認識となってほしいと願います。

最後に短い祈りをいたします。


神様、今日私たちは、9月に死刑が執行されるかもしれないという情報を得て、死刑が執行されないことを求めてここに集まりました。

日本では現在90名ほどが死刑の確定を受けて拘置所の中にいます。そして今、その命のいずれかが絶たれんとしています。どうかこの人たちの命を顧みてください。

大きな罪を犯し、深い悲しみを世に残した人たちであっても、彼らの魂をあがない、そうしてあなたの前に生きるものとなしてください。

無実の罪で獄につながれているひともいます。その人たちには、正しい裁きが速やかに行われますようにお願いします。

心鈍く無力な私たちですが、家族の命を奪われた人々に対してよき隣人となることができますように。

この世界があなたの愛の御手から託されたものであることを信じ、新しい世の到来を切に待ち望んでいます。

あなたの平和がこの世においても実現しますように。

あなたの豊かな恵みが、すべての人の上に惜しみなく注がれますように。

死刑が人の世にあるまじき刑罰であることが、広く認識されることを願います。

近くに予定されている処刑が停止されることを願います。

この小さな祈りを尊き主イエスキリストの聖名によって、御前に捧げます。

2006年9月1日於岡山カトリック教会