(2004 9/3)
今日、多くの宗教者の方々とのつどいを持ち、こうして発言する機会を与えられたことを感謝いたします。
私たち死刑廃止キリスト者連絡会は、死刑廃止を願うキリスト教信徒によるネットワークです。1992年に発足して以来、集会やパンフレット・書籍の発行などを通して、死刑廃止について考え、自由に意見を語れる機会を設けるため、死刑制度の廃止や死刑囚との交流などの活動を行っている人々との交流活動を続けてまいりました。ことしで発足12年になります。
しかし残念なことに、その間もこの国は毎年数名の処刑者を出し続けています。 昨年9月には連絡会にも名前を連ねている向井武子さんの養子、向井伸二さんに対して死刑が執行されました。来る9月12日にはその一周忌に当たります。 それにもかかわらず、さらにこの9月の国会閉会期に再び処刑が執行されるかもしれないと危ぶまれている現実、国家のかたくなさとわれわれの無力さに、おののきを覚えます。
私たちの社会は、凶悪犯罪が行われたとき、それを法の裁きにゆだねる習慣になじんでいます。しかも多くの場合、その刑の執行は本人にも私たちに知らされることもないままに行われます。私たちは、その事件についても深く知らされることがないまま、時の経過とともに事件に関する記憶は廃れ、知らないうちに犯人が処刑されている、そんな現状を生きています。
けれども、私たちは裁きが行われるだけではなく、もっともっと、個々の事件について、その背景について考えていきたい、事件の渦中にあって、苦しんだ人、悲しんだ人と、共苦をわかちたい、そんな願いも持っています。
凶悪な事件は紛れもなく、悲劇です。それは当事者にとっての悲劇であるのと同様、私たちの生きる社会にとっても重大な悲劇です。私たちは刑罰を行うことに責任を持つ以前に、事件が起きてしまったことに対して、それを私たち自身の悲劇と感じ、責任を負うべきではないでしょうか。
多くの憎しみ、ねたみ、貧困、病、犯罪の温床となる多くの問題が放置されたままになっています。
また、犯罪によって引き起こされた悲しみ、苦しみ、それらに対しても私たちの社会は責任を負っています。
何か不幸が起こったとき、人が人を許しあい、癒しあう関係を作ることは、私たちの社会に託された課題です。
死刑が行われている人間社会とは、いったいどのような社会でしょうか。それはある意味では、私たちが応報的な法制度によって、一人一人の責任から目をそらす社会とも言えるのではないでしょうか。
殺人事件を社会の闇に葬るのではなく、厳罰によって犯罪を裁くのではなく、犯罪者を互いに監視したり管理しあうのでもない。ともに命の重さを背負うものとして、ともに和解に努めあう。そんな共同体が今、真に求められています。まず地域に根ざした共同体のあり方が問われています。
新しい共同体に必要な指針とはいったいなんでしょうか。まことに命を大切にすることを尊ぶ世の中には何が求められているのでしょうか。それらについて、私たちはもっともっと真剣な議論を繰り返すべきでしょう。
人々の精神活動に深くかかわりを持っている各宗教団体が、そのための精神的基盤となるように願ってやみません。
今日の集いに集まった皆さん、ともに連帯を進め、更なる連帯を呼びかけていきましょう。
祈ります。
神様
私たち一同がともに招かれ、ともに命の大切さを確かめ合う場所にあることを感謝します。
「ともに愛し合い、許しあうように」というあなたの呼びかけを私たちは聞きます。
どうか、かつて私たちができなかったことを許してください。
苦しんでいる人、深い悲しみの中にある人、絶望の中にある人の言葉に耳を傾けなかった私たちのかたくなさを許してください。
しかし、私たちの業を省み、強め、祝福してください。
今夜ここに集まったのは、すべての命を尊び、高めようという願いを持った人々です。
この世界から人が人を死に定める、死刑という刑罰がなくなることを、私たちは切に求めています。
死刑廃止への道は決して平坦なものではありません。
けれども私たちはこの世界があなたの愛の御手から託されたものであることを信じ、新しい時代が訪れることを信じています。
近くに予定されている処刑が停止されることを願います。
死刑が人の世にあるまじき刑罰であることが、広く認識されることを願います。
犯罪が少しでもなくなるために、多くの社会矛盾に対し、人々の目が開かれていくことを願います。
共同体が罪に対して刑罰で報いるのではなく、被害者と加害者との和解のために責任を持つ存在であることが広く認識されていくことを願います。
私たちは、死刑がこの世界における決定的な力となっていないことに望みをおきます。
神様、私たちのこの希望が絶える事なく、私たちを動かす力と成って働き続けますよう、生かし続けてください。私たちを用いてください。
この小さな祈りを、主イエスキリストの御名によってささげます。アーメン。
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