ロザールさん高裁判決の感想
この怒りを!

2002年9月4日
客野美喜子

 今日のロザールさん高裁判決は、まったく予想を裏切る、驚くべき内容でした。あまりの理不尽さに怒りを覚えているので、私なりの今日の感想を以下に述べます。

 私も、傍聴券をもらいそこねた方達と一緒に、判決言い渡しの2時間を、ずっと715法廷の外の廊下に立って、待っていました。もし「逆転無罪」なら、主文朗読直後に報道関係者が飛び出てくるとか、何らかの動きがありそうなものなのに、30分経過しても誰も出てこないので、とても嫌な予感がしていました。ようやく1時間経った頃、出てきた方が「8年」と、一言だけ言い残して行ったので、廊下にいた私たちは、「やはり「控訴棄却だったのか」と思い、暗澹としていました。

 ところが、弁護団の会見で、はじめて「控訴棄却」ではなく、「原審を破棄した上で、あらためて高裁が自判で、原審と同じ量刑の有罪判決をした」と知って、びっくりしました。こういうケースは、前例がまったくないわけではないが、非常に稀であるとのことです。しかも、今井さんの報告にもあるとおり、「違法捜査を認めて、自白調書は排除する」、「ロザールさんから殺害を告白されたという夫の証言も不採用」と、ここまでは弁護団の主張どおり。これで直接証拠はなくなり、あとは情況証拠にもとづく事実認定という、いわば可能性論のレベルになったわけですが、問題はここからです。「胃の内容物とアルコール濃度による殺害推定時刻、午後10:40から11:00に被害者と一緒に部屋にいたのは、被告人だけである」という結論を導き出すために、それに先立つ買い物に行った時刻、調理を始めた時刻、食事を始めた時刻、食事を終了した時刻を、裁判官が、推論で強引に「早めた」というのです。その早め方も、たとえば「調理しながら酒を飲み、食べるそばから食器を片付けた」というような、ふつうの市民感覚からかけ離れた、かなり無理なこじつけをしています。このような時刻の特定は、検察も行っていません。検察の有罪立証が不完全なら被告人は無罪にするのが、「疑わしきは、被告人の利益」という刑事裁判の鉄則のはず。それが検察の不完全なところを、裁判所が「補強」しているわけです。

 私は、これまでにも、いくつかの裁判を傍聴して、多くの裁判官(全員ではないが、ほとんど)が、検察の主張を事務的に「追認」しているだけなのではないか、という不信感を抱いていました。しかし、今日のように「追認」どころか「補強」までするようでは、これは、もう裁判官ではなく、検察官に近い存在としか言いようがありません。「裁判所が公正中立」などというのは、もはや、幻想にすぎないことを確信しました。ゴビンダさんのケースもそうでしたが、「自白偏重に陥らない情況証拠の事実認定」というと、いかにも科学的であるかのように聞こえますが、実のところは、殺害行為とは直接結びつかない幾つかの事情を、裁判官が推論に次ぐ推論で積み上げたあげく、「以上を総合すると、被告人には犯行が可能であった」とか「犯行が可能だった者は、被告人の他には見当たらない」というような、まったく詭弁としか思えない、非科学的な結論を強引に導き出しているのです。このていどのことで、有罪にされては、たまったものではありません。しかしながら、「疑わしきは、有罪に」・・・今や、これが、官僚化した司法の実態です。これでも、日本は法治国家と言えるのでしょうか。民主主義国家と言えるのでしょうか。

 本当に情けなく、腹立たしい限りです。この怒りを、今後の支援活動を進めるための、新たな力にしようと思います。