ある日警察から電話がかかってきた

下記はペンネーム「喜多さん」からいただいたお便りです。

ある日警察から電話がかかってきた

ペンネーム:喜多さん

ゴビンダを知っているか?

 1997年3月下旬、渋谷警察署から私に電話がかかってきた。 突然かかってきた電話をきっかけに、私はこの事件に関心を持つことになった。 電話の内容は、渋谷で起きた殺人事件の容疑者として逮捕されたネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリの持っていた手帳に、私の電話番号が書かれていたことに対する問い合わせだった。

  「ゴビンダを知っているか」「関係は?」言葉こそ丁寧だったがしつこい質問だった。私はある不安を感じたので、できるだけあたりさわりのない受け答えをした。私が感じた不安とは、ひとつは、わたしの友人のネパール人達に災難が及ばないかということであり、もうひとつは、ゴビンダは冤罪かもしれないとの疑問だった。もし冤罪であったとしたら、私の言質がどんな形にせよ警察に利用されることは避けなければならない。私は、ゴビンダについては何も知らない、ということで押し通した。

日本で働くネパール人の友人たち

 電話が終わると私は知り合いのネーパル人達の住むアパートに車を走らせた。彼らは殆どがオーバーステイで、長いものは5年以上も日本で働き、日本語も達者になっている者もいた。彼らの夢は日本で稼いだ金を蓄えて国に帰り、家を建てたり商売を始めることだった。 私は彼らの仕事ぶりを知っているが、実に勤勉でしかも謙虚だった。彼らがもっとも恐れていることは、不法滞在で強制送還されることだったから、自転車にさえ乗ろうとせず、何事も目立たないように行動している様は不憫にさえ思えた。こんなネパール人達に私はできる限り便宜を図り、相談にのっていた。

 彼らの住むアパートの各部屋に2〜3人が住んでいた。外国人に部屋を貸して困るのはゴミ出しの問題である。決められた通りに出さず近所から不評をかうことが度々あったが、ネパール人達だけは、自分達の立場を自覚しているのか、近所からクレームの出るようなことは一切しなかった。たまに私が彼らの住むアパートに行くと全員が食堂に集まり、故国のポカラ湖やヒマラヤの写真を見せては、いかにネパールが美しい国かを自慢したり、家族や恋人の話に夢中になっていた。そしてお国料理を作ってもてなしてくれ、自分達が帰ったら日本で親切にしてくれた御礼にあなたを招待するから家族でネパールに来てほしいと口を揃えていた。

すでにアパートは捜査されていた

 そんな関係にあったものだから、もしこのアパートがガサ入れにでもあって、不法滞在で逮捕でもされたらかわいそうだと思って行ったのだが、着いた時にはもう警察の捜査が入った後だった。 たまたまアパートに居た2人のネパール人は、心配そうな顔で私に捜査の様子を説明してくれた。

 そして、ここは危ないから仕事に行っている連中に電話をして帰らないように連絡をした方が良いだろうかと相談してきた。私は話の内容から判断して、これは殺人事件の捜索でありオーバーステイの取り締まりが目的ではないので心配することはないだろうが、もし心配なら皆で相談してどうするか決めれば良いだろう、万一誰かが逮捕されたら私が引受人として警察に行ってやるから連絡するようにと話しておいた。しかし結局、それから約1ヶ月の間このアパートはもぬけの殻になってしまった。

冤罪の心証はどこに

 私がこの事件は冤罪だと思ったのは、弁護団が精密に論証しているように、状況証拠とされているものがゴビンダを犯人とするには説得力に欠けているだけでなく、捜査段階で警察がオーバーステイのネパール人に暴行や脅迫をしたり、飴を与えて懐柔したりしてゴビンダに不利な状況を作り上げた作為的な犯人づくりが見えるからである。そして、それ以上に大きな心証は、彼らと付き合ってきて彼らが何を考えどのように行動するかをつぶさに見てきた、私の個人的な経験に基づくものである。裁判の過程でゴビンダが話していることは、まさに私が見てきた彼らの行動そのものであって少しの嘘も感じられないのだ。

差別意識

 さらに感じることは、外国人、とりわけ有色アジア人へ偏見と差別が見えていることである。日本人の一部には、労働ビザを持たない外国人に対し不法滞在者というレッテルを貼り、いかにも犯罪者か犯罪予備軍のように扱っているが、一方では彼らの安い労働力に頼っている。危険・汚い・きつい・の3K仕事を、いやがる日本の若者の代わりに安い賃金で彼らにやってもらっているのが現実である。日本人の中に潜んでいるこうした差別意識は、当然警察や裁判官にもあるだろう。いやそれどころか、外国人による犯罪を防がなければならないという選良意識が、そうした偏見と差別の意識を膨張させ高めているのかもしれない(石原都知事の三国人発言はその一つの例)。事実私は、警察官がオーバーステイの外国人が住んでいる部屋を理由も言わずに踏み込んで部屋中引っ掻き回した例を目撃している。ゴビンダは不法滞在者であるがゆえに犯人にされてしまった犠牲者といえる。少なくとも日本人であれば100%再拘留されることはなかった。また西欧諸国の国籍であれば、再拘留されることはなかった筈である。そんなことをすれば、当然相手国政府からの猛烈な抗議を覚悟しなければならないからだ。だが悲しいかな彼は世界でも最貧国といわれるネパール人であった。日本から多額のODA援助を受けているネパール政府は、一言の抗議さえ出来ない立場なのである。

最高裁

 ゴビンダ弁護団は最高裁に上告した。しかし最高裁は事実関係を調査することはせず、口頭弁論の機会もない。ただ上告趣意書を検討して上告棄却か差し戻しかを決めるだけである。一般的にいえば、高裁の有罪判決が最高裁で覆るのは1%以下だといわれている。ということは、99%の確率で無期懲役刑が確定することになる。これは極めて厳しい状況と言わざるをえない。この裁判の特徴は、ゴビンダにとって余りにも不運が重なりすぎた。検察側は何一つ確たる証拠を示していない。すなわち証拠はないのだ。示されているのは状況証拠のみである。一審は、その状況証拠では被告を犯人と決めることは出来ないとして推定無罪としたのだが、ゴビンダが無実であるとはいっていない。二審は、何一つ新たな証拠が出されないまま、その状況証拠でも被告を犯人と確定できるとして逆転有罪判決になった。

 最高裁で上告却下となれば、再審請求の道が残されていないわけでではないが、過去の例からみてそれは絶望的といえるほど、かすかな可能性に過ぎない。

あれから5年〜桜の花の下で

 平成14年(2002年)3月23日、四谷駅前の教会で、「最高裁でゴビンダさんに無罪判決を! 市民集会」 なる催しが行われた。若い頃には随分この種の集会や催しに参加したものだか、もう30年近くも足が遠のいている。「無実のゴビンダさんを支える会」などの支援組織も誕生していることはホームページなどで知っていたが傍観してきた。私は積極的に運動に参加しようというよりも、こうした集まりにどの程度の人がどのような意識を持って集まってくるのかを見たいと思って参加した。会場の前は桜が満開で「麹町さくらまつり」が催され、家族ずれや若者でこったがえしていた。集会には70人ほどが集まっていた。この数が多いのか少ないのかは分からない。 ただ、女性が多いのには少し驚いた。佐野眞一氏が言うように、現在は女性のほうが、問題をより正面から見つめているのかも知れないなと感じた。

 主任弁護士の状況説明を聞きながら、外の満開の桜とあふれる花見客の楽しげな姿を見た後だけに、異国の監獄で涙しているゴビンダの境遇を想像すると、その光と闇のコントラストの強さに慄然とする思いがした。 

2002・3・24

トップページへ