冤罪に苦しめられた家族
おまえは絶対に有罪にしてやる

ペンネーム、ユウキさんからのお便りを紹介します。

外国人であった亡き父が身に覚えのない罪に問われ、闘った体験を知らせてくださいました。

 皆さんの活動に心から敬意を表したいと思います。

 皆さんのサイトを一通り読ませて頂きましたが、このような事件に付いて聞いても驚きはありません。正直「またか」という気持ちです。

 私は日本の警察も、検察も、そして裁判官も全く信用してはおりません。これは自らの悲しい経験に基付きます。

 私は日本人女性(母)と外国人男性(父)との間の混血児です。したがって、生まれた直後から差別を受けて育ちました。未熟な法律のため、日本国籍も与えられず、子供ながらに辛い思いもしました。でも一番辛い思いをしたのは日本で外国人であった父です。

 父は、全く無関係であったにもかかわらず麻薬所持の疑いをかけられちょうど私が小学校1年生の頃突然の家宅捜索を受けました。

ちょうど小学校へ行く時間、玄関の前に現われた3人の知らないオジサンの顔は今でも覚えています。

 「お父さんはお家にいる?」と聞かれ、寝ていた父を私が起こしに行ったのも覚えています。母の話によると、私が産まれる前から警察は父に狙いを付け尾行までつけていたそうです。

 父はすぐに尾行を見抜き「分かり易い尾行だね。」と言っては笑ったり尾行の警察官に向かって挨拶をしたりしていたそうです。とにかく、父は逮捕されました。車の中に麻薬が見付かったからだそうです。でも、車は父が米兵の友達に貸していたものでその数日前に返って来たばかりでした。母も取り調べに呼ばれましたが、まるで犯罪者扱いでひどく脅迫めいた尋問を受けたそうです。「証拠はある」「やっていたのは分かっている」「奥さんだって知っていたんだろう」と、頭っから決め付けられいくら無実を訴えても信じてもらえなかったそうです。

 その後、裁判となり、ある日父は裁判所の廊下で裁判官(だったと思います)とすれ違ったそうですが、その時に「おまえは絶対に有罪にしてやる」と言われたそうです。

 結果は有罪でした。

 もちろん控訴し最終的には無罪を勝ち取る事が出来ましたが私達家族が味わった精神的苦痛は決して癒されないでしょう。母は取り調べで味わった屈辱や恐怖が忘れられず、今でも一人で警察署にいく事が出来ません。

 私も、全ての人がそうではないと頭では分かっているのですがやっぱり家族を傷つけた警察組織が許せず、町で警察官を見ても疑いの目を向けてしまいます。

 弟などは、買ってもらった自転車に乗っていただけで「盗んだのではないか?」と警察官に声をかけられ自分の自転車である事を証明するのが大変だったと言って笑っていました。

 このように、日本は外国人には冷たい国と言うのが現実です。

 父は事件後仕事がうまく行かなくなり、職を転々とした挙げ句私が中学に入ってすぐに病気で亡くなりました。父の死を国の責任にするつもりはありませんが父の人生が狂い始めた発端を考えると無関係としては片付けられません。

 私は第2第3の父が出てほしくないと思っています。

 皆さんの活動が日本で働く外国人にとって荒れ狂う外海に立つ灯台のようであって欲しいです。どうか諦めないで下さい。頑張って下さい。

 ありがとうございました。

2001年10月31日