京大原子炉実験所の安全ゼミでの福島第一原発事故の現状報告

 

*中山茂さんによる報告

 18日の午後に大阪府熊取町の京大原子炉実験所事務棟会議室で「チェルノブイリ原発事故から25年」をテーマにした「第110回原子力安全問題ゼミ」があり、私も参加しました。参加者は、研究者、市民、報道関係者など100人ほどで、主催は、原子力安全研究グループ(世話人・小出裕章)です。

 同ゼミは当初、旧ソ連の原子力開発に伴う調査研究のまとめの報告会だったのですが、福島第一原発で大事故が起こったので急遽、福島原発事故、スリーマイル島原発2号炉事故(96万kW、アメリカ。1979年3月28日)、チェルノブイリ原発四号炉事故(100kW、旧ソ連ウクライナ共和国。1986年4月26日)の報告も冒頭に追加されました。

 小出裕章氏(京都大学原子炉実験所)が「福島原発事故の現状について」、海老沢徹氏(原子力安全研究グループ。元京大原子炉実験所教員)が「スリーマイル島原発2号事故の概要」、今中哲二氏(京都大学原子炉実験所)が「チェルノブイリ原発事故の概要」についてそれぞれ報告しました。

 三氏はいずれも福島第1原発の事故がすでにスリーマイルを越え、チェルノブイリに近づいていること、ほとんどデータ―が公表されていないこと、被曝を受けながら懸命な作業で放水が続けられているが、最悪の事態に進むのを少し遅らせることにしかならず根本的な解決になっていないと指摘し、それぞれの事故にも言及し、資料を示しながら報告しました。

 小出氏は、東京都台東区で3月15日に独自に採取した大気中にヨウ素131、132、133、セシウム134、136、137などの放射性核種が検出されたと報告し、燃料棒が破損した為に本来原子炉の中に閉じ込めなければならない放射性物質が東京まで飛散していると指摘した。又、チェルノブイリ事故直後の状況について、原発に隣接するプリチャチ市(人口4万5千人)の住民は事故翌日にバスに乗せられ2、3日分の手荷物だけしか持たさずに避難させられたが二度と戻れなかった。非常に広範囲に汚染され日本の法令に従えば放射線管理区域に指定される面積が15万`uにもおよび、日本の国土が37万`uだから本州の六割に匹敵する。しかし、ソ連邦崩壊で管理ができなくなり、ベラルーシ(旧白ロシア)、ウクライナ、ロシアにまたがる地域に今も565万人が居住しているとのべた。最後に「パニックが起こるからと情報を公表しないが、正しい情報が提供されたほうがパニックは起こらない」とのべた。

 海老沢氏は「12日の昼、一号機の炉心に水がなくなった時点でスリーマイルを越えたと思った」と前置きして、現時点ではもうとっくにスリーマイルをはるかに越えているとのべ、スリーマイル島原発事故について詳しく報告した。福島第一原発は沸騰水型でスリーマイルの加圧水型とは炉型が違い、炉心の熱流動は異なっているが、冷却水が減少し燃料棒が露出すると燃料棒の破損が進むなど類似性があるとの、事故当時の状況を「スリーマイル島事故調査報告書」(アメリカ政府。1989年)の資料を示しながら報告した。同報告書では、炉心の温度が事故後130分で827℃、145分後に2727℃に達し、その後のジルコニウム(燃料棒外皮の材質)と水との反応により水素が発生し、その後の圧力の上昇、炉心溶融の割合なども示し、燃料棒がボロボロになったこと、原子炉内の燃料棒の多くが破損したと指摘した。

 今中氏は、プリチャチ市の住民は事故翌日の午後に避難したが、30`圏の住民は5月3日から10日にかけて避難した。プリチャチ市も含めてウクライナ側に9九万1千人、白ロシア側に2万5千人の合計11万6千人が避難した。しかし、放射能の汚染は単純に距離では線引きできず、300kmはなれた地域でも高濃度で汚染したとこもある。汚染は風や気象条件でも違い、遠く離れた地域でも高濃度で汚染されたのは雨が降ったためだ。チェルノブイリの事故でほぼ北半球全体を汚染した。8千キロ離れた熊取の実験所でも事故1週間後に検出された。今も被害は続いている、まだ、チェルノブイリは終っていない、と報告を締めくくった。

 チェルノブイリの現地報告をウクライナ科学アカデミーの研究者がおこない、国際プロジェクトとして建設が準備されている「第2石棺」について幅257メートル、高さ105メートル、長さ150メートルの巨大なドーム型の構造物が計画されているが、建設費は大幅に増え千億円に達するがG8やEUの資金を受けて建設が準備されているとのべた。

 会場から「30`圏でも160や170マイクロシーベルトある。六時間ほどで年間基準を超えてしまう。30`圏の住民を早急に避難させるべきではないか」「制御棒が完全には挿入されていないのではないか」などの意見がでた。

 海老沢氏が質問に答える形で「外部電源、冷却系の確立しかない。原子炉に大量の水を入れなければ根本的な解決にはならない。再臨界の心配もしている。燃料棒は2800度、制御棒は1500度でとける。今後もいたちごっごになると思う」とのべた。

 今中氏が「現地ではたくさんの知り合いがサンプリングなどで懸命にデータ―を集めている。しかし、全然公表されていない。すべての情報を公開すべきだ。いったいどうなっているのか」と訴えた。

 最後に小出氏が、科学者として全力をあげて発信していきたいとのべた。 

以上です。