竹迫牧師の通信説教
『派遣された12人』
マルコによる福音書 第6章1−13による説教
1998年9月20日
浪岡伝道所礼拝にて

旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。(8−9)

イエスは、自分が育ったナザレの地方にやってきて、他の地域でしたのと同じように福音を語り始めた。ところが、そこに集まっていた人々は、「この人は大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。

姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」と語り合って、イエスの宣教を受け入れない。イエスはごくわずかの病人を癒したきり、そこを去って付近の村々を巡ることになる。イエスに「最後の希望」を賭けて癒しを与えられる人々を描いた5:21-43の場面との対比で、ナザレの人々の「不信仰」が鮮やかに示される。

人々は、その言葉や行いに比べて、イエスその人の姿に権威を認めることができなかったのであった。「大工」と訳された言葉で呼ばれるのは、どうやら鋤や鍬などの農機具を細工する職人であったらしく、またマルコ福音書に使われているギリシャ語が公用語であった地域では、モノを作り出す作業は卑しい行為であり奴隷階級の職業であった。また、ここではイエスのことを「マリアの息子」と呼んでいるが、通常は父親の名前をもってその出自を表すという当時の習慣から考えれば、「マリアの息子」という表現には『私生児』を連想させる意図があったのかもしれない。そうでなくても、イエスの兄弟たちが名指しで呼ばれる様子を見ると、人々はイエスの一族についてよく知っていたようである。

12人の弟子たちを宣教に派遣するのは、その直後のことである。イエスは、自分が宣教するのでは成果が得にくいと考えて弟子たちを派遣するのであろうか。

あるいは、癒すべき病人が多すぎて手に余るから、もっと手広く治療活動を行うために弟子たちを派遣したのであろうか。

弟子たちは「杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして『下着は二枚着てはならない』と命じ(8-9)」られて派遣された。旅行者をもてなすことが信仰的にも美徳とされたユダヤ社会(創世記18:1-8には、旅人の扮装をして現れた神と天使に、それが神であるとは知らず最大級のもてなしをもって迎えたアブラハムの描写がある)を背景として語られている言葉ではあるが、これでは杖と履物以外には旅行者として必要なものさえも携行できないことになる。弁当はともかく、それを入れる袋さえ携えてはならない。杖と履物という旅装束は、彼らが自由に旅行できる「市民」であること(つまり「奴隷」ではないこと)を示すが、実際は逗留する地域の人々の施しに依存して生きることを意味している。短期間の滞在ならともかく、それが長期にわたるとしたら、彼らは奴隷として働かせることも追放することもできないやっかいものとして扱われることになったかもしれない。

(浪岡伝道所にも長期に宿泊する来客が多い。多くは2〜3日から長くても1週間であるから、迎え入れることの負担よりは、むしろ出会いや交わりの喜びの方が多く与えられるのを感じる。だが、かつて実に3年にわたって浪岡伝道所に滞在したSくんという青年がいた。ある事情から数日滞在するはずだったのが、1ヶ月、1年と延びつづけ、結局この地方でのアルバイトをみつけて共同生活をすることになったのだった。現在はある企業に就職して独り立ちを果たしているが、Sくんの滞在が半年を越えるかと言う頃には、正直「どうしたものか」と考え込んだものだった。やっかいものとは思わなかったが、生活上のいろいろな制限がかぶさることは避けられなかったからである。しかし彼はその後、浪岡伝道所や八甲田伝道所の活動に積極的に協力してくれるようになり、浪岡を離れるときには「もっと長くいて欲しい」とまで考えるようになったものだった。)

イエスの弟子たちへの派遣命令は、まるで「敬われない預言者」となることを目指すかのようなのである。イエスは弟子たちを敬われるために派遣するのではなく、むしろ「敬われない預言者」となるべく、不信仰渦巻く領域へと送り出しているように思われるのである。つまり弟子たちは、無力・無能な者として、即ち「敬われない者」として、その領域にとどまらざるを得ない「弱さ」を身に帯びつつ送り出されたことになる。弟子たちは、逃げ出したり引きこもったりということが殆ど不可能な形で派遣された。イエスは「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい(10)」と、受け入れる側としても負担を痛感せざるを得ない形での滞在を命じている。まるで、進んで迷惑がられるような、まさに「敬われる」どころか邪魔にされることを求めるかのように、弟子たちを派遣するのである。

「敬われない預言者」としてその領域にとどまりつづけることが、イエスの派遣命令の中身だったのではないか。それは今日の我々に対しても向けられている命令であろう。貧乏暮らしをせよ、という命令のみにとるべきではない。「敬われない」者として、しかしそこにとどまり続けること。それも、「その領域に受け入れられなければ生きていけない存在」としてとどまること。弟子たちへの要求は、この一事である。

むしろそれは、「教えてやる」「癒してやる」という高みからの接近を排除し、むしろ「受け入れていただく」「養っていただく」という立場に立つことの要求である。

カネを持たないことが「敬われない」ことの必要条件であれば、もらい物だけで生活するという生き方を、弟子たちはするべきであったろう。能力のないことが「敬われない」ことの必要条件であれば、無能であることを弟子たちは要求されたのであろう。勤勉で折り目正しくないことが軽蔑の材料となるなら、イエスは弟子たちを「行儀悪くあれ」と送り出すことすらしたのではないだろうか。

それは、その領域の人々との比較により優位に立たされることへの否定である。

ただ神から与えられた賜物を「神から与えられたもの」として人々に届けることが「預言者」の使命であるが、そのために、この世の者としては誰よりも無価値であることが弟子たちに要求されたのである。「これだけのステイタスを持った人が言っているのだから」「これだけの能力を持った人が言っているのだから」という形で福音が告知され受容されることを、イエスは拒絶し禁止しているのである。弟子たちが、そこにとどまることを要求されつつ、飽くまでも「旅人」のままにされるのも、神から与えられた賜物が彼らの「この世」的ステイタスとして定着することを避けるためであろう。彼らは行く先々で「敬われない預言者」となることを要求されているのである。

イエス自身は、人々の信仰に応える形で癒しを行っていた(5:34「あなたの信仰があなたを救った」などに見る通り)。その出自や特徴などの「この世」的ステイタスでイエスを測ろうとした故郷の人々は、イエスによって「不信仰」と驚かれている。イエスの語る教えや力ある奇跡を(つまり福音の本質そのものを)目の当たりにしながら(彼らはイエスの言動に対して「このようなことをどこから得たのだろう(2)」と十分に驚いている)、飽くまでも自分たちの価値観に当てはめて整理しようとするばかりで、福音の本質を受け入れることをしないからである。それが十字架への出来事へとまっすぐに貫かれる、我々の「福音への拒絶」の姿である。

派遣された弟子たちが「多くの病人を癒した(13)」背景には、癒しの出来事が起こる以前に、人々に信仰が起こっていたことが示唆されている。弟子たちは「癒し」の働きを優先的に拡大するために派遣されたのでなく、飽くまでも信仰を起こさせる「宣教」の働きのために派遣されているのである。その信仰は、5章に登場する「出血の止まらない女性」や「会堂長のヤイロ」のように、正統的な立場からは信仰と呼ぶに値しないものであったかもしれない。「イエスならば、あるいは…」「イエスの弟子ならば、あるいは…」という「期待」に過ぎないものであったかもしれない。しかし、そのような「なりふり構わない」あり方をイエスは「信仰」と評価して受け入れた。

「無価値な者」としてそこにとどまっていた弟子たちが「癒しの業」を行ない得たのであれば、その領域の人々には、弟子たちの「この世」的ステイタスを超えた「神の業」に対する期待(繰り返すが、それは「信仰」である!)があったからである。弟子たちは、ここでわざわざ貧しさを身に帯びなくても、元来イエスのキリスト性に対して飽くまでも無理解な人々であり、イエスを十字架に追いやる勢力に対しても飽くまで無力なままであった。弟子の中の少なくとも1人は、無理解であり無力であることを遥かに飛び越えて、イエスを十字架に追いやる勢力に荷担しさえする。彼らは元々、充分に無力であり無能であったのである。

我々が「欠け」を持つ者としてこの世にあること、無力な者として生かされていること、不幸や苦悩を負わされつつ神に招かれていることの、本質的な理由がここに示されている。それはすなわち、この世のものではない「神の業」が、この世の我々を通してこの世の人々にもたらされるためである。それが、我々の力(深い信仰だとか潔い献身だとか)によって引き起こされるのではなく、ただ神が意識するから起こることなのだ、と正しく示されるためなのである。

願わくは、この言葉があなたに福音を届けるものとして用いられますように。


(追記)

パソコン通信などのメディアを用いて、遠隔地であることを前提に信仰生活を送る決意をして浪岡伝道所の信徒となられた横山百合亜さんが、お忙しいスケジュールを縫うようにして訪ねてきてくださいました。たまたま「観光文化立県宣言」中の青森県では、奥羽本線に蒸気機関車を走らせるというイベントが行われており、一緒にD51型機関車の勇姿を見に行ったりと、楽しいひとときを過ごしました。

さて、横山さんが持ってきてくださった『CHALLENGED』というビデオを観る事もできました。この"CHALLENGED(チャレンジド)"という言葉は、これまで「障害者」と呼ばれてきた人たちを指す「挑戦を受けている人」

という意味の造語です。パソコン操作などの技術指導を通じて、これまでは「保護」の名のもとに隔離される一方だった障害者たちに社会参加の道を開き続けているプロップ・ステーションという団体の活動を収録したルポルタージュでした。

以前から、パソコンや電子ネットワークの活用は福祉活動の必須アイテムになることを予想していましたが、プロップ・ステーションはもう20年も前からその課題に取り組み続けてきていたのを知りました。

こうしたあり方を追い続けていくとき、障害者や外出の難しい高齢者のみならず、一般の雇用形態そのものに変革が要求されているのだ、と考えさせられます。今日の「一方的」な社会のあり方と「一方的」な障害者・高齢者隔離とは、本当に表裏一体をなしているように思われるのです。

浪岡伝道所にも、障害と雇用の軋轢に悩まされている人があります。また高齢のため隠退生活を余儀なくされている人々もあります。このビデオに示されているあり方を、浪岡でも展開できないものだろうか、と考えさせられています。

*ビデオ『CHALLENGED』(完成版)は1本1万円の予定です。

連絡先は、
「Challengedを納税者にできる日本」を目指すNPO プロップ・ステーション
 代表 竹中ナミ
 TEL/FAX:06-681-0041
 メールアドレス:nami@prop.or.jp
 ホームページ:http://www.prop.or.jp

プロップ・ステーションについての詳しい情報
『プロップ・ステーションの挑戦−チャレンジドが社会を変える』
筑摩書房 1900円

なお横山さんのお話では、11月21−23日に六甲にて開催予定の「全国YMCA青年・女性・学生リーダーシップ・セミナー」に竹中ナミさんを講師としてお招きする計画だとのことです。

(自分のパソコン修行もまだまだのTAKE)