竹迫牧師の通信説教
『ともし火』
マルコによる福音書 第4章21-25による説教
1998年8月16日
浪岡伝道所礼拝にて

「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。」(21)

「種を蒔く人のたとえ」に続くイエスの教えである。「種を蒔く人のたとえ」では、「神による救い」の言葉が「いかに豊かに蒔かれているか」、また「いかに深い祈りが込められて蒔かれているか」について語られていたのを読んだ。

「種を蒔く人のたとえ」と連続しつつ補強するかのように、26からは「種の成長のたとえ」が、そして30からは「からし種のたとえ」が語られる。それらの間にはさまれた「ともし火」と「秤」をモチーフに語られる今日のたとえは、「種」をキーワードとする一連の教えの中央に置かれる説話としては、やや唐突な印象を受ける。「種」や「土」、「農夫」など、「農業」をイメージする言葉が直接には語られないからである。

この箇所は、「種」や「収穫」をモチーフとするイエスの一連の教えそのものより、むしろ「その教えをいかに聞くべきか」に主題を置いて書かれているようである。「ともし火のたとえ」は「聞く耳のある者は聞きなさい」で結ばれ、「秤(はかり)のたとえ」は「何を聞いているかに注意しなさい」で始められているからである。ここで語られる「秤」とは、イエスやマルコの当時において収穫物を計量するため日常的に用いられた生活道具であった。一見唐突に感じられる説話ではあるが、実は「三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ」(20)、あるいは「収穫のとき」(29)「成長してどんな野菜よりも大きくなり」(32)という農業的なイメージとは、しっかり連続しているのである。ユダヤの家庭では、神への一升ずつのささげものをする必要から、そして生活上の必要から、升を使って穀物を計った。そしてこの升は、粘土に油を混ぜた「ともし火」の炎を消す際にも使われたのである。

この「ともし火のたとえ」と「秤のたとえ」は、福音を宣教する教会のあるべき姿を指し示す教えとして読まれる。多くの場合は、「持っている人は更に与えられ、もっていない人は持っているものまでも取り上げられる」という緊張感をもってイエスの言葉に聴き、イエスの教えを「燭台の上に置く」かのように宣べ伝えなければならない、という意味に解釈される。マルコ福音書が書かれた当時の、ローマ帝国領内の地域住民から憎まれたユダヤ人から、更に民族の裏切り者として憎まれるという、「二重の憎しみ」の中で生きざるを得なかった初期キリスト者たちの状況に照らすとき、「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない」(22)というイエスの言葉に励まされ、「燭台の上に置く」がごときの宣教に果敢に挑もうとした彼らの気概を読むことはできる。

我々は昨日、53回目の敗戦記念日を覚えた。戦時下における我が教団の歩みは、まさしく「ともし火」を「升の下や寝台の下に置く」ごときものであったと言わなければならない。教団の名において国家神道に追従し、礼拝において「天皇の戦果」を祈願する教会が圧倒的大多数であった。ただ少数の教派のみが聖書信仰と天皇制は相容れないという信念を曲げなかったが、それさえも弾圧したのが当時の教団であった。敗戦後も、そうした行いについての反省的総括は遅々として進まず、現在に至ってようやく沖縄キリスト教団との「合同」の過程をめぐるとらえなおしの議論が実を結ぶか結ばないかという微妙なところに差し掛かった程度であり、それすらも根強い抵抗にあって常に瓦解の危機に瀕している。

そのような姿を露呈している日本基督教団が、敗戦記念日に平和に関して発言することの空しさを感じざるを得ない。我々の教団は、初期キリスト者たちが読んだようには、今日の聖書個所を読んでこなかったのであり、今日もまた読もうとしていないのである(念のために断っておけば、当時の日本基督教団にはキリスト教をなのる諸教派のすべてが統合されたのであり、敗戦後教団を離脱した諸教派・諸教団のほとんどについても、この批判は成立の余地があると言うべきである)。まして、クリスチャンであるということが「鼻持ちならぬほどのクソマジメ」という、多少軽蔑的ではあっても好意的なステイタスを意味するような日本の今日的状況において、「家族や親族の無理解や反対」程度の抵抗を「信仰の戦い」と形容するのは無神経過ぎる誇張と言わなければならない。初期キリスト者やイエスの直弟子たち、そしてイエス自身は、そのような生ぬるい状況の中で宣教したのではないからである。

(断るまでもないが、ここで、まるで見てきたかのように語っているわたし自身も、この批判の例外ではない。わたしたちの中で、イエスや直弟子や初期キリスト者ほどに実存を賭けた信仰の戦いを潜り抜けてきたものは殆どないと断言できるし、断言することが必要である。信仰以外の領域でなら、何のバックアップもなしに実存の危機にさらされながら戦っている人々は幾らでも存在し、教会やキリスト者も微力ながらその戦いに参与している例はある。願わくはそのような教会やキリスト者へと育って行きたいものである。)

敗戦の歴史を覚えつつ今日の箇所に向き合うとき、我々は非戦の決意を新たにすると同時に、それ以上に我々自身の「日常性」が問われていることを、逆に読みたいと思うのである。「もし今度戦争に突入することがあれば」という(「仮定に基づく」という意味での)フィクションに立脚した未来の信仰形成のためではなく、とりたてて戦争や平和の問題を意識せずに過ごすことが圧倒的に多いはずの、我々の日常生活の風景における信仰のあり方を問いたいと思うのである。

今日の聖書箇所では、イエスの「教え」を聞く、ということが、むしろ人々の(また我々の)日常生活と強く結びついているという主張が反映されている。イエスの教えが、たとえば週1回の特別なイベントとして、あるいは年に数回の特別な講演として、ではなく、あたかも炊飯のために米を計量するように、またあたかも暗くなってから明かりをつける行為のように、「毎日の生活において繰り返される当たり前の領域に関わること」として聴かれるべき事が訴えられているのである。

無論、苦悩の只中にある者にこそ、福音は大きな力を発揮する。戦いの最中にある者たちには大きな勇気をもたらし、嘆きの中に沈む者にこそ希望の回復が、福音によって与えられる。だがそのことは、福音が平穏無事の日常を生きる者たちに関わりもない事柄である、という証拠にはならないのである。福音の真価を悟るために、わざわざ苦悩を演出したり戦いに飛び込んだり嘆きを喚起したりする必要は、本来まったくない。8月にだけ戦争の記憶を喚起し、8月15日だけに黙祷してみせることは、(震災のときだけボランティアをしてみたりオウムのときだけカルト集団を恐れたり批判したりするのと同様に)平穏無事の日常を罪悪視して戦争遂行のために燃え上がった半世紀前の日本人の姿と、その精神構造において何も変わる点がない。

我々は何のために穀物を計量するのであろうか。もちろん、いつ起こるかわからない災害に備えての非常食を備蓄するという目的よりは、日々の空腹を満たすためという意味合いのほうがずっと大きいはずである。我々は何のために明かりをつけるだろうか。闇の中で迷っているかもしれない見知らぬ旅人を案内するためであるよりは、むしろ暗い家屋の中で共に起き居する家族の姿を照らすためである方が多いはずである。

神の恵みが我々を覆っていること。神の国という大きな実りが近づいていること。これらの教えは、我々から遠く離れた特別な領域について説き明かすものではない。我々の、何でもないような、とりたてて申し述べる価値もないような、当たり前過ぎてくだらないとさえ思われるような、そういう日常の領域においてこそ聴かれるべき事柄なのである。神の救いが絶対的なものであること、神の支配がすぐそこまで接近していること。我々の日常生活が、そうした文脈に位置付けられていることの再確認として語られるべきことなのである。そうして聴かれ語られてきた福音が、予期せぬ事態に際して大きな力を発揮し、限界的な状況において神の恵みの偉大さを再発見する機会をもたらすのである。

「種を蒔く人のたとえ」において、「良い土地になれ!」との祈りを携えて「救いの言葉」を蒔く神の姿が示された。そこでいう「良い土地」とは無論、神の言葉を受け入れて良き実りを生み出す「良く耕された土地」のことであるが、より具体的には、我らの日常性が神の恵みによって支えられていることの自覚を深める態度を指すのである。

茶碗に盛られた一杯のご飯が、また親しい者たちとの交わりを照らし出すともし火が、神の恵みに基づいて与えられていることを信じ感謝を奉げることが、神の国に希望を置く者の生活である。そして、それら「正義の神からの賜物」に、神の恵みを知らずあたかも自分自身の力によってそれらを手に入れられると錯覚する「人間の不正義」が関与している事態に対して憤ることが、信仰の戦いの始まりとなるのである。それが平和への祈りの第1歩として、世を照らす「ともし火」を燭台に掲げる行為とされるのである。

願わくは、この言葉があなたに福音を届けるものとして用いられますように。


(追記)

通信説教御受信の皆さま。TAKEでございます。先週は突然飛び込んできた結婚式司式の以来に応えたため、浪岡伝道所の礼拝は代役を立てたので『通信説教』もお休みとなりました。予告もなしに申し訳ありませんでした。

さて、20年近く前のことになりますが、ある雑誌が「最高の贅沢とは?」と題する小話を募集しました。優秀作に選ばれたのは「天皇の田植え」でありました。

中学生だった当時のわたしは、ただそれを笑って読み流したきり忘れていたのでありましたが、去る8月4日〜6日にかけて山形県の戸沢村・最上町にて開催された「東北地区学生キリスト者連盟(略称NSCF)」の夏の集会に参加して、そのことを鮮やかに思い出したのでありました。

夏の集会のメインプログラムは、何軒かの農家に泊まりこんで農作業を手伝うというものでありました。わたしも山内清治さん方に滞在させていただき、田んぼのあぜ道の雑草集めを手伝いました。半日にも及ばない働きでしたが、「こんなにも!」と驚くほどの疲労に苛まれ、手足がしびれるやら吐き気がこみ上げるやら、普段の不摂生ぶりを暴露する結果となったのでした。それでいて食事も酒も人並み以上に摂るのですから、ただ遊びにきた人よりも始末に負えない滞在者でありました。あはは(泣)。

「天皇の田植え」に勝るとも劣らない特権階級者ぶりを、今更ながらに自覚させられたのです。なんと感謝もなく痛みもなく、ご飯を頂いていたことでしょうか!

なんと恐れもなく憤りもなしに、農業について語ってきたことでしょうか! 

実相寺昭雄監督の映画作品『悪徳の栄え』(マルキ=ド=サド原作)に、1個の豆を乗せた大きな皿を前にかしこまって座る貴族を見て奴隷たちが笑う場面がありました。「ご主人様ともあろうお方が、なぜそのような食事を?」と訪ねる奴隷たちに、主人はこう答えるのです。

「この選りすぐった豆は、特上のオリーブオイルと各種香辛料に漬け込んだ後、ひよこの体に入れ、そのひよこを若鳥の体に入れ、その若鳥を七面鳥の体に入れ、その七面鳥を豚の体に入れ、そうやって仕上げた豚を最上級のシェフの監督下で10数時間丁寧にローストしたものだ。言わば、大自然のエキスがすべて注入されている豆なのだよ」

そしてこの貴族は、息を飲む奴隷たちの目前で、ナイフとフォークを使って悠然とこの豆を食するのです。

わたしも世の基準からすれば相当に貧しい生活をしているつもりでしたが、それも「アジアの中の日本」という枠組みの中で、その上「日本の中の牧師」としての貧しさに過ぎないものでありました。

これぞ「天皇制の田植え」であります。

(「五十歩百歩」の意味を知ったTAKE)