竹迫牧師の通信説教
『罪人を招くため』
マルコによる福音書 第2章13−17 による説教
1998年5月24日
浪岡伝道所礼拝にて

多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。(15)

イエスがガリラヤ湖に沿って移動しながら人々に「神の国(支配)の接近」を教え続けて行く途上で、徴税人であった「アルファイの子レビ」と出会い、弟子にする場面である。徴税人とは、他の町との境界近くに置かれた関税所で働く人の事であり、他の町から持ち込まれる物品に課せられる税金の徴収が主な仕事であった。取り立てた税金はローマ帝国に納められるが、税収が一定の基準に達しない時には自分の財産から埋め合わせをしなければならない代わりに、基準を超える税収があった時は差額を自分のものにして良いことにされていた。その結果、自分の収入を増やすために不当な税率を課す徴税人が続出し、人々からは嫌われる事になった。一山当てれば、大金持ちになれる可能性もある(事実、レビの家は大勢の人が食事を共にできるほどの大邸宅であった)が、他方、成功すればするほど人には嫌われ憎まれるという立場に立たざるを得ない職業である。特に、ローマを敵と看做すユダヤ人たちは、徴税人の姿は「敵の手先となって私腹を肥やす民族の裏切り者」と映り、憎しみの対象とされたのであった。そこで徴税人は、癒されない病の苦しみを抱えている人々と同じ「罪人」である、と看做されたのであった(当時は、病気も神に対する背きの結果だと考えられたのである)。

ルカ福音書に収められた「徴税人ザアカイ」を巡るエピソードは、「人々に嫌われ憎まれる辛さを克服するために悪漢として居直ったザアカイの、屈折した心理を洞察してその傷を癒したイエス」という視点から読まれる事が多い。「わたしに従いなさい」と声をかけられたレビが、すぐに立ち上がってイエスの弟子となった、という極めて簡単な今回の報告の中にも、本当はザアカイのエピソードのように劇的な「癒しと悔い改め」のメッセージが込められているのかもしれない。マルコ福音書が書かれた時代のキリスト者たちは、悲惨をきわめたユダヤ独立戦争を通じて、ローマの地域住民から「戦争の張本人たるユダヤ人」として憎まれ、またそのユダヤ人たちからも「戦争に協力しなかった裏切り者のイエス一派」として憎まれた。この「二重の憎しみ」についてはこれまでも何度か触れてきたが、その中で傷つき悩むキリスト者たちに向けてイエスの物語を著わしたマルコ福音書の作者が、「徴税人レビがイエスによって選ばれた」というこのエピソードに慰めと励ましへの願いを込めなかったはずはない。

マルコによる福音書が書かれた当時の教会はユダヤ教の「会堂」において宣教活動をすることもあったが、多くは一定の地域に定住する家族共同体を基盤に結成された「家の教会」における活動が主流であった。個人の住宅が解放され、同信の仲間が集い、集会を持ったものと考えられる。今日における「家庭集会」が最も近いものと感じられる(日本における現在のほとんどの教会は、実質的には同様の「家の教会」と呼ぶべき性格を有しているのではないかと考えている。もちろん財産や職制は教会共同体として整備されているが、実態は牧師を中心とした「家庭集会」の域にとどまっている事が多いのではないか。それが良いか悪いかの判断はできないしするべきではない。しかし、将来の教会形成を考える時、現在の教会の限界と可能性を論じる上で、見逃してはならない実態であることは間違いない)。レビも、そのような「家の教会」としての奉仕に招かれたのであった。マルコ福音書の作者は、表面的には「二重の憎しみ」に四面楚歌の思いを味わいつつ、擬似家族共同体として結束する事で自らを慰めていた当時の「家の教会」の姿が、他ならぬイエスによって祝福されているあり方だということを、ここに示そうとしているのである。イエスは、罪や汚れの払拭を救いの条件と主張する律法学者たちに「罪人と共に食事をしている」と批判されながらも、レビの「家の教会」に集う人々と共に食卓につくことを楽しんだ。マルコ福音書当時の「家の教会」にも、「罪人」として二重にさばかれる人々のみならず、当時の正統ユダヤ教からは「汚れた者」と看做される他なかった外国人の仲間たちが集まりつつあった。「そこにイエスが共にいる!」との信仰的現実を、マルコ福音書の作者は指摘するのである。

「キリストは、『罪人』と呼ばれる我らをこそ、選んで訪ねて下さる!」

レビは、同じくガリラヤ湖畔でイエスの弟子となったペトロとアンデレ、そしてヤコブとヨハネの2組の兄弟のように、職業や家族共同体の全てを棄てて従ったのではなかった。あるいは不正な手段をも用いて作り上げた巨大な邸宅を棄てることはしなかった。なおもそこに大勢の人々を招いて食事を提供する日々を過ごす点に注目するなら、相変わらず不正な金儲けを続けていた可能性すらある。

隣人たちから蔑みの目で見られるレビにしてみれば、自分を守る手段はその経済力のみである。ローマとうまく折り合いをつけ、小賢しく自分の生活領域を確保して、しかも自分を排斥する人々から利益を上乗せした税金を取り立てる事で密かな復讐をすら楽しんでいたかも知れない。彼はまったく周囲の人々の理解する「罪人」であるまま、イエスの弟子となったのである。その場合、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」という律法学者の批判は、全く正当なものであると言える。しかし、「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」というイエスの教えが、律法学者たちに直接語られるのでなく、律法学者の批判を受けた「弟子たち」に語られている点に注目する時、イエスがレビの内面のどこに目を向けていたかが浮かび上がる。

レビは、イエスによって招かれる大勢の「罪人」たちとの交わりの場を確保する事で、「罪人」として白眼視される疎外からの解放を味わったのである。レビのあり方は、不正な富を蓄積しているという点で、確かに「罪」であった。彼が一層不正な働きに精を出さなければならなかった状況は、彼一人に帰すべき責任とは言えないかも知れないが、イエスはその事でレビを赦免したり弁護したりはしなかった(だから、律法学者たちに向かって公に発言することはしなかった)。

レビが一層実質的に「罪人」化して行かざるを得ない状況を凝視し、彼がこの世を生きていく上で必死に気力を振り絞っている、その生命の「祈り」を顧みたのである。彼は、イエスによって招かれている人々の「避難所」として自分の財産を提供するという奉仕に一歩を歩み出している。言わば、「罪人」である自分自身を、そのままイエスに献げているのである。

これは全く想像の域を出ない見解だが、このようなレビのありようからすれば、レビを取り巻く状況に何らかの変化が生じたら、彼はその生活を一切放棄する事すらやってのけたのではないだろうか。彼が違法な収益を得ていたとしても、それは既に自分の利益のためだけでなく、同様に「罪人」として排斥され憎まれている人々との連帯のためであったからである。「実に大勢の」集団であったその人々との連帯に必要ならば、彼は何の躊躇もなく一切を捨て去る事ができたのではないか。それは既に「一切を棄ててイエスに従った」と記されるペトロ・アンデレ・ヤコブ・ヨハネたちと同じ信仰を得ている、と言い得るのである。

「罪人」という言葉が文字どおり「犯罪者」であるとしても、イエスはその「魂の祈り」に耳を傾ける。そして、「罪人」のままで我らを招いて下さり、しかも「罪人」の我らを祝福して用いる事すらある。イエス自身も、不正行為や犯罪行為を推奨しているのではないことは明らかである。殊に、権力者による不正行為を厳しく糾弾したイエスの姿勢は、4つの福音書が異口同音に強調している点でもある。だが同時に、イエスはレビのあり方を祝福し「不正にまみれた富で友達を作りなさい!」(ルカ16:9)とも命じるのである。

全ての「罪」が、この方によって赦されている事の恵みを感謝したい。そして、「魂の祈り」を互いに献げ合う共同体としての「教会」が作り上げられる事を願う。

願わくは、この言葉があなたに福音を届けるものとして用いられますように。


(追記)

5月19日〜20日にかけて、浪岡伝道所が属する日本基督教団 奥羽教区の総会が開かれました。その中で、青森松原教会の出張伝道所であった「戸山集会所」が「戸山伝道所」として独立することを承認する決議がなされました。

奥羽教区における教会が60になったのでした。しかし同時に、その10分の1が専従牧師のない兼務・代務体制に置かれているとの報告がなされました(これは奥羽教区始まって以来の「高率」だそうです)。また、教区総会議長報告および教団総会議長あいさつの中に、教団全体の信徒数の減少・高齢化を憂慮する表現があり、特に若い信徒が少なくなっている点が指摘されました。今後見込まれる慢性的な牧師不足状態もあって、不安を覚える人々が多くあったように思います。

浪岡伝道所や八甲田伝道所の立場から言わせていただけるなら「何を今さら!」であります。

我々は、ずっとその不安と闘ってきた。外部団体からの援助金や他教会との兼務体制の中、「いつこの教会がなくなってしまうか」という無力感と闘ってきた。

若い信徒どころか新しい求道者さえ現われない状況で、この時代に語られる神の言葉を聴き続けてきたのです。その不安や無力感を、教区や教団はこれから感じ始めようとしている。つまり、今まで浪岡伝道所を始めとする地方小教会の不安や痛みは、全然教区や教団のものとして受け止められて来なかったのだ、という実態を露呈したに過ぎないのであります。

教区総会の後、仙台にある東北大学YMCA「渓水寮」に招かれて聖書研究会の講師をいたしました。それに先だって、わたしを統一協会から救出し、後には洗礼を授けて下さった酒井 薫牧師を訪ねました。教区・教会の形成について語る中で、ある教会での酒井牧師自身の体験として「教会に来れなくなってしまった青年」のお話を伺いました。酒井牧師がその青年を訪問して話を聞くと、複数の信徒の実名を挙げて、『こういう仕打ちを受けて教会に行けなくなってしまった』と訥々と語り出したのだそうです。何とかそれらの信徒との間に和解を実現したいと考え、その青年の言い分を彼らに伝えた所、その信徒たちは「それならそうと言ってくれればいいのに」と異口同音に語ったのだそうです。それを聞いた酒井牧師は「『言ってくれればいいのに』ではなく、『聴かせて下さい』だろう!」と思わず憤りを感じた、と話しておられました。

我々ひとりひとりの日常生活においても反省を促される話ですが、「教会における若い信徒の減少」を問題視する意見に向き合う時、教会が自覚的に思い起こさなければならないエピソードでもある、と感じました。

教団・教区がこれから直面する不安は、浪岡伝道所や八甲田伝道所において既に経験されてきた事です。昨日は、八甲田伝道所に招聘されたわたしの後任である江戸 清牧師の就任式が行われました。地区や教区の援助のほか、会堂建築募金・「江戸牧師を支える会」献金によって二重三重に支えられての招聘です。かつて、ひとりの牧師が仕えてきた浪岡・八甲田・黒石に、今や各々ひとりづつの牧師が置かれています。この事は、これから不安に向き合う日本の教会において希望を指し示す事柄となるでしょう。それを誇りとするのでなく、むしろ奉仕の機会として用いられる事を祈りたいと思います。神が聴き入れて下さるのは我らの「祈り」であって「要求」ではありません。いよいよ「祈り」を篤くする歩みを目指したい、と願っています。

(近ごろまたケンカ腰のTAKE)