竹迫牧師の通信説教
『イエスを捜す人々』
ヨハネによる福音書 第20章1-10 による説教
1998年1月4日
浪岡伝道所礼拝にて

 「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこでペトロともう一人の弟子は、外へ出て墓へ行った。(2-3)

イエス復活の朝である! マグダラのマリアが、イエスの体を納めた墓へ行ったところ、既に墓穴の入り口の石が取りのけられていた。マリアはとても驚いたに違いない。

ただちにシモン・ペトロと、「イエスが愛していた弟子」と呼ばれる人物の所に走っていった。「イエスが愛していた弟子」とは、最後の晩餐の席上においてイエスの胸元に寄り掛かって「イエスを裏切るのは誰ですか」と質問し、イエスが逮捕された時にはペトロを手引きして大祭司の館に入り込み、また十字架の場面ではイエスの母を自分の母として引き取った人物である。ペトロとこの弟子とは、何かと行動を共にすることが多かったのかもしれない。別々の場所に隠れていたこの2人の所へ、マリアは大急ぎで「墓が空である」と告げに行った。知らせを聞いた2人も直ちに墓へと走り、マリアの言うことが本当であるのを確認した。

「イエス復活の朝」とは言ったが、実はここには「イエスは必ず死者の中から復活する」と(旧約)聖書に書かれていることが示されているだけで、『イエスが復活した』とは一言も語られてはいない。ただ、イエスの遺体を納めたはずの墓が空だった、という事実だけが示されているのである。

マグダラのマリアは、墓の入り口の石が取りのけられているのを見て、イエスの遺体がないことを直感し「誰かが(遺体を)取り去った」と考えた。イエスが愛していた弟子は、いち早く墓に辿り着いたが中には入らなかった。ペトロは遅れてきたが1番先に墓の中に入り、遺体がないことをその目で確認した。ペトロに続いて中に入った「イエスが愛していた弟子」ただ一人が、遺体がないことを確認して「(復活を)信じた」と書かれている。

マグダラのマリアもシモン・ペトロも、イエスの遺体がないことにただ衝撃を受けるばかりであった。しかしこの名前の明らかにされない3人目の弟子だけは、イエスの遺体がない、という事実を前にして復活を信じたのである。

この3番目の弟子は、「イエスがいない」という事態に際し、そこに復活を見る信仰を持ったのである。我々もまた、イエス不在の時代を見ている。救い主がいない! 我らの前から取り去られた! 「神も仏もないものか」と衝撃を受けるのか、イエスがいないという事態そのものに、目に見えない「復活」の事実を信じるか、という信仰の別れ道がここにある。

3番目の弟子が、信仰的に突出していたとは言え、実はこの3人は後に全員復活のイエスに出会うことになる。だから、3番目の弟子だけが取り立てて偉いということではない。彼にしても、墓の石が取り去られているという事実に衝撃を受けたマリアの知らせがなければ、イエスは死んだままと思っていたのである。また、墓に辿り着いたものの、(たぶん恐れのために)墓の中には入れなかった。先に墓に飛び込んだペトロがいたから、自分も墓に入ることができたのである。3番目の弟子は、この3人の中では一番弱い人物だったとも言える。マリアほどのイエスの遺体に対する執着もなく、事実を見極めようというペトロほどの勇気もなかった。ただ、愛する人の遺体が取り去られて誰かにそれを語らずにはいられないマリアの衝撃と、イエスの死を回避できなかったという無力さを見つめ続けようとしたペトロの覚悟に手を引かれて、復活のイエスを信じるに至ったのである。

「折を得ても得なくても、みことばを宣べ伝える」というのが、聖餐式においても語られる教会のスローガンではある。しかし神は、その力が出せない我らの弱さをも用いて、信仰を伝えることに用いてくださるのである。イエスの不在にうろたえるのが実態の我らではある。しかし復活の力は、そのような我らの姿さえ用いて、この3番目の弟子のような人々めざして福音を伝えてくださるのである。

ただ、その神の力に信頼する我らでありたい。

願わくは、この言葉があなたに福音を届けるものとして用いられますように。


(追記)不調だったオーディオが突然回復したので、久々にマイク=オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』のCDを聴きながらこれを書いています。わたしが以前の大学を中退して、レコード屋兼写真屋という、考えてみれば突拍子もない取り合わせの店でバイトしていた時に買い求めたものです。『エクソシスト』というオカルト映画の主題曲にも使われた音楽ですが、何よりひとりの人物が様々な楽器を演奏して多重録音により合奏に仕立てるという手法に感心したのでありました。

改めて聴き直しつつふとジャケットを見ると、なんと3200円もしたのであります。

店員価格で1割引にしてもらったはずではありますが、それにしても当時はカネがあったのだなあと驚きます。もっとも、カネがあれば平和な生活かといえば、あの頃のわたしは統一協会を脱会したてで精神的な迷宮をさまよっていたのですから、今の生活の方が断然良いには決まっているのですが。マイク=オールドフィールドは神経症だったそうですから、そういうアーチストの作品を好んで聴いていたのは、やはり自分の内側に崩れかかった部分があったからでしょうか。

当時わたしは写真屋の方で証明写真撮影を担当していたのですが、中退したのが2年から3年にシフトする学生証書き換えの時期だったので、続々と同級生たちが写真を撮りに来るのです。カメラのファインダー越しに同級生たちの顔を覗きつつ「おれって何やってんだろ」とシュールな気分を味わったものでした。級友たちの学生証更新のために写真を撮影するわたしは、学生証を更新しない。ついこの間まで同じ教室で講義を受けていた同級生と、ファインダーのこちらに立つ自分は、既に違う世界の住人となっている。向こうは親しげに声をかけてくるのに、自分は素直に応じられない。自分で決めた道だし、今さらその大学への未練もなかったけれど、「ああ、自分で物事を決めるというのは、こういう事なのか」と、何となく納得したりしたものでした。

いま再びこのCDを聴いてみて、あの時とも違った道を歩んでいる自分を感じています。CDそのものの音質には変化がないようですから、やはり聴く側のわたしの問題なのでしょう。物理的には繋がっているはずの空間や歴史に、心理的な断絶を見ているということでしょうか。

何年かあとに、やっぱり同じような事を考えながらこの曲を聴いているのでしょうか。

そう考えると、「おれってあまり変わんないな」という気もしてくるのです。

(できれば「あの頃は貧乏だった」と言えるようになりたいTAKE)