竹迫牧師の通信説教
『見よ、この男だ』
ヨハネによる福音書 第19章15−16a による説教
1997年11月30日
浪岡伝道所礼拝にて

ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。(15-16)

イエスを十字架につけた人物として、ポンテオ=ピラトの名は『使徒信条』にも残されている。前回読んだ通り、ピラト自身はイエスの無罪性を看取しており、その釈放に務めた人物であった。当時のユダヤは独立国でなくローマ帝国の植民地であり、水面下ではローマの支配を跳ね返そうとするユダヤの独立志向と、そのユダヤを力で抑え込もうとするローマの支配とがぶつかりあうという緊張関係の中に、イエス裁判が投げ込まれたのであった。ローマ総督であったピラトの使命は、イエス個人の人権を守る事ではなく、そうした緊張関係が破綻しないこと・すなわちユダヤがローマに反逆しないように物事を丸く収める事にこそあったと言える。そのためにも、ユダヤの群集の言いなりになってイエスを処刑することは避けなければならず、ピラトは飽くまでも公平・中立を崩す事ができない立場に立たされたのであった。

そこでピラトは、宗教的伝統に従って官邸に入ろうとしない群集と、捕らえられたイエスとの間を行き来しつつ、両者の言い分を比較検討して、限りなく客観的な立場から事態を裁こうと務めたのである。イエスの応答や答弁は必ずしもピラトを納得させはしなかったが、しかしピラトの見る限りにおいてイエスには何らの罪も認められなかったのであった。そこでピラトは何とかイエス釈放を試みる。単にイエスを釈放するだけでは暴動が起こりかねない勢いがあったので、政治的な駆け引きに持ち込んだのである。ユダヤの伝統的な祭儀である「過ぎ越し祭」の際の慣例として毎年1名の囚人を釈放する決まりがあったから、今回はイエスを釈放しようと提案するが、群集はイエスの代わりにバラバを釈放する事を要求した。「バラバは強盗であった」と説明されているが、他の福音書の記述によればこのバラバは反ローマを謳うテロリストであった。バラバ釈放を求めるということは、ユダヤがローマに対して宣戦布告するのと同じ意味を持っているのであり、まさかそのような無謀な選択はしないであろうと読んだピラトは、イエスを釈放するための駆け引きの材料としてバラバの件を持ち出したのである。しかし結果的には、かえって暴動が起こりかねないほど事態を緊張させてしまったのだった。

そこでピラトは、今度はイエスを鞭で打たせることにした。ルカ福音書の記述によれば、鞭打ちは十字架の代案であり、イエスに罪を認められなかったピラトが釈放を持ち掛けるために提案したものだった。ヨハネ福音書においては必ずしもそのように明記はされていないが、慣例にしたがってイエスに特赦を与えようとしたり再三に渡ってイエス釈放をユダヤ人たちに説得したり、というピラトの姿を見るならば、その一連の行動に挟まれた鞭打ちは、やはり釈放のための儀式として位置付けられていると言うべきだろう。

複数の皮ひもの先端に金属の輪をはめ込んだ鞭で、囚人はからだを固定させられ背骨を曲げさせられた上で打たれたという。鞭打ちの途中で死んでしまう囚人も少なくなかったと言われる。イエスはその上に、兵士達によって茨の冠を被せられ紫の服を着せられた上に、散々愚弄される事になる。冠も紫の服も、王が身にまとう服装のパロディである。ピラトの思惑としては、王のパロディでしかないイエス処刑のアホらしさを強調する事でユダヤ人たちの憐れみを引き起こし、釈放に漕ぎ着けようと考えたのであった。そして「みろ、この哀れな男を!」と群集の前に引き出したところ、群集はますますいきり立ってイエス処刑を叫んだ。ピラトのもくろみはまたも外れて、実際にはイエスを二重三重に痛めつける結果を引き起こしたのであった。

そこで今度は、ピラトはイエスの説得に努めるのである。「私はお前を殺す事も生かす事も出来る。私の言うことに従え」とイエスに迫る。しかしイエスは、飽くまでも自分の信念を曲げようとはしなかった。困り果てたピラトは、再び群集の方を説得しようと試みるが、「自分が王だ、という者を赦すのは、ローマの皇帝に背く事だ」「我々ユダヤ人にはローマ皇帝以外に王はない」と言い切る群集に、ついにイエスを引き渡す。ピラトにしてみれば、ローマとユダヤが武力で衝突する事態を避けさえすれば、その務めを果たした事になるから、ローマ皇帝を王だと認める群集を評価せざるを得ないのであった。

自称「中立」の空しさを見る。自分の損得だけを考える態度の隠れ蓑として「中立・公平」が用いられる現実は、我々も時折遭遇するところである。たとえば「いじめ」の問題に、自称「中立」こそが悪を放置している実例を見出す事がある。カルト問題にしても、宗教に対する中立を守ることを建前に振りかざす警察権力(および行政)が事態を放置し、坂本弁護士事件の解決を遅らせたばかりか一連のサリン事件をふせぐことができなかったという経緯がある。

イエスの扱いに現われる「神を拒絶する人の罪」の最大のものは、この通り「公平」な立場にとどまろうとする態度そのものであるとは言えないだろうか。裏返して言えば、イエスの出来事は損得を越えた判断を求めて、我ら個人に迫って来るということである。

クリスマスの時を、「神の前にどういう立場をとるか」を問う神からのメッセージに聴く期間としたい。殊に「中立・公平」が覆い隠している我らの罪を見つめる期間としたい。神は自らその中立性を捨て、我ら人の世界に現れたのである。そうした存在であるキリストは、公平に人を愛されたのではなかった。傷つき悩む人々を偏って愛して下さった方であった。そのような偏った愛であるからこそ、我らに救いが届けられたのである。中立も公平もかなぐりすてて「見よ、この男だ!」と語る勇気が、我らに求められている。

願わくは、この言葉があなたに福音を届けるものとして用いられますように。


(追記)まるで熱病のように、寝ても醒めても頭に取りついているのが『パソコン』であります。単に仕事に使えるとか便利だとかいう次元を越えて、「乱雑な仕事場が世界と繋がっている」という事実の確認によってもたらされる興奮の虜になっているのです。この興奮は、たとえば運転免許を取得して初めてハンドルを握ったあの時の「おれの前には道が繋がっている」という感覚にも似ています。ある種の肥大化した万能感と言えなくもありませんが、わたしはむしろ自分の内側に眠っていた能力が引き出される成長の予感ではないかと考えています。

高校生の頃に出会ったエアガンの楽しみも、今思えばそういうものでした。わたしは小学生の頃の負傷がもとで左目がほとんど見えないのですが、遠近感覚を要求される球技や格闘技中心の学校体育になじめず、それが運動技能における劣等感を造成し、「自分は男のくせに不完全なのだ」という落ち込みを随分と加速させたものでした。

しかしミリタリーファンの弟が入手したエアピストルに触れて、それまで無縁の世界と確信していたスポーツの楽しみに触れる事ができたのでした。射的には対象物との距離を意識することがほとんど必要なく、しかも高い集中力が要求されます。そして擬似的な戦争体験として問題視されがちのサバイバルゲームなどは、それまでイヤなものでしかなかった格闘技的楽しさだとか、ウザッたいものにしか感じられなかったチームプレーの大切さなどを教えてくれたのでした。

当時のわたしは「テッポーがあるからセンソーが起こるのだッ」式の権威主義的倫理道徳少年でありましたが、指先の微妙な感覚をコントロールする事で標的を打ち倒すという「射的」と、そのための道具にすぎない「銃」というものが、戦争や犯罪とは無関係に存在し得るのだという事実の発見に、爆発的な興奮を感じたのであります。

以来10数年、わたしの頭はエアガンに支配されて来たのでありました。

今はパソコンであります。別に銃を捨てたわけではなくて、これを書いている傍らにも改造途中のMGC製ベレッタM93Rを2丁も置いていたりするのですが、エアガンのカスタマイズに感じた「自分だけの世界を構築する」という興奮に「それが世界と繋がっている」という喜びがプラスされて、特に後者が欠けがちなエアガン以上の楽しさをパソコンが提供してくれるのであります。

我が家にはデスクトップ型とノート型の2台のパソコンがあります。デスクトップ型は有志一同の皆さんが募金によって提供して下さったもの、ノート型は大阪にいる友人の山田牧師が無償貸与して下さったものであります。この楽しさと興奮が、そうした人々の好意によって実現しているのだということをふり返るたびに、少々の落ち込みや疲れなどが吹き飛ばされるような喜びが蘇って来るのです。

(とりあえず「弘法筆を選ばず」の意味は忘れたふりのTAKE)